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花岡事件とは何だったのか 週刊金曜日第80号

週刊金曜日1995.6.30号P52~57より引用。
企業が抱える戦争責任 野添憲治 花岡事件とは何だったのか 
五〇年前、秋田県花岡鉱山の鹿島花岡出張所で、強制労働に耐えかねた中国人たちが蜂起した。
蜂起は失敗に終わり、その後間もなく日本は敗戦を迎えた。
強制運行、強制労働、そしてその後の鹿島の態度ー花岡事件には戦争中に日本が行なったことが凝縮されている。
花岡事件五〇年目にあたる今年六月、鹿島に謝罪・補償を求め、生存者や遺族が提訴した。
 50年目の花岡事件提訴 (略)
 労働力として連行された
 (略)政府は財界の主張を受け入れ、一九四二年に各省庁から人選して華北労働事情視察団を結成し、大陸を視察してくと、中国人を国内に連行してくる計画をまとめた。これに基づき東条内閣は、「華北労務者内地移入二関スル件」を閣議決定し、「昭和一九年度国家動員計画需要数」のなかに三万人の中国人労働者を計上し、本格的に国内への導入を実施した。
 日本に連行してくる中国人は、中国内で労工狩りという方法で集めた。これは兎狩り作戦ともいったが、真夜中に一つの集落を日本の兵士やカイライ軍が囲み、夜明けとともに包囲をせばめ、男たちは捕えて後ろ手に縛った。また、家畜、食料、資材などは奪い、軍隊に持ち帰った。女たちが犯され殺された集落は、証拠が残らないように焼き討ちにした。このため一夜にして多くの集落が消えたが、有名なのに「平頂山事件」がある。また、焼き討ちにされなくても、夫や子どもを連れ去られたうえに、食料や家畜を奪われ、家庭は破壊した。
 捕えられた中国人は、周囲を電流を通じた鉄条網で囲んだ収容所に入れられた。八路軍や国民党の捕虜とも、収容所で一緒にされた。食料が少ないうえに、病気になっても看護はなく、死亡する人が続出したという。この人たちを貨物船に乗せて日本に運ぶと、国内の一三五事業所に配置し、重労働の日々を課した。日本に強制連行された約四万人の中国人を使役した三五の企業のほとんどは、巨大企業としていまも生きつづけている。
 重労働と虐待の日々
その事業所の一つに、秋田県の花岡鉱山で工事を請負っていた鹿島組(現鹿島)花岡出張所があった。当時の花岡鉱山は藤田組(現同和鉱業)が経営していたが、一九四四年に七ツ館坑で落盤事故があり、日本人、朝鮮人それぞれ一一人が生き埋めとなった。(略)しかし、この他にグム工事も請け負っていた鹿島組では労働者を集めることができないので、政府が強制連行を決めた中国人を使うことになり、一九四四年八月に第一団の二九七人(途中で三人が死亡)を花岡出張所に連行してきた。(略)
P55花岡鉱山の冬は寒く、雪も深い。初冬に薄い作業服一組が中国人に支給されたが、それだけでは寒さを凌ぐことができなかった。背中に雪よけの莚をまとい、足にはワラを巻き、凍った水に腰までひたって働いた。冬には沢山の人が凍傷にかかり、死ぬ人も多くでた。
 長い冬が去ると、鹿島組花岡出張所に連行されてきたなかで九〇人ほどが死亡し、三〇人ほどが病室に入っていた。どうにか働ける一七〇人では工事ができないので、また中国人を連れてくる計画をたてた。そして一九四五年五月に五八七人、六月に九八人を連行してくると中山寮に入れ、さらに少なくなった食料をあてがい、重労働をさせた。
 中国人が残忍非道な虐待に祝して蜂起したのは、一九四五年六月三〇日(七月一日との説もある)の夜である。それまでに殺されたり、病死したのは、第一次が二九七人のうち一一三人、第二次が五八七人のうち二三人、第三次が九八人のうち四人だった。このほか、約五〇人近くが病室に入っており、「このままでいると全員が殺される」と中国人は考えた。
 こうしたなかで蜂起が耿諄大隊長をはじめ、少人数で綿密に計画された。たくさんの中国人を死なせた現場監督を殺したあと、連合軍俘虜と連行されていた朝鮮人を解放し、駐在所を襲って銃や軍刀を奪い、遊撃戦をおこなうというものだった。六月三〇日の深夜に蜂起は計画どおりに進められたが、現場監督たちが逃げないように事務所を包囲する直前に一人が早まって実行に移したため、四人の監督は殺したものの、四人には逃げられた。その監督たちが出張所や鉱山事務所に逃げ込んだため蜂起がわかり、サイレンや半鐘が鳴り、鉱山町は大騒ぎとなった。
 逃げた中国人を捕えるために地元の消防団員や在郷軍人などのほか、弘前憲兵隊などからのべ約二万人が動員され、四日目には全員が集められた。捕えられた中国人は二人ずつ後ろ手に縛られ、共楽館前の砂利の上にしゃがんだまま放置され、炎天下のなかで三日二晩も水や食料をあたえられず、ここで約一〇〇人が死んだ。五日目に蜂起の主謀者として耿諄隊長たち一三人が秋田市の秋田刑務所に送られ、生き残った中国人はトラックで中山寮に運ばれた。寮のまわりに有刺鉄線が張られ、武装警官が寝ずの番で巡回するなかで、また重労働がつづけられた。食料などは蜂起する前と、まったく変わらなかった。
 裁かれなかった鹿島
 (略)鹿島組花岡出張所には三回に分けて九八六人が強制連行され、このうち四一八人が花岡の地で死んだ。花岡事件は「捕虜虐待」で戦争犯罪に問われ、連行されてきた中国人のうち二三人が証人として日本残留を命ぜられたが、残りの人たちは二月に帰国した。鹿島組は一銭の労賃も渡さなかった。(略)なお、横浜法廷(BC級戦犯裁判所)は一九四八年に鹿島組の三人が絞首刑、一人は終身刑、警察の二人は重労働二〇年の判決が言い渡されたが、のちに全員が減刑となって出獄した。(略)
ーー
のぞえ けんじ二九一二五年生まれ国有林作業員、ラジオキャスター、非常勤講師などを経て著述生活に。主著に「聞き書き花岡事件」「村の風景」「秋田杉を運んだ人たち」(御茶の水書房)、「花岡事件の人たち』(評論社)、「ドキュメント出稼ぎ」(教養文庫)などがある。
ーー(引用終わり、全文はこちら、ダウンロード<開く。著作権は週刊金曜日にあります。
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