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日本兵による人肉食事件 フィリピン・キタングラッド山 週刊金曜日1995.3.17

週刊金曜日1995.3.17 66号P21~25より引用。 永尾 俊彦
日本軍の残虐行為は敗戦後にも起こった。
敗残兵となった日本兵は、食糧の補給を断たれ「自活自戦」を強いられた。
敗戦を信ぜずに「聖戦」を続けるうち、
キタングラッド山ろくの人々を殺害し食べていったー。
敗望五〇年を間近にようやく三年前、フィリピンで裁判記録が公開され、
昨年末、被害者同盟が発足した。
日本でも兵士の証言は公になっているが、被害者の遺族に取材した筆者の報告。

敗戦後、フィリピン・ミンダナオ島北部のキタングラッド山(二九三八メートル)中で起きた旧日本軍による現地のヒガオノン族虐殺・人肉食事件は、三年前、フィリピン国立公文書館所蔵の戦争犯罪裁判の記録が公開されたことを契機に表面化した。私は昨年この記録を手にすることができた。
 それによると、キタンクラッド山にたてこもっていた陸軍第三〇師団第一五揚陸隊を中心とする日本兵三四人は一九四七年二月一四日に投降。そのうち一九人が四九年、マニラの軍事法廷に「四十数人を殺害、一五人を食した」かどで起訴(一人は起訴前に病死)、BC級戦犯として裁かれた。一〇人に絞首刑、四人に終身刑、四人に無罪判決が言い渡されたが、その後特赦で減刑、五三年に全員帰国している。(略)
 自活自戦の場だったキタングラッド山
四四年一〇月、フィリピン戦線で日本の連合艦隊はレイテ沖海戦に敗れ、制海権・制空権を失った。同年一二月下旬、大本営はレイテ島の放棄を決定。それ以降「本土決戦に備えた時間稼ぎのため、フィリピンの日本軍は捨て石とされた」(。踏みにじられた南の島』NHK取材班編・角川書店)。
 四五年に入ると米軍はミンダナオ島の南と北から上陸を始め、日本軍は挟み撃ちにされた。現在中部地方に住む元第一五揚陸隊軍医(七五歳)が自費出版した手記によると、同年五月一〇日、カガヤン・デ・オロに駐留していた同隊の総勢三八〇人は撤退を間始、キタングラッド山中に逃げ込んだ。食糧の補給を断たれ、「自活白戦」を強いられた。飢餓とゲリラの襲撃で多くの兵士が死んでいった。また絶望的な状況に発狂したり、自決する者もいた。脱走しようとした兵士は敵前逃亡の罪で銃殺された。偵察機が頭上を飛び、日本の敗戦を告げるビラをまいて行ったことがあった。しかし隊長は命令した。「『これは敵の策略である。決して投降などしてはならぬ。皇軍は決して敗れない。あくまで聖戦を続けよ。やがて大部隊がやってきて我々を迎えに来る。』我々は半ば信じて、その時を待った」。そういう中で、この事件は起こった。私はサレさんの家に厄介になり、奥地の村々を訪ね歩いた。以下取材したものの中から三つのケースとサレさんの証言を紹介する。
 証言1ニカノール・サレさん(44歳)
 一九四五年の九月から一二月の間のある日の早朝、コンチャさんら親子七人はカモテ(薩摩芋)やバナナなどの食糧をさがしに行くために家を出、午前六時頃スミラオ郡スミラオ村から南東へ一〇キロほどの地点にさしかかった。突然七人の日本兵が現われ、親子七人は捕えられ、近くの廃屋に連行された。
 日本兵はフィリピン軍を欝戒するためなのか、廃屋の竹の壁を壊し始めた。父親のユーレテリオ(当時四〇歳)だけは廃屋の柱に縛られたが、残りの六人は一か所に集められた。
 一人の日本兵が、庭のコゴン革を一本引き抜き、七つの違う長さにちぎった。それを全員が一本ずっ引いた。一番長いのを引いた兵士は軍手をはめた。最も短いのを引いた兵士は監視役になった。コンチャさんの兄のレオポルド(当時一八歳)が、地元の言葉でアンボンと呼ばれる竹籠のようなしょいこをしょわされ、六人の日本兵と一緒に山の方へ連れられて行った。日本兵は英語で「カモテを取りに行く」と言った。五〇メートルくらい行った時、レオポルトが「タイ(お父さん)!」と絶叫した。
 それから一時間ほとして六人の兵士は帰ってきた。レオポルトは帰ってこなかった。一人の兵士がレオポルトがしょわされていたアンボンをしょっていた。アンボンは肉で一杯だった。見覚えのあるレオポルドの胸、すね、ももなどが見えた。
 それから日本兵達は壊した廃屋の竹の壁を使って焚火を起こした。肉を日本兵全員に均等に分配し、各自がそれぞれの肉を焚火にくべて焼いた。ガビ(里芋)も一緒に焼いた。三〇分くらいで焼き終えると、バナナの葉を皿代わりに食べ始めた。彼らは箸を持っていた。鉄製のコップも持っていて、水を飲み、談笑しながら食べていた。父は、日本兵に今まで人肉を食ったことがあるのかと聞いた。日本兵は「イエス」と答えた。一時間くらいで食べ終わると一人を見張りにし、日本兵達は昼寝を始めた。数時間後、昼寝から日覚めると日本兵達は父を連れてどこかへ去った。コンチャさんらはインパソゴン村の親戚の家へ逃げた。
 七日後、父親は脱出に成功、インパソゴン村で家族と再会できた。日本兵のキャンプに運行され、柱に縛りつけられていたが縄をこすり切り、隙を見て脱出した。父親によると、日本兵達は食べ残した人肉を干して乾燥肉にしていたということだった。(略)
 発足した「ブキドノン悲嘆者同盟」
 最近サレさんや地元の弁護士が行なった聞き取り調査では、八九人が人肉食の犠牲者とされている。私はそのほとんどの証人に会って話をきいたが、八九人という数字はかなり信憑性の高いものだと感じた。
 裁判記録によると、起訴された一八人のうちほぼ全員が人肉食の事実を認めている。沖縄県に住む元兵士(七四歳)の供述では、一週間に一回は人肉を食べだとされている。中には現地のヒガオノン族だけではなく、病死したり、脱走罪で銃殺された日本兵の死体を食べた供述も見られる。人肉に手をつけた理由として、先に紹介した手記を著わした元軍医は、供述書の中で食糧不足による栄餐失調と並んで塩の不足を挙げている。元兵士達の供述には塩を求めて民家を襲った事が何度も出てくる。人体に
は約〇・七パーセントの塩分が含まれていると言う。(略)
ーーー
ながお としひこ 一九五七年東京都生まれ ルポライター 著書に「市民と自民の真中で(第三書館)」
(引用終わり、全文はこちら、ダウンロード<開く。著作権は週刊金曜日にあります)
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