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貧困なる精神 自衛隊、旧日本軍の侵略行為(日中戦争、戦犯他)
南京大虐殺 従軍慰安婦 アメリカの侵略(ベトナム戦争など) 新聞研究地方紙、朝日など)その他、分類別は左欄のカテゴリを参照。 

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日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に,琉球新報

琉球新報2016.12.26より引用。東京新聞のこちら特報部のデスクメモにも記載あり。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-417850.html
日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」
 1945年の沖縄戦で激戦地となった摩文仁で、日本兵が沖縄住民を殺害したり強姦(ごうかん)したり食料強奪をしたりする事態を我慢できず、別の日本兵がその日本兵を殺害する出来事があった。当時、沖縄で戦闘に参加した元日本兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は自ら日本兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国で戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。
 45年6月、球部隊に所属していた飯田さんは摩文仁の壕に潜んでいた。一緒に逃げて仲良くなった日本海軍兵や周辺住民から「自分が隠れている壕で住民にひどいことをしている軍曹がいる」と聞いた。その内容は、住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を強奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにしているというものだった。
 ある日、飯田さんも「佐々木」という名の軍曹による「悪行を目撃」した。「見るに堪えない。もう限界だ。同じ日本の兵隊として許せねえ」と殺意が湧いた。海軍兵に「このまま見て見ぬふりできねえ。島民が殺されているんだぜ。やつさえいなければ皆なんとかしのげる。水も飲める」と殺意を明かした。
 飯田さんは米軍との戦闘前、那覇市の住民宅で寝泊まりし、沖縄の人々から温かくしてもらったことへの「恩義」もあって「住民を殺す日本兵が許せなかった」と言う。ある晩、井戸で住民に嫌がらせをしている佐々木を見つけた。人影がなくなったのを見計らい、軍服を引き裂いた布で拳銃を隠し持って近づき、水を飲んでいる佐々木の後頭部に銃を近づけ引き金を引いたという。
 飯田さんは「全ては島民のためと思ってやったが、私自らの手で日本人をあやめてしまった。70年余たっても忘れられない」と話し、今でもつらい思いが残っていることを吐露した。
 本島南部の激戦時、食料が尽きて飢えた日本兵が夜、米軍の陣地に忍び込んで食料を盗み、その帰りを待ち伏せた日本兵がそれを奪い、殺し合う事態も「よくあった」という。「戦場では人間が人間ではなくなってしまう」と振り返る。
 飯田さんは「軍隊は住民を守るどころか、軍隊がいることで戦場になってしまう。(辺野古に)飛行場を造ることはいいことではない。沖縄の人々にとって戦後は終わっていない。戦争は絶対に駄目だ。勝っても負けてもよくない。自分の命を落としてでも俺は絶対に反対する」と語った。(新垣毅)
       ◇     ◇
 【沖縄戦研究・石原昌家沖縄国際大名誉教授の話】
 住民への日本兵による残虐行為の証言は多いが、日本兵自身による詳細な証言はあまりなく、貴重だ。
(引用終わり)
ーー
軍隊が国民を守らないことを肝に銘じなければならない。満州で敗戦時、関東軍が開拓団をほったらかして一番に逃げたなど。まして、国民を虐殺するとは。中国他での日本鬼子の行為を思い出す。安倍のよく言う海外邦人の保護など詭弁だ。

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名の乗り出たインドネシアの元「従軍慰安婦」 川田文子

19951110syukin,indoneshia週刊金曜日1995年11月10日号より引用。
文・川田文子 写真・伊藤孝司
P23九月二九日から一〇月四日にかけて、戦後補償実現市民基金が、インドネシアの元「慰安婦」の聞き取り調査を行なった。インドネシアでは現在、六五〇八人もの女性が「慰安婦」だったと名乗り出ている。今回の調査を担当した市民基金の共同代表の川田氏と、同行した伊藤氏に報告してもらった。
 インドネシアの状況
 (前略)私たち戦後補償実現市民基金の調査チームは、ジャカルタに本部を置くLBE(法律扶助協会)の弁護士リ夕・セレナさんを訪ねた。LBHは、無料で法律相談に応じている人権擁護団体である。リタさんによれば、LBHは日本の弁護士が引き受ければ「慰安婦」裁判提訴の意向をもっている。だが、調査が不十分、裁判費用の捻出、韓国やフィリピンと異なり、賠償問題は決着済みとするインドネシア政府の援助を得ることの困難などが障壁となって、提訴には至っていない。また、今年八月二日、LBHジョクジャカルタ支部(以下、都市名ジョクジャ、およびジョクジャカルタ支部と略)は日本政府に対し、書面で謝罪と補償を求めだが、何の回答も返ってきてはいないという。
p24 LBHには現在、約四二〇人の「慰安婦」調書がある。そのうち三七一人がジョクジャ支部に名乗り出た。私たちがジヨクジャに向かったのはいうまでもない。約束の時間にジヨクジャ支部を訪ねると、すでにスハルティさん(七〇歳)、ラシエムさん(七一歳)、キンナムさん(六四歳)が集まってくれていた。少し遅れてラビエムさん (七〇歳)、サイナムさん(七〇歳)、そして前日、証言を開いたマルティエムさん(六六歳)も加わった。
ジョクジャ支部の弁護士プディ・ハルトノさんと、ディレクターのアリ・スセ夕さんによれば、九三年四月二〇日のムルデカ新聞(インドネシアの全国紙)に「日本の軍政下の被害者はその被害について明らかにする必要がある」といった主旨の社会大臣のコメントが掲載されたとたん、「ロームシャ」や、「ジユウグンイアンプ」にされていた人々が各地からLBHに押し寄せた(インドネシアでは、ヘイホ、ロームシャ、ジュウグンイアンフは訳語にされず、現在でも日本語のまま使われている)。同年八月で作業は打ち切られたが、一万七千数百人が登録した。その中に「イアンフ」も含まれていたのである。特にジョクジャ支部に殺到したのは、各地にあるLBH支部の中でも活動が活発で、それが新聞などにも紹介されることが多かっだからだ。
 初潮もまだだった
最初に名乗り出たのがマルティエムさんである。マルティエムさんは四二年の五月か六月頃、「ソウゲンジ」という日本人にカリマンタンのバンジェルマシンの慰安所に連れて行かれた。インドネシアで日本軍政が開始されるのは四二年三月であるが、その直後にもう慰安所が開設されたわけである。他の五人も同じ慰安所にいた仲間である。その慰安所には日本軍が去る四五年まで、三回にわたって女性が投入された。マルティエムさんとサイナムさん、ラビエムさんはその第一陣であった。
 ソウゲンジは歯医者で、オランダが支配していた頃からインドネシアで家族とともに暮らしていた。戦争が始まると家族を日本に帰し、日本軍上陸後は軍の諜報活動に協力した。そして、慰安婦徴集を開始する数カ月前に、バンジェルマシンの市長になった人物である。
むろんソウゲンジは、徴集に際してその目的を明かしてはいない。彼はジョクジャに来たとき、役者を随伴していた。そして、言ったものである。「劇場、レストラン、メイドなど、カリマンタンに行けば好きな仕事が選択できる」と。そして、ひとりひとり希望の職種を闘いたりしている。
 ジョクジャで集められた女性はソウケンジに連れられスラバヤまで汽車で行き、数日、ホテルで船待ちをして、徴用船でカリマンタンのバンジェルマシンに渡った。バンジェルマシンは大きな町だった。町のはずれには、すでに高い塀で囲った慰安所用の建物が建てられていた。中央に大きな部屋、その部屋を囲むように小部屋が並んだ建物である。その慰安所に入れられたのは二十数人、開設前に軍医による厳重な身体検査が行なわれ、特に性病の有無を調べる検査は性経験のない少女たちに深い衝撃を与えた。
ひとりひとりに部屋が与えられ、源氏名がつけられた。利用者は部屋の番号と源氏名で相手を指定したのである。マルティエムさんはモモ工、部屋は11番だった。ミキ、タキコ、サクラ、ハル工、ナミコ、それぞれが当時の源氏名を記憶している。昼間は兵隊、夜は役人、電話局員、新聞記者など、利用できるのは日本人に限られていた。日本軍に組み入れられ、兵隊とほぼ同じ働きをしていたインドネシア人兵補は利用できない。利用者が軍人軍属に限られた他の地域の慰安所とは、民間人が利用できる点で異なっている。しかし、民間人といっても軍政に貢献した、いわば特権階級である。料金は兵隊が二円五〇銭、民間人が三円五〇銭、泊まりは民間人のみ可能で一二円五〇銭だった。衛生サック(コンドーム)使用の義務づけ、外出の制限(一週間に一度のみ、単独では許可されない)、軍の機密漏洩防止のための住民からの隔離など、慰安所利用規定に基づく運営であったことがうかがえる。
 当時マルディエムさんは一三歳、まだ初潮も経験していなかった。
 心に残された痛み
「悲しい記憶がふたつある」マルディエムさんは言った。最初に六人の軍人に犯された時の出血と耐えがたい痛み、そして、翌年、慰安所を管理していた「チカタ」に妊娠していることを指摘され、病院に連れていかれて、麻酔なしで中絶した、その時の激痛。妊娠五カ月であった。掻爬された子はまだ生きていた。男の子だった。人形のように小さなその子をマリティヤマと名づけた。たとえこの世に生を受けられない子であっても、そうすることがインドネシアの習慣だったからだ。
 第二陣はチカタが徴集した。彼女らには個別に与える部屋がなかったため、第一陣の「慰安婦」と共用で使った。第二陣がきて以降、先にきていた女性たちはいくぶん身体が楽になったという。たとえば、こんな文書がある。…「ボルネオ」行キ慰安土人五〇名・…・派遣方南方総軍ヨリ要求セル…‥
 これは四二年三月一二日、台湾軍司令官が(陸軍)大臣宛に発した電報、第六〇二号であるが、この「慰安土人五〇名」のおかれた状況は六月三日、台湾軍参謀長が副官宛に発した電報、第九三五号に垣間みえる。
…「ボルネオ」ニ派遣セル特種慰安婦五十名二関スル現地着後ノ実況人員不足シ稼業二耐ヘサル者等ラ生ズル為尚二十名増加ノ要アリトシ…:(防衛庁防衛研究所所蔵「従軍慰安婦資料集」吉見義明編集・解説所収)。(略)
 チカダからは、報酬は誰にもいっさい支払われなかった。毎月家に送金する約束で来たラシエムさんがそのことを問うと、軍事貯金をしているから戦争が終わったら渡すといわれた。しかし、その時点でも金を受け取った者はいない。
 人生でいちばん辛かったこと
(略)ソウケンジが、カリマンタンに行けばよい仕事があると村の若い女性を集めに来たとき、ラシエムさんはすでに結婚していた。二歳と生後八カ月の子がいたが、夫が失業していたためカリマンタン行きに加わったのである。戦争が終わり、慰安所から解放されたものの、遠く離れた家族のもとに帰る手段も、また、数限りない日本兵から汚辱を受け、帰る勇気もなかった。かといってどのように暮らしていけばよいのか、途方に暮れているとき、慰安所にいたことを承知で求婚した元兵補がいた。すがるような思いで再婚した。結婚生活が慰安婦であった過去を打ち消してくれるかもしれない、と思ったからだ。その男性がスマルモさんの父親である。
 同行した写真家の伊藤孝司さんの、「人生の中で最も辛かったことは何ですか」の問いに、ラシエムさんは、それまで私たちににこやかに遇していた表情をみるみる歪めた。それはいうまでもなく、忘れようとしでも、けっして忘れさることのできなかった日本兵に蹂躙された日々である。
「母は強い人間です」スマルモさんが言った。ラシエムさんはマルティエムさんに誘われてLBHジヨクジヤ支部に名乗り出るまで、慰安所時代のことは誰にも明かさなかった。悲しみを吐露することでいくぶんなりとも辛苦を和らげたい衝動に駆られることもあっだろうに、母は固く口を閉ざしてきた。スマルモさんは事実を明かされて、記憶の辛苦に耐えてきた母の強さを改めて見た思いがしたという。
 ジョクジャを発つ日、マルティエムさんの案内でバントウに住むスカルリンさんを訪ねた。白内障の類であろうか、スカルリンさんは昨年失明した。慰安所で身体を酷使し子どもができなかったため、養女夫婦と暮らしている。養女夫婦は役所前で屋台を出しているが、貧しい。治療すれば失明は免れたのに、費用がなかった。
「イトコ」
空をつかむように手をさしのべて、日本人である私たちに通じることばをくりかえし発した。それは、彼女の慰安所での源氏名だった。美しかったので、日本兵が彼女のもとにたくさんきたという。それだけ身体がきつかったということだ。白く濁った小さな瞳が、虚ろにさまよっていた。これまで同じ慰安所にいた多数の証言で互いの証言を確認しあっている例は数少ない。戦後、バンジェルマシンの慰安所からジョクジャ近辺に帰ってきた二人が連絡をとりあっていたが、三人はすでに故人になった。市長や村長など公権力が慰安婦徴集を行なったという、マルディエムさんら複数の証言は貴重である。また、ジョクジャ支部に寄せられた証言の中には軍人が直接、村長の娘を連行し将校専用の「慰安婦」にした例もあった。その日本軍将校と村長の娘の間に生まれた子が実在している。
(写真)ドリス・スマンボウさん(左)と息子のエティーさん。スマンボウさんは日本人将校「カナガワ」に連行されて4力月後に妊娠した。日本敗戦直前の七月一七日に生まれたエディーさんは、子供の頃は「日本人の子」として軽蔑されたという。
P27
 増え続ける「慰安婦」
兵補協会会長のタシップ・ラハルジョさんは私たちの目の前に、元「慰安婦」本人の写真付きの登録カードを積み上げた。A4の大きさの用紙に氏名、生年月日、出身地、現住所、慰安所での源氏名、四二年から四五年の問にいた場所、慰安婦だった仲間二人の氏名、記憶している日本人の名前、インドネシアの知人名などを書き込む欄がある。一締めが一〇センチ以上の厚みのある、それらの登録カードの束に私は日を見張ったものだ。
 兵補協会の会員は約七万六〇〇〇人、うち元兵補が四万人、その遺族が三万六〇〇〇人である。一二九支部ある組織網を動員して、今年八月から登録を呼びかけた。そのうち西ジャワとジャカルタ支部から、あわせて約八〇〇人分の登録カードが届いたというのである。現在、それぞれの国の支援団体や政府に把握されている慰安所制度の被害者は韓国が約一六〇人、北朝鮮が三二人、在日が一人、フィリピンが約一六〇人、台湾が約六〇人である。マレーシア、インドネシアでも被害者が名乗り出ていることは伝えられていたが、その数は明らかにされていなかった。ざっと計算しても、これまで把握されている数を上回っていたのである。
 そして再度、一〇月三日に訪ねた時は中部ジャワ、スラバヤ、スラウエシ支部などが加わり、登録カードの数は二〇〇〇人分に達していた。さらに帰国後、問い合わせると、一〇月末には六五〇八人になっていた(将校専用の慰安婦も含む)。
 タシップさんによれば軍政下のインドネシアの慰安婦の徴集は、軍の要請を受けた郡長・市長・村長などの指示で婦人会など、自治会組織を通じて行なわれたことが大きな特色である。将校など、個人専用の慰安婦にされた場合には、子どもを産んでいる例も少なくなかった。
兵補協会は日本政府に対し、兵補一人二五〇万円の補償を要求する。元「慰安婦」の登録はその前段の作業である。おだやかに解決していきたいが、自分たちの要求が見過ごされるようなことがあれば、「時間の爆弾が爆発するだろう」といった、そのことばが深く印象に残った。
 ねじれた基金
 すでに報じられているように、政府は「慰安婦」問題を「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金) で決着しようとしている。今年度予算で四億九〇〇〇万円が計上されだが、国庫からの拠出金は広告費と事務費にあて、被害者の手には一円たりとも渡さない。被害者の福祉と医療については援助するが、国の責任に基づく補償はいっさい行なわない。国が呼びかけ人を選び、民間の有識者が呼びかけたかのような体裁で国民から募金を集めて被害者に一時金を渡そうという、きわめてねじれた官製の民間基金である。
P28
 しかも一時金といいながら一回限りの見舞金である。八月一五日、国民基金は全国の新聞二一紙に、村山首相のあいさつ文を添えた全面広告を出し、募金を開始した。その広告費に一億二〇〇〇万円が使われた。集まった額は一〇月二七日現在で約六一四〇万円にすぎない。三七年末の南京占領の際、日本兵は頻々と中国女性に対する強姦をくりかえした。欧米ではそれは〞南京大強姦事件〞 として報道され、国際社会のひんしゅくを買った。以来、日本軍は慰安所制度をつくりあげ、植民地および、侵略地の女性を犠牲にしたのである。中国、香港、ベトナム、ビルマ、マレーシア、シンガポール、ニューギニア、マリアナ諸島、パラオ諸島など、まだ被害の実態はほとんど明らかにされていない。また、「慰安婦」にされた女性の総数は八万とも二〇万人ともいわれているが、そのうち何人が戦時、死亡し、何人が生き残ったのか、まったく不明のままである。現在、名乗り出ている被害者はごく一部である。いまだ、固く沈黙を守っている被害者がその背後に多数いる。戦時において凄まじい性の蹂躙を受け、戦後もなお、庇められた人権の回復がはかられなかった。それほとりもなおさず、問題解決が放置されて導た結果である。「国民基金」を推進してきた政府、およびその賛同者は申告者を一〇〇〇人、多くとも二〇〇〇人程度にすぎないと予想したらしいが、「国民基金」では被害者が求める問題解決にはならないことを自ら認めているようなものである。ある被害者は「この五〇年間、いつ、慰安所にいたことが周囲の人に知られはしまいかと怯えつづけてきた」と語った。また、別の被害者は「慰安婦」であったことを知られることを恐れて、職場を転々と変えて生活してきた。日本軍慰安所制度の被害者であるにもかかわらず、あたかも、当人に非があったかのような視線を感じ、痛い恥辱を解き放つことができずに長い年月をすごしてきた。国の責任を曖昧にしたままの「国民基金」では、被害者をとりまくそうした状況は変わらない。「国の尊厳」(『毎日新聞論説)や「国と国民の品格」(『毎日新聞』「私見/直言」)ばかりを気にしている国民基金推進派には、植民地および占領地の女性が受けた慰安所制度の被害の大きさも、個々の被害の深さも、見えていないに違いない。
 兵補協会が登録した六五〇八人、そして今後も増えることが予想される被害者の数は、国民基金支給を前提に集められた。その際、日本人にとってさえわかりにくい国民基金のネジレが、正確に被害者に伝わったかどうかは疑問である。村山首相のあいさつ文つきの募金広告を見れば、被害者に渡される見舞い金に国庫からの拠出金が一円も含まれないなどとは、想像もできないだろう。国民基金は当初、目標額二〇億円を集め、年内にも支給するといわれていたが、現段階では目標額に遠くおよはない。しかも、支給対象者の数はまったく未知数といってよい。調査の不徹底、国民基金で決着できると考えた不誠実な取り組みが、破綻をきたしている結果である。「慰安婦」問題の根源的な解決、戦後補償のあり方がいま問われている。

かわだ ふみこ・出版社勤務を経て、ノンフィクション作家に。著書に「赤瓦の家」 (ちくま
文麿)、『皇軍慰安所の女たち」 (筑摩書房)、「戦争と性」(明石書店)など。
いとう たかし二九五二年長野県生まれ。フォトジャーナリスト。著書に『破られた沈黙』(風媒社)、「棄てられた皇軍」(影書房)、「日本人花嫁の戦後」(LYU工房)など。
※「戦後補償実現市民基金」の問い合わせ先は、℡03・3262・4971
ーー(引用終わり)
「女性のためのアジア平和国民基金」の結末はどうなったのか。NHK教育のETVで改ざん報道があったのが有名だが。調べると、「正式名称は女性のためのアジア平和国民基金。第2次大戦中の日本政府・軍による、いわゆる従軍慰安婦問題解決のため、1995年7月に設置された。日本政府は個人に対して、首相の「おわびの手紙」と200万円の「償い金」の支給、さらに医療・福祉のため、韓国、台湾、オランダに300万円相当、フィリピンに120万円相当の支出を決めた。インドネシアの場合、同国政府が個人支給を認めなかったので、高齢者福祉施設を建設した。これまでにフィリピン、韓国、台湾の285人に約5億8000万円を支給しており、これにより、アジア女性基金の償い金支給事業は終了、2007年3月に解散した。 」知恵蔵より。
補償人数的にもまだ不足しているし、国家賠償ではない、あくまで民間の募金ベース。主犯(日本政府としては)は謝罪していないところがポイントか。現在の韓国元慰安婦への補償も韓国次期政権が撤回するかもしれず不透明だ。

再訪中国の旅5、本多勝一 旅順虐殺

週刊金曜日1995年8月25日号より引用。
P40三月一五日。大連に寄ったらぜひ訪ねてみたいと思っていたのは、日清戦争にまつわる事物である。日本の軍国主義が飛躍的にすすむことになるこの最初の対外大戦争(一八九四〜五年)が終って今年で一〇〇年、生きている体験者はもちろんいない。最後の体験者は一〇年ほど前(一九七六年)に九六歳で死んだという。
 旅順を占領した日本軍による無差別な残虐行為(旅順虐殺事件)外国に当時報道されたが、たとえば南京大虐殺で生存者から聞ききしたような細部の内容を知ることは、もはやできない。
(略)旅順には虐殺の死体が、うめられたという万人坑があり、去年それが発掘されたときの写真もある。さまざまな虐殺の実態紹介のあと、清朝の腐敗が侵略を許した背景でもあることを指摘し、教訓としている。(略)

P41いや、戦後どころか日清戦争の実態そのものが、実はまるで伝えれていない。あたかも南京大虐殺の実態がわかりはじめるのに戦後何十年もかかったように。最近刊行された。日清戦争従軍写真帖ー伯爵・亀井茲明の日記(柏書房)で、藤村道生氏は次のように解説している。
「ワールド」は「旅順の日本軍は陥落の翌日から四日間、非戦闘員、婦女子など約六万人を殺害し、殺戮を免れた清国人は旅順全市でわずか三十六人に過ぎない」と報じ、そのうえで。日本は文明の皮膚を被り野蛮の筋肉を有する怪獣なり、日本は今や文明の仮面を脱し、野蛮の本体を暴露した」と糾弾した。旅順から日本に立ち寄った『タイムズ』通信員は陸奥外相に、「日本軍は捕虜を縛ったまま殺害し、平民とくに婦人まで殺害したのは事実である。これは各国記者や東洋艦隊の士官が目撃している」と強調し、「日本政府の善後策如何」と質問した。(略)
P42国内ではこの事件は厳重に秘匿された。直接の責任者は第二旅団長として旅順攻略を指摘した乃木少将にあると思われ、今日でも大連市では子供が泣きやまぬとノギが来るぞ」といって黙らせる由であるが、かれの責任は問われず、一〇年後
の日露戦争における旅順要塞の攻略と明治天皐への殉死により聖将として乃木神社にまつられている。
 それでは日清戦争の戦後がどうだったがを簡略に述べるために、一八九五年四月一七日に下関で調印された講和条約について、講談社版『日本全史』の「日清講和条約」の項から引用しよう。「その要旨ばつぎのようなものである。靖国は朝鮮が独立自主の国であることを承認する。②清国は遼東半島・台湾・澎湖列島を割譲する。③清国は賠償金として庫平銀(庫平とは納税用の清朝の秤)二億両(約三億円)を支払う。④清国は新たに沙市・重慶・蘇州・杭州を開市・開港し、日本汽船の航行権を長江は重慶、呉松江は蘇州・杭州まで延長する。講和会議では、李鴻章がただちに休戦に入ることを求めたのに対し、軍部が休戦に反対していることを知っていた伊藤(博文)は、清国側に苛酷な条件を提示して休戦を引き延ばし、占領地の拡大をもくろんでいた。しかし、三月二四日、自由党の壮士小山豊太郎が李鴻章をピストルで撃ち、重傷を負わせたことに日本政府は狼狽。休戦を承認し、講和の話し合いが進められていた。日本はこれを機に植民地帝国へと歩を進め、巨額の賠償金は軍備拡大や日本資本主義の発展・育成の財源となる」
 右のなかで「庫平銀二億両」がどれほど巨額を賠償金だったか、ピンとくる日本人は少ないであろう。これは石川真澄氏の一文から引用するとわかりやすい。

「一八八九四年八月から翌年四月までの日清戦争に日本は勝って台湾・澎湖列島の割譲などのほか、賠償金二億両を得た。日本円で三億六千四百万円、当時の日本の国家予算の四年分だった」(。朝日新聞』一九九五年六月二七日「現代史ウオッチング」)
 以後、日本は朝鮮の植民地化へとバク進し、中国にたいしても五〇年間におよぶ侵略がつづくことになる。“国家予算四年分」もの巨額の賠償金は、まさに「日本資本主義の発展・育成の財源」(前記。日本全史』から)となった。日中戦争は「一五年戦争」ではあるまい。つまり日本は旅順大虐殺をともなう侵略を中国にした上で莫大な賠償金をとり、それによって飛躍的な経済発展の基礎をかためた。それがまた南京大虐殺その他のよりおおきな侵略で中国を苦しめる悪循環ともなりつつ、一九四五年(日本敗戦)をむかえる。
 だが、こんどは「侵略された側」たる中国が、日本にたいする国家間賠償を放棄して平和条約を結んだ。これはまさに「天地の違い」であろう。日本側にその認識がなくても、中国側は日本の「援助」や「戦後補償」にこうした背景を忘れてはいない。(略)
ーー(引用終わり)
以前掲載の再訪中国の旅の最終回が抜けていたので、掲載。司馬遼太郎は明治時代をよきものと「坂の上の雲」だったかの小説に書いていたが、だいぶ真実のイメージは違うなあ。日本軍の虐殺のDNAは日清戦争から始まってたいたとは。それにしても中国、韓国が日本に対しての国家賠償を放棄しているのはなぜなのか?

朝日社会部記者 斎賀孝治氏の自殺?他殺?

http://blog.goo.ne.jp/nvno/e/67ff189ba395d122e8ec0b2629a698f4より引用。
●斎賀孝治氏
朝日新聞社会部次長。朝日新聞社によれば2006年2月10日、自転車で仕事場に向かう途中「急性心不全で」死去。だが、同社は当初匿名ジャーナリストの取材に対し、斎賀氏が「自殺した」と回答していたほか、生前懇意にしていたイーホームズの藤田東吾社長によれば、直接の死因は自転車に乗っている際に受けた、「頭への強打」。
生前社会部のデスクとして活躍していた斎賀氏は、耐震強度偽装事件発覚に際して、前述の藤田社長から信頼を得て積極的に取材を敢行。同氏を通じ、この事件の本質が①民間人に対する国交省の責任転嫁 ②非公式後援会「安晋会」を通じて安倍晋三首相が資金源としている、アパグループの偽装隠蔽、の2点であることをよく理解していた。事件の背景を分かりやすく伝える対話形式の記事を執筆するなど朝日の紙面をリードしていたが、その最中の突然の死去だった。

●鈴木啓一氏
享年48歳。朝日新聞論説委員。横浜支局時代の88年、一連のリクルート疑惑の発端となる川崎市助役への未公開株譲渡をスクープするなど、名実共に朝日を背負っていた看板記者。2006年12月17日に東京湾に浮かんでいたところを発見され、「自殺」として処理された。
最後の記事は、死の翌日同紙に掲載された、「りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍」のスクープ。2003年、当時の小泉政権による公的資金投入で救済されたりそな銀行だが、この間他の大手銀行が政治献金を自粛する一方で、りそなだけが自民党への多額の融資を行っていたことを指摘。さらに同記事では、この後3大メガバンクが自民への献金再開を準備しており、これら献金がりそな融資の穴埋め資金となる図式も解説。りそなが事実上、自民党の私有銀行化している疑いについて触れていた。


http://honkatu.blog24.fc2.com/blog-entry-232.html

記者 他殺
ご用心なされますよう、萎縮されませんよう
ーー
2006.12.23記
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%AB%C6%FC%BF%B7%CA%B9%A5%C7%A5%B9%A5%AF%BA%D8%B2%EC%B9%A7%BC%A3%A4%CF%BB%A6%B3%B2%A4%B5%A4%EC%A4%BF より引用
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朝日新聞デスク斎賀孝治は殺害された
耐震偽装事件に関して、藤田社長に協力して
耐震偽装事件に関して最も熱心に
取材をしていた斎賀孝治(斉賀孝治)氏は急死しました。
その原因に関する電凸の結果は以下のようです。
マンハッタンの新聞の日本駐在員の知人が
この一連のスレで度々話題になっている
朝日新聞デスク  斎賀 孝治
について調べてくれた。以下はその要約
彼「朝日新聞のデスクについて調べたいのですが。」
受付「人事部にかわります」
人事部「もしもし」
彼「朝日新聞の斎賀孝治と言う社員について調べたいのですが。」
人事部「少々お待ちください。弊社にはそのような社員はいませんね。
あ、いえ見つかりました。社会部の次長でした。自殺しています。二月十日です。」
彼「ありがとうございます。できれば自殺するまでに担当していた記事、特集、
コーナーやポストのようなものございましたらお教えいただけますか?」
人事部「うちではわかりかねますので社会部におつなぎします」
社会部A「もしもし。」
彼「私マンハッタンの(ヒミツ)と言う新聞社の日本特派員(ヒミツ)と申しますが
私今斎賀孝治と言うかつての社会部デスクが自殺する直前に担当していた
仕事についてお教えしていただけないでしょうか。」
社会部A「私ではお答えできませんので別の者にかわります。」
社会部B「もしもし」
彼「私マンハッタンの(ヒミツ)と言う新聞社の日本特派員で
朝日新聞の自殺した社会部次長について調べています。彼が自殺する直前に
担当していた仕事についてお教えしていただけないでしょうか。」
社会部B「申し訳ございません。ただいま社会部の重要役職が会議中なので。」
彼「ありがとうございました」
斎賀孝治は実在した。そして朝日新聞社会部の次長だった。
二月十日に自殺した。
しかし、別の人が電凸した結果は
「会社へ自転車で向かっていた途中、急性心不全を起こして亡くなりました」だったそうです。
どうやら、彼の死因は不明、もしくは変死だったらしい。
ーーーーーーーーーー
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019599&tid=bqbfl6afeya4n56auldbj&sid=552019599&mid=1251Re:耐震偽装★藤田告発が死を賭す理由 2006/10/21 2:09 [ No.1251 / 1315 ]投稿者:koganomikata
安晋会に「変死」させられたのは野口英昭さんだけではありませんね。
以下の人々が安倍晋三の命令?により安晋会により消されています。
小泉政権の闇を隠すために殺された人々
森田設計士(耐震偽装関連 怪死)
野口副社長(安晋会理事 怪死)
東江組員(沖縄旭流会幹事 惨殺)
大西社長(LD投資組合社長 行方不明)
上記の人々が、ほぼ同時期に殺害・変死・行方不明になっています
ほぼ全ての人間が「安晋会」に直接・間接に絡んでいました
姉歯建築士も「私は殺される!」という言葉を残して家族を残して
失踪し、妻は持病であった心の病が原因で自殺。
姉歯自身はホテルを転々として身を隠し
また、堀江社長は野口英昭惨殺後に貝のように押し黙り
六本木ヒルズの自室に閉じこもりセキュリティー会社を雇い
24時間体制で身の安全を守る始末。
どうやら、姉歯も堀江も安晋会に惨殺される事を凄く恐れたようです。
ーーーーーーーー
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-207.html-身の危険というと、今も誰かに命を狙われているとか!?
藤田 この号が書店に並ぶ頃には、だいぶ落ち着いていると思いますが、ずっと用心してきたのは事実です。
昨年の11月に、事件にからんだ森田設計事務所代表の森田(信秀)さんが謎の自殺を遂げてからというもの、今年2月には、朝日新聞で僕と組んでいたデスクのSさんが急死。しかも、その死因が自転車に乗っているときに倒れて頭を打って死んだというんですよ。普通、大の大人が自転車で転んで死にますか? 何か外部からの圧力があるのではと、僕も怖くなりました。その直後に自殺した姉歯さんの奥さんも含め、僕の周りには、事件にかかわったために命を落としたとしか考えられない人が大勢いるんです。(「サイゾー」 2007年1月号『マスコミによるさらなる偽装事件』より)
「サイゾー」の記事では「Sさん」となっているが、これはいうまでもなく朝日新聞の斎賀孝治デスクのことである。以前、私が「kojitakenの日記」に、『朝日新聞・斎賀デスクはなぜ死んだか』という記事を公開したところ、記事にアクセスが殺到したことがあった。
「斎賀孝治」でGoogle検索をかけると、斎賀さんへのインタビューの形式をとったasahi.comの記事が筆頭で引っかかるので、これも紹介しておく。是非リンク先を参照いただきたい。
http://www.asahi.com/kansai/wakuwaku/info1221-1.html
地震に弱いビル 次々見つかる    
建物の書類にうそ 耐震基準を下回る
       ニュースDEジャンケンポン (2005.12.21更新) 
ジャン マンションがたおれちゃうかもしれないっていう記事を読んだけど、うちはだいじょうぶかしら。
 斎賀孝治記者(朝日新聞社会部) 建物を建てるときの強さを決める書類にうそが書かれていたんだ。マンションやホテルを調べてみたら、震度5強の地震でたおれてしまうかもしれないものが続々と見つかった。
 ケン ビルがたおれたら大変だよ。 
 斎賀 そうだね。これらの建物は法律で決められている耐震基準が守られていなかったんだ。
 ポン 耐震基準って何?(朝日小学生新聞から)
  宮城県沖地震で基準を強化/阪神大震災で効果はっきり
 斎賀 地震の被害をふせぐために、どのくらいの強さの建物を建てればいいかという基準で、建築基準法にさだめている。
 ジャン どのくらいの強さで建てなければいけないの?
 斎賀 いまの基準は、震度6強から7程度の地震でも、建物がたおれるなどの被害が出ないことを目標にしている。この基準は1978年に起きた宮城県沖地震(最大震度5)で多くの建物がこわれたため、それまでの基準を強化して1981年からとり入れたんだ。
 ポン ふーん。
 斎賀 新しい耐震基準の効果は、震度7を観測した1995年の阪神大震災ではっきりした。大きな被害を受けた建物の多くが、古い基準でつくられたものだったんだ。この地震をきっかけに、地震に弱い建物をなおす法律もできたんだ。
 ケン よかったね。
 斎賀 でも、基準が正しく守られなければ意味はない。今回、問題になっている建物は、千葉県市川市に事務所をおく設計事務所の建築士が、実際は耐震基準をみたしていないのに、みたしているようなうその書類をつくったんだ。
 ジャン うその書類って? 
 斎賀 建物をつくる前に設計図をかくよね。部屋の広さや間取りのほかに、柱の太さや、建物をじょうぶにする鉄筋の数を決める必要がある。その時に、これぐらいしっかりつくればだいじょうぶと教えてくれるのが、構造計算書という書類。問題の建築士は、これを正しく書かなかったんだ。
 この建築士が建築にかかわったらしいマンションやホテルは、少なくても全国に200件ほどあって、国土交通省によると、50棟近くの書類にうそが書いてあった。調べが進むにつれ、まだふえるおそれもある。
                【きょうのポイント】
      ▽耐震基準とは地震の被害をふせぐために、どのく
      らいの強さの建物を建てればいいかという基準で、
      建築基準法にさだめている。
      ▽耐震基準は、1978年の宮城県沖地震をきっかけ
      に見直され、震度6強から7程度にたえられる建物に
      するようさだめられている。
      ▽千葉県の設計事務所の建築士は、マンションなど
      の設計に必要な耐震性にかかわる構造計算書をごま
      かしてつくった。この建築士がかかわったらしい建物は
      少なくとも全国に200件ほどあり、50棟近くの書類に
      うそが書いてあった。あぶない建物は、さらにふえるお
      それもある。
  安く建てるためごまかす?/再発防止へ国が対策を検討
 ケン だれもうそに気づかなかったのかなあ。 
 斎賀 もちろん、書類がきちんとしているか点検はしているんだ。建築確認といって、専門の検査機関が設計図や構造計算書などを調べ、「この建物は問題ありませんよ」というOKサインを出す。今回、その仕事をした人たちは「建築士のごまかし方がじょうずだったので、気づかなかった」といっている。でも、調べ方に問題があったという声もあるよ。
 ジャン 人の命にかかわることなのに、なぜ、構造計算書をごまかしたのかしら。
 斎賀 鉄筋の量をへらせば、それだけ安くビルを建てることができる。問題の建築士は、国土交通省に対して、大口のおとくいさんに、鉄筋の量を少なくするようにたのまれた、と説明している。国土交通省は、この建築士を刑事告発、つまり警察にうったえて、ごまかしのいきさつを捜査してもらう方針だ。
 ポン あぶないマンションはどうするの。
 斎賀 住んでいる人たちは、マンションを建てた会社と話し合いをしているところだよ。家を買うのにはらったお金を全部返してもらうとか、いまの場所に新しく建て直してもらうといった話が出ている。でも、とてもたくさんのお金がかかることなので、かんたんにはいかない。
 ケン どうすればあぶない建物が建たないようになるのかな。
 斎賀 国もいろいろ考えているんだ。建築士さんの腕がしっかりしているか、何年かごとに見直そうとか、書類を点検する人たちがきちんと仕事をしているか、もっとくわしく調べようとか。そんな案が出ている。家は長くくらす場所だから、安全を何よりも大切にしてほしいね
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引用終わり、優秀な記者さんを守り、断固とした姿勢で対決することが先決なのでは・・。

強制労働訴訟 三菱重工に賠償命令韓国地裁遺族に計1億1300万円

2016.8.26東京新聞より引用。
第二次大戦中に朝鮮半島から日本に強制動員され、当時の三菱重工業の機械製作所(広島市)で労働を強要されたとして、韓国人元徴用工の遺族らが三菱重工を相手に計十四億ウォン(約一億二千五百万円)の損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁は二十五日、三菱重工に対し、原告に計十二億六千万ウォン(約一億一千三百万円)を支払うよう命じた。

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