本多勝一 週刊金曜日 応援、侵略を考えるサイト

本多さんの新しい日刊紙の創刊を応援、侵略を考える。 平和憲法が危ない、改憲を阻止、警戒しよう。 あなたは戦争に行きたいですか。This site supports Honda Katuichi .

週刊金曜日とDAYSJAPANを応援するサイトです。九条を中心に日本国憲法を「改正」しよう
とするあらゆる団体に警鐘を鳴らし,日本国憲法を守るという1点で手をつないでいきましょう。
daysDAYS JAPAN 世界を視るフォトジャ-ナリズム雑誌
週刊金曜日tail週刊金曜日の紹介(既刊目次、久野収さん創刊の辞など) 週刊金曜日バックナンバー常備店
本多勝一さんの日刊新聞構想XY新聞
「タブー無き第四権力、新しい日刊新聞のために(日刊紙の詳細)、(前文
本多勝一XY新聞創刊実現掲示板 編集委員が語る週刊金曜日
2011.9.10週刊金曜日創刊18周年記念講演会(福島原発事故,本多勝一講演あり)
週刊金曜日創刊から現在までの歴史(2008.11.22大集会の冒頭映像)
本多勝一 動画(週刊金曜日創刊15周年大集会のあいさつ2008.11.22)
筑紫哲也の追悼ビデオ(2011.11.22大集会) 週刊金曜日講演会本多勝一「天才と秀才」(1994年頃)
貧困なる精神 自衛隊、旧日本軍の侵略行為(日中戦争、戦犯他)
南京大虐殺 従軍慰安婦 アメリカの侵略(ベトナム戦争など) 新聞研究地方紙、朝日など)その他、分類別は左欄のカテゴリを参照。 

本多勝一さんの提唱するXY新聞に共感しています。 応援いただける方は 本多勝一XY新聞創刊実現掲示板へ書き込みお願いします。
できることから動いていこうと思います。

残留孤児、名古屋も敗訴 名地裁、東海北陸168人の請求棄却

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070329/eve_____sya_____006.shtml
残留孤児、名古屋も敗訴 名地裁、東海北陸168人の請求棄却
(中日新聞2007.03.29)
「不当判決」と抗議する、中国残留日本人孤児訴訟の東海原告団ら=29日午後1時32分、名古屋市中区の名古屋地裁前で(山田欣也撮影)
 東海、北陸地方7県の中国残留孤児168人が、国は早期帰国を実現しなかった上、帰国後の自立支援策も不十分だったとして、1人当たり3300万円、総額約55億円の賠償を国に求めた訴訟の判決が29日、名古屋地裁であった。渡辺修明裁判長は「法律上、国に早期帰国の実現や自立支援の義務違反はない」として孤児側の請求を棄却した。
 最大の争点は、国が孤児の早期帰国のために最大限の対応をとったのかと、その後の国の自立支援策が適切であったか。
 判決理由で渡辺裁判長は「残留孤児の発生は、戦時中の国策によるものであり、国は早期に帰国を実現させるための義務があったほか、帰国後の自立支援をする義務も課せられていた」と国に義務があることを認めた上で、「国際的な状況など当時の状況に照らし合わせると、帰国や支援についての施策が著しく不合理なものではなかった」と判断した。
 訴訟では孤児側が「国が孤児を早期に帰国させるための適切な措置を戦後一貫して怠っており、1972年の日中国交回復後も政策立案が著しく遅れた。孤児が日本で自立した生活ができないのは、支援策が極めて不十分であったから」と主張した。
 国側は「法律上、早期帰国の実現や自立支援の義務はない。国交回復後も帰国を実現するのに時間がかかったほか、孤児の自立を支援するための各種施策を講じてきており、非難されるいわれはない」と真っ向から反論していた。
 名古屋地裁に提訴したのは東海、北陸地方の7県に住む60-79歳で、1977-2000年に帰国。168人のうち12人は遺族が原告となっている。帰国時の年齢は34-65歳までと成人してしばらくたってから帰国したためほとんど日本語が話せない。原告の約半数にあたる81人が提訴時に生活保護を受給していた。
 【中国残留孤児訴訟】 終戦前後の混乱の中で旧満州(中国東北部)などで肉親と生き別れになり残留を余儀なくされた中国残留孤児のうち、日本に永住帰国した人たちが、日本への帰国の遅れや、帰国後の自立支援対策が不十分だったとして、1人当たり3300万円、総額約55億円の国家賠償を求めた訴訟。全国15地裁に計約2200人が提訴し、2高裁14地裁で審理している。2006年12月の神戸地裁判決は国に賠償を命じたが、05年7月の大阪、07年1月の東京、同年3月23日の徳島の各地裁判決は孤児側の訴えを退けた。
(引用終わり、アクセス日2007.3.31)
スポンサーサイト

中国残留孤児、2年連続で身元判明ゼロ

http://www.asahi.com/national/update/0327/TKY200703270505.html
中国残留孤児、2年連続で身元判明ゼロ(朝日新聞2007年03月27日23時15分)
 厚生労働省は27日、昨年11月に中国残留日本人孤児として一時帰国し、肉親の可能性がある人とDNA鑑定を行っていた遼寧省の馮秀枝さん(推定61)と山東省の張盛華さん(推定61)について、いずれも肉親関係は認められなかったとの鑑定結果を発表した。これで今年度に孤児認定された7人について、身元判明者はゼロとなった。81年に訪日調査が始まって以来、身元が1人も判明しなかったのは、昨年度に続き2回目。
 馮さんは、弟、妹の可能性があるとして名乗り出た熊本県の兄妹と、張さんは、姉の可能性があるとして名乗り出ていた神奈川県の女性と、それぞれ鑑定を行っていた。
(引用終わり、アクセス日2007.3.31)

七尾強制連行訴訟、原告新たに2人追加

http://www.hab.co.jp/headline/news0000058755.html七尾強制連行訴訟、原告新たに2人追加 (北陸朝日放送 - 2007年3月26日17:05)
戦時中、七尾港に強制連行された中国人4人が国と荷役会社に謝罪と損害賠償を求めている裁判で、新たな原告として中国人2人を加え金沢地裁に追加提訴しました。この裁判は太平洋戦争末期の1944年、七尾港に強制連行された中国人の暢同道さんら4人が、荷役作業など過酷な長時間労働を強いられたとして、国と、当時働いていた七尾海陸運送に対し、謝罪広告と一人あたり1100万円の損害賠償を求めています。一行は26日中国河南省の王徳功さん(81)と連行者の遺族である李変さん(42)の2人を原告団に加え、金沢地方裁判所に追加提訴しました。これまでの弁論で被告の国は「1952年に当時の中華民国と結んだ日華共同条約で、賠償や財産の請求問題は完全に解決している」と主張しており、訴えの棄却を求めています。金沢地裁は2人の追加提訴分を受理し、これまでの審理と併合して協議していくということです
(引用終わり2007.3.31)


強制連行訴訟 長崎も原告敗訴 

http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/4769/強制連行長崎訴訟 第二次大戦中の1944年、旧日本軍などに捕らえられて強制連行され、長崎県にあった旧三菱鉱業(現三菱マテリアル)経営の高島、端島、崎戸の3炭鉱で過酷な労働を強いられたとして、中国人10人(うち4人は遺族)が2003年11月に提訴。元労働者は大半が中国・河北省出身で、うち2人は長崎市の旧長崎刑務所浦上支所に抑留され、長崎原爆で被爆死したとされる。強制連行訴訟では、初めて県にも賠償請求した。 原告側によると、3島に計845人が連行され、94人が死亡したという。
強制連行訴訟 長崎も原告敗訴 「除斥と時効」地裁判決 不法行為は認定
(西日本新聞2007年3月27日掲載)
 第二次大戦中に中国から強制連行され、長崎県の炭鉱で過酷な労働を強いられたり、原爆で死亡したりしたとして、中国人の元労働者と遺族計10人が国と長崎県、炭鉱を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)など2社に計2億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、長崎地裁であった。田川直之裁判長は「強制連行、労働の事実はあったが、被告の賠償責任は時の経過により消滅した」として、原告の請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
 一連の訴訟は全国で14件が係争中で、26日の宮崎地裁判決に続く原告敗訴。4月27日には、最高裁が、企業の賠償責任を認めた広島高裁判決(2004年7月)を見直す公算が大きくなるなど、原告側に厳しい判決が続いている。
 田川裁判長は「強制連行・労働は国が政策決定し、県は施策の実現に関与。企業も原告の身体・自由を違法に侵害した」と述べ、国と県、企業の不法行為を認めた。さらに、国家賠償法施行(1947年)前の行為には、国は賠償責任は負わないとする「国家無答責」の法理について「人倫に反する極めて違法性の強い事案」として適用しなかった。
 しかし、不法行為から20年で賠償請求権が画一的に消えるとされる「除斥期間」が過ぎているとして原告側の請求を退けた。
 また、企業についても「過酷で危険な条件下で暴力を使って働かせた責任はある」として、三菱マテリアルにだけ安全配慮義務違反による損害賠償責任を認めたが、中国国民が私事で出国することが法律上可能になった86年から10年で時効が成立し、原告の請求権は消滅したと判断した。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/minami/20070328/20070328_001.shtml
「不当判決」原告ら怒り 強制連行長崎訴訟で敗訴 李さんら「勝つまで戦う」=2007/03/28付 西日本新聞朝刊=2007年03月28日00時44分
 中国人原告らの司法救済の願いは、再び「時の壁」にはね返された。強制連行と強制労働について、国や県、企業の不法行為は認めながらも、賠償責任までは問えないとした27日の長崎地裁判決。「不当判決。われわれは勝利をつかむまで戦い続ける」。前日の宮崎地裁判決に続く原告全面敗訴に、原告や支援者からは怒りや失望の声が交錯した。
 判決後、長崎市内での会見には、来日した原告2人や弁護士のほか、数人の支援者が出席。宮崎地裁判決に続く敗訴に、出席者たちは一応に落胆した表情だった。
 「負けるはずがないと思っていたが…」。三菱端島炭鉱で強制労働を強いられた原告の1人、李慶雲さん(81)は、固い表情を崩さなかった。李さんは「どんな判決が出ても、われわれを奴隷のように扱い、苦しめた歴史の事実は消せない。最後には私たちが勝利を得ると信じている」と涙ながらに訴えた。
 三菱崎戸炭鉱で働かされ、父親が被爆死した原告遺族の喬愛民さん(65)は「不公平な判決で、本当に憤っている。父の恨みを晴らすためにも勝つまで戦う」と怒りをあらわにした。
 一方、「長崎の中国人強制連行裁判を支援する会」の本島等会長は「残念で仕方がないが、勝つまで努力するしかない」と言葉少なに会場を後にした。
 原告団支援者の平野伸人さん(60)も「司法は歴史の真実を断罪することから目を背けている。今後、日本と中国両政府による政治的な解決しか、被害者が救われる道はない」と、ショックを隠せない様子だった。
(引用終わり、アクセス日2007.3.31)

中国人元労働者ら敗訴 宮崎の強制連行訴訟2007.3.26

http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news4/article.php?topicsid=5&pack=CN&storyid=7703
中国人元労働者ら敗訴 宮崎の強制連行訴訟

福井新聞3月26日午後1時51分
 戦時中、宮崎県日之影町の槙峰鉱山に強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者7人と故人1人の遺族が日本政府と鉱山を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)に計約1億8400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁(徳岡由美子裁判長)は26日、請求を棄却した。各地で係争中の強制連行訴訟と同様、(1)国は個人に対し賠償責任を負わないとする明治憲法下の「国家無答責の法理」が適用されるかどうか(2)原告の損害賠償請求権が被害から20年の除斥期間が過ぎて消滅したかどうか-が争点だった。原告側によると、槙峰鉱山には太平洋戦争末期ごろ、主に中国の山東省から250人が強制連行され、病気などで77人が帰国できずに死亡した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007032600011時事通信2007/03/26-19:29
強制連行訴訟、中国人原告敗訴=「時の壁」国と三菱マへの請求棄却-宮崎地裁  第2次世界大戦中、日本に強制連行され、宮崎県内の銅山で過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら13人が国と三菱マテリアル(旧三菱鉱業)を相手に元労働者1人当たり2300万円、総額約1億8400万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が26日、宮崎地裁であった。徳岡由美子裁判長は、国と同社の不法行為責任などを認めたが、時の経過を理由に賠償などの請求権が消滅したとして請求を棄却した。
 原告側は判決を不服とし、福岡高裁宮崎支部に即日控訴した。
(引用終わり)
ーーーーーーーー
判決後、原告が控訴するかどうかも記事に入れてほしいものだ。入ってないと原告が諦めた印象を与えている気がするのですが・・。
(アクセス日2007.3.27PM23:40)

ニュース記事の引用について2

先日部分引用することを書きましたが、ネットのニュースサイトのリード文では記事が短縮形で寸詰まりとなり、結論がわからない場合もある。(Googleなど)、ヤフーニュースは毎日、読売が引用訴訟中で使わない。よって考慮の結果ニュースサイトの引用は全文引用させていただきます。
新聞社から引用で指摘があった場合は速やかに対処させていただきます。著作権は新聞社など発行元にあることはもちろんです。ネットニュースはいずれリンク切れもあり保存に耐えないので全文「保存」する意図もあります。趣旨ご理解のほどお願いします。

破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち

破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち、P96より引用
伊藤孝司編著、風媒社
金大日1916年生まれ朝鮮民主主義人民共和国開城市在住

朝鮮と中国の女性150人を並べ首切りを始めたのです
p100
1日40~50人もの兵隊が部屋の前に列をつくって「早く早く」とせかし、部屋に入るとすぐにのしかかってきたのです。(中略)
p101、102
私の隣の部屋にいた人が妊娠してしまいました。それにもかかわらず、兵隊たちは性行為を強要した上に、胎児を無理やり出してごぼう剣で刺し殺し、その女性も殺してしまったのです。(中略)
日本の敗戦が決定的になった時、兵隊たちは私たち朝鮮と中国の女性150人ほどを2列に並ばせました。そして、小隊長が号令をかけて首切りを始めたのです。飛び散った血の雨で、私は意識を失って倒れてしまいました。気が付くと血みどろになって、私は死体の中に埋まっていました。その血の海の中で助かったのは、私の他には2人だけでした。(中略)
私が、日本人からもらった物は病気だけです。子宮は滅茶苦茶にされ、心臓は痛いし、大腸をやられたのでいつも下痢をしています。
日本人は、自分の娘や妻やお母さんがこのような体験をさせられたらどうしますか。だから、私にとってはお金が問題ではありません。私の12年間の苦労と、殺された女性たちについて良く考えるべきです。(後略)
*本より、慰安婦にさせられた経緯の略
・家が貧しく米と引き換えに12歳のときお手伝いさんとして、金持ちの家へ、その後日本人の紡績工場へ売られる
・1932年、日本人「福田」に「食べ物に困らないところに連れて行ってあげる」と言われ、汽車で釜山港へ、船で下関で、日本人シズエを名乗らされ、大阪の病院へ
・18歳のとき院長に襲われ、1934年見知らぬ日本人へ引き渡され東京へつれて行き、軍隊の「従軍慰安婦」として満州、上海、漢口、南京に送り込まれた。(以上引用とまとめ終わり)
------------
右翼が怖くて難しかろうが今こそ、旧日本軍の被害にあったアジア全域の人々のルポ、掘り起こしを新聞等で行えないだろうか。生存者もかなり少なくなり(残された時間も少ない)私含め戦後派の若者には意識的にこのような書物を読まないと日本軍の侵略行為は巧妙に隠され、なかったこと、戦争として美化される風潮になってしまう。過去の反省、被害国への共感尊重にはまず事実の蓄積が必要だろうと思う。

従軍慰安婦のニュース2007.3.16,3.22政治家の暴言

http://kumanichi.com/news/kyodo/index.cfm?id=20070326000424&cid=politics
「拉致と慰安婦は別問題」 首相、米紙批判に反論熊本日日新聞 (会員登録) - 2007年3月26日 22:18
安倍晋三首相は26日夜、米紙ワシントン・ポストから拉致問題には熱心な一方で従軍慰安婦問題の責任を回避していると批判されたことに対し「全く別の問題だ。拉致問題は現在進行形の問題だ」と反論した。 首相は「いま従軍慰安婦の問題は、続いているわけではない。 ...

http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007032601000464.html
「日本軍関与せず」と表明 下村氏、慰安婦問題で東京新聞 -2007年03月26日 18時25分)
下村博文官房副長官は26日午後の記者会見で、戦時中の従軍慰安婦問題に関し「日本軍の関与はなかったと私自身は認識している」と表明した。政府は1993年の河野洋平官房長官談話で慰安所の設置や管理、慰安婦の移送について軍の関与を認めており「河野談話を逸脱する ...

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0326-00001.htm
国際社会から糾弾される歪んだ歴史観「従軍慰安婦」、強制連行否認する日本の政治家たち「つまらない言い訳をするな」[朝鮮新報 2007.3.26]
 「従軍慰安婦」問題をめぐる安倍首相の暴言。本紙で紹介したように、米紙ニューヨークタイムズは6日付社説で、「恥ずべき過去を克服する第一歩は、それを事実と認めることだ」と、強く批判した。さらに、シーファー駐日米大使は16日、米下院外交委公聴会で証言した3人の元「従軍慰安婦」について、「彼女らは売春を強制されたと思う。旧日本軍に強姦されたということだ」と在京の欧米メディアの記者団に語った。大使は「私は証言した女性の言葉を信じる」と指摘、「そういうことが起きたのは残念で、痛ましいことだ」とも述べ、売春の強制は「自明の理」だと語ったという。さらにオランダ外相も同国駐在の日本大使を呼んで「強制連行はなかった」という安倍発言に対し、強い憂慮と不快感を伝え、先日来日した豪のハワード首相も日本政府に「つまらない言い訳をするな」と一喝したことが伝えられている。
繰り返す過ち
「女性セブン」も特集を組んだ日本の政治家たちの呆れた暴言の数々
 自らの過ちをやっきになって否認する日本の政治家たちに対して、アジア諸国はもとより欧米の政治家、世論まで呆れ、怒り、非難を強めている。
 しかし、振り返ればこの国の政治家たちは、昔から同じ過ちを繰り返してきた。なぜ、政治家たちは過去に学ばないのか。近年、日本の新聞はじめ各メディアもそれらの暴言を黙認、あるいは同調し、彼らと共犯関係を築いてきた。その中にあって、週刊誌「女性セブン」(3月29日号)が「あ然呆然 政治家たちの暴言史」と題する特集を組んで、「ああ、この人たちの頭の中を覗いてみたい-」と嘆いた。頭の中を覗かれた政治家たちの暴言の一部を同誌から紹介してみよう。
 「南京大虐殺はでっちあげ」(永野茂門法務大臣=94年・全国紙のインタビューで)
 「核とは『抑止力』なんですよ。強姦したらなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど核の抑止力があるからそうならない」(西村眞悟防衛政務次官=99年・週刊誌誌上で)
 「日本は天皇を中心とする神の国」(森喜朗首相=00年・都内で開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の祝賀会で)
 「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」(石原慎太郎都知事=00年・陸上自衛隊の記念式典で)
 「朝鮮の人たちが仕事がしにくかった。だから名字をくれといったのが(創氏改名の)そもそものはじまりだ」(麻生太郎自民党政調会長=03年・東京大学学園祭で)
 「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近い」(太田誠一自民党議員=03年・鹿児島市の公開討論で)
 同誌はこれ以外にも柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言や伊吹文科相の「人権メタポリック症候群」発言なども紹介し、「ますます酷くなっていく政治家たちの暴言」に強い警鐘を鳴らしたのである。
偽造、忘却、無知
日本軍による性奴隷制を告発した絵画(レメディアス・フェリアス著「もうひとつのレイテ戦」より)
 そればかりではない。今話題の東国原宮崎県知事が15日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見した際の「従軍慰安婦」問題についての暴言もまた、許しがたい。
 「性的奴隷を慰安所に集めるに当たって強制があったかどうか別にして、朝鮮半島が〝双方合意のうえで〟合併された1910年から1945年当時は、売春は合法だったから、朝鮮半島から売春婦が日本に来て性的な商売をするのはなんら問題はなかった」(ジャパンタイムズ)と。
 この東国原暴言には、朝鮮併合、「従軍慰安婦」問題、強制連行など日本で跋扈するゆがんだ言説のすべてが収められている。歴史の偽造、忘却、それによる無知といった日本以外では全く通用しないわい曲された歴史観だ。 数々の資料や被害者たちの証言によって日本軍「慰安婦」という性奴隷にされた女性たちの大半は、日本の植民地、占領地の10代の少女たちであり、その企画、立案、管理などを大日本帝国が行ったことは紛れもない歴史の真実である。殺され、病によって無念の死を遂げた被害者たちも多い。それは、無類の戦争犯罪、性犯罪であり、国際法違反である。
 加害者は処罰もされず、大手を振って生き延びて、被害者は差別され、惨苦の60余年を生きてきた。そして、勇気を持って、証言台に立ったとき、またしても罵声を浴びせられた。体と心に深い傷を受けた被害女性たちを再び侮辱する加害国日本の政治家たちの暴言の数々…。
 97年に死去した南の被害者・姜徳景ハルモニは、遺言として「責任者を処罰せよ」という題の絵を描き残した。被害女性たちの多くは高齢で、次々と死を迎えている。日本政府に謝罪と補償をさせて、ハルモニたちの無念は今こそ晴らされなければならない。(朴日粉記者)

http://news.livedoor.com/article/detail/3078463/東国原知事が慰安婦問題で「強制の確証ない」=外国人特派員協会の会見で
【PJ 2007年03月16日】- 宮崎県の東国原知事が3月14日(水)、都内の外国人特派員協会での記者会見で「従軍慰安婦問題」について見解を問われ、きっぱりと我が国政府の責任を否定した。(The Japan Times online Thursday,March15,2007 )
 「従軍慰安婦が実際に存在した歴史的確証がない。強制的な慰安婦が存在したかどうかは客観的に確かめられなければならない。両国合意の上で朝鮮半島は日本に併合され、1910年から1945年の間、合法的であった売春婦が日本に出稼ぎに来るのに、何の問題もなかった。今頃になって韓国は日本に植民地支配され、慰安婦を強制されたと言っているが、戦勝国アメリカの力を借りて言っているだけ」。
 アメリカ・韓国・中国のマスコミが大問題にしている安倍首相の「慰安婦になることを強制した事実はない」という発言について、これだけ明確な見解を述べた政治家は少ない。日本のマスコミは、何故この発言を採り上げないのか分からないが、自分たちで作り上げたイメージが壊れるのを恐れてのことだろうか。テレビや新聞でも報道されていたのは、安倍内閣の支持率低下に言及した「国民の体温を感じていないのでは」という指摘だけだった。
 タレント出身と軽く見られがちな東国原知事は、意外にも骨っぽい見識を持った政治家かもしれない。今後も、この人物の言動には目が離せない。【了】
(引用終わり、朝鮮日報、ライブドアニュースは全文引用した)
東国原知事の暴言は新聞テレビでは全く報道されていない、外国人特派員協会の会見は放映された記憶があるが、カットされている!!

国民投票法案の公聴会4月5日の公募

http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_osirase.htmより引用。(アクセス日2007.3.24 PM12:30)
日本国憲法に関する調査特別委員会公聴会の公述人公募のお知らせ
                      平成19年3月23日

    衆議院日本国憲法に関する調査特別委員長  中 山 太 郎

 衆議院の日本国憲法に関する調査特別委員会は「日本国憲法の改正手続に関する法律案
(第164回国会、保岡興治君外5名提出)及び日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(第164回国会、枝野幸男君外3名提出)」につき下記の要領で公聴会を開きますから、意見をお述べになりたい方は進んでお申し出ください。
                  記

1 問   題  日本国憲法の改正手続に関する法律案(第164回国会、保岡興治君外5名提出)及び日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(第164回国会、枝野幸男君外3名提出)について
2 日   時  平成19年4月5日(木) 午前9時
3 場   所  衆議院内
4 申出の方法  東京都千代田区永田町1-7-1(郵便番号100-8960)衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局気付日本国憲法に関する調査特別委員長あてに、意見を述べようとする理由及び具体的事項並びに問題に対する賛否を文書で申し出てください。
なお、住所、氏名(ふりがな)、年齢、職業及び電話番号を明記してください。
5 申出の期限  平成19年3月30日(金) 正午
6 出席者の選定通知
  申し出た方の中から委員会で選定の上、通知いたします。
7 旅費日当   出席者には旅費日当を支給いたします。
      なお、お問い合わせは衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局まで
                   電話 東京03(3581)5563


国民投票法案の公聴会

http://www.news-pj.net/kenpoushingi/index.htmlより引用。(アクセス日2007.3.24)
28日公聴会(大阪・新潟)は公募しない! 公聴会の化けの皮はまだまだ厚い!憲法審議ってば、今どうなってるの?国会速報No.13(07/03/23) ~弁護士 猿田佐世 ~ 

(中略)
5日東京の公聴会の公募締め切りは、3月30日正午まで。急いで申込を!! 
●今、やること 
(1)衆議院憲法調査会事務局(電話:03-3581-5563)に、地方公聴会をもっとやれ!と苦情を寄せること 
(2)5日の東京公聴会に、みんなであふれさせるほど応募すること↓
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_osirase.htm

3月28日 新潟 朝9時40分~午前11時40分(2時間だけ) 
   大阪 午後4時~午後6時(2時間だけ) 
<3月29日 衆院憲法調査特別委員会に国民投票法案提出>(小生追記)
4月5日の東京公聴会では公述人を公募している
4月12日は(衆議院)強行採決が予定されている日です!!! 

●最後に、3月22日の公聴会 
昨日の公聴会の全体については、ゆっくり後で書くとするが、一番ひどかった点は、愛知和男自民党議員が、公述人全員に意見を聞いておきながら、「法案を作ることに反対のあなたには意見は聞きません」と言って、高田健さんの発言を封じ込めたこと。公聴会をやってるくせに反対派の意見を聞かない?ふざけるにも程がある。 
 
まあ、良かったことと言えば、自民党推薦の公述人も含め、今国会での成立を求めた人は1人もいなかったことである。公明党(与党)推薦の江橋崇公述人までもが、今国会で成立させる必要はない、としたし、他の公述人も強く半狂乱状態で急いでいる与党の姿勢を留める発言をした。(15:24) 
(以上引用終わり)

国民投票法案2007.3.22,3.20

Googleニュースより引用http://news.google.co.jp/nwshp?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=dn&q=%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%8A%95%E7%A5%A8%E6%B3%95%E6%A1%88(アクセス日2007.3.22 PM23:00頃)
国民投票の対象などで意見 投票法案で公聴会熊本日日新聞 (会員登録) - 3時間前
衆院憲法調査特別委員会は22日午後、自民、公明両党と民主党がそれぞれ提出した憲法改正手続きを定める国民投票法案についての中央公聴会を、同日午前に続いて開いた。 公述人の本田雅俊政策研究大学院大助教授は、民主党案が国政の重要課題も国民投票の対象としている ...

国民投票法案、採決に慎重意見=衆院憲法特別委の中央公聴会時事通信 - 4時間前
衆院憲法調査特別委員会は22日午後、憲法改正手続きを定める国民投票法案に関する中央公聴会を続行し、野党推薦の公述人からは同法案の採決に慎重な意見が相次いだ。本田雅俊政策研究大学院大助教授(国民新党推薦)は「与党案が多数決で可決、成立すれば、国民には危険 ...

ゼンガクレン老闘士、国民投票法案廃案訴え 国会前集う
朝日新聞 - 2007年3月20日
60年安保闘争に参加した元全学連(全日本学生自治会総連合)のメンバーら約50人が20日、憲法改定の手続きを定める国民投票法案の廃案を訴え、国会前でハンガーストライキや座り込みの抗議行動を始めた。「9条改憲阻止の会」として憲法記念日の5月3日まで続ける。...

引用について

個人のブログなので、引用元、リンク先など明示すれば著作権には
引っかからないと思っていましたが、http://www.asahi.com/chizai/など見るとネットは不特定多数が見るので、私的利用にはあたらず、まずいようだ。前から気になってはいたのだが。これからニュースサイトの全文引用は止めようと思う。読売、毎日、産経はサイトの見出し引用もだめと
Gogle相手に訴訟起こし、1審は敗訴、現在控訴中とか。
見出しは1審でOKになったから、上記3社以外の「見出し」は使わせていただきます。原則以下の方針を採ります。
----------
著作権・肖像権等の考え方
■引用・リンク
1)新聞・雑誌・書籍等
以下の5点を原則に適宜引用させて頂いておりますが、万一、著作権/肖像権等の観点から問題があるとお考えの場合は、当サイトのコメント欄、トラックバックでご指摘下さい。 可及的速やかに対処致します。
<<原則>>
・出典を明記する。
・通常の「引用」の範疇に留める。
・画像はオリジナルよりかなり小さなサイズで掲載する。

■本HPコンテンツ
リンクはフリーですが、必ずトップページにリンクを貼って下さい。なるべくなら、リンクした旨をコメント、TBにてご連絡下さい。
引用・コピー等もフリーですが、営利利用は禁止致します。
※もちろん、本HPの処々で引用させて頂いている文章の著作権は、オリジナルの作者に帰属していることは言うまでもありません。
(以上はhttp://homepage2.nifty.com/divingforjoy/ を参考にした)
---------
引用とは、引用されているより、オリジナルの文章のほうが長くないと引用とはいえないそうで、私のはコピ&ペーストだからな。新聞社のニュースサイトもそのうち無くなるから保存が利かないのだけどね。自分のPCのHDDに保存する以外、ブログ公開すると著作権だそうだ。
とりあえず今後見出しとニュースサイトのリード文のみ今後も取りあえず見逃してね新聞社さん。引用多いほどよい記事と思ってくれたらな。

参考:見出しは著作物にはあたらない~東京地裁、読売新聞の訴えを棄却 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/03/25/2558.htmlhttp://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/compedu/?%A5%EA%A5%F3%A5%AF%A4%CB%B5%F6%B2%C4%A4%CF%C9%D4%CD%D7%A4%C7%A4%B9
(アクセス日:2007.3.23)


国民投票法案、来月衆院通過へ=衆院憲法特委、22日に公聴会

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070320-00000222-jij-pol
2007年3月20日21時1分配信 時事通信
 自民、公明両党は20日、憲法改正手続きを定める国民投票法案を4月中旬にも衆院を通過させる方針を固めた。民主党の協力が得られない場合も与党単独で採決する構え。改憲を夏の参院選の争点に掲げる安倍晋三首相の意向を踏まえたもので、同法案が6月23日までの今国会で成立する可能性が高まった
 同法案を審議している衆院憲法調査特別委員会は20日の理事懇談会で、28日と4月5日を軸に地方公聴会と2回目の中央公聴会をそれぞれ開催することで合意した。同特別委は22日に1回目の中央公聴会を開催するが、この日程の議決に反発していた野党の要求を受け入れた。 

不発弾 2007.1~3月

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070319-00000015-ryu-oki
黄燐手りゅう弾1個を発見 浦添の工事現場3月19日16時0分配信 琉球新報
 19日午前9時40分ごろ、浦添市仲間の工事現場で不発弾が発煙しているとの通報が陸上自衛隊不発弾処理隊にあった。同隊によると、見つかったのはこぶし大ほどの黄燐(おうりん)発煙手りゅう弾1個。現場に駆け付けた隊員が残りの燐が燃え尽きるまで監視。燃え広がる危険性はないという。けが人はなかった。
 破損、もしくは腐食した手りゅう弾が掘り起こされ、燐が空気と触れたことで発煙した可能性があるという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070317-00000009-ryu-oki
複数の油送管発見、小銃弾も キャンプ桑江跡地
3月17日11時3分配信 琉球新報
米軍基地跡地から発見された複数の油送管=16日、北谷町キャンプ桑江北側跡地
 【北谷】北谷町が区画整理を進めるキャンプ桑江北側跡地から16日、複数の油送管、小銃弾480発、不発弾1発が発見された。確認した北谷町職員によると、現場付近で油臭を確認したという。那覇防衛施設局は油送管発見に伴う土壌汚染の範囲調査を6月以降に実施するという。
 いずれも北谷町の実施する磁気探査作業中に発見。発見現場では油分による汚染で変色したとみられる土壌も確認されたという。発見現場は埋蔵文化財の平安山原A遺跡の近くで、土壌汚染が同遺跡まで及んでいないか懸念される。小銃弾、不発弾は19日以降、回収されるという。
 同跡地からは、地主へ引き渡し後の2005年12月にも、磁気探査で発見された燃料タンクから土壌汚染が確認されている。
 同地の地権者でもある北谷町軍用地等地主会の玉城清松副会長は「国からの引き渡し後、町が区画整理を進めているが、事業を阻害する要因が現場から発見されている。国はそのことに対する認識が甘いのではないか」と糾弾。その上で「引き渡し後もこのようにいろいろ出てくると、区画整理終了後も地主は安心して土地利用ができない。今後、関係機関の責任者に現状を訴え、特定跡地給付金の支給期間延長を求めていく」と強調した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070314-00000109-mailo-l19
不発弾:鉄くずから旧軍の不発弾 陸自処理、火薬なく--富士吉田 /山梨
3月14日12時1分配信 毎日新聞
 13日正午ごろ、富士吉田市上吉田の鉄くず処理会社「伊東商店」で、鉄くずの中に旧陸軍の不発弾1個(長さ40センチ、直径10センチ)が混じっているのを選別作業中の男性作業員(44)が発見した。周辺住民は一時避難し、陸上自衛隊東部方面後方支援隊(埼玉県朝霞市)が処理。信管は付いていたが火薬は入っていなかったため爆発の危険性はないことが分かった。
 富士吉田署によると、不発弾が入っていた鉄くずは、大月、都留市内の一般廃棄物の処理を行っている大月都留広域事務組合に12日、会社や家庭などから持ち込まれた約11トンのごみに入っていた可能性が高いという。
 陸上自衛隊の不発弾処理隊によると、不発弾は旧日本陸軍の10センチ砲弾で、同隊が回収した。【沢田勇、藤野基文】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070313-00000242-mailo-l41
不発弾:米軍の機雷発見--唐津・北浜沖 /佐賀
3月13日15時1分配信 毎日新聞
 12日午前10時過ぎ、唐津市湊町の北浜海水浴場沖約200メートルの海底で、光ケーブルの設置作業をしていた業者が、水深3メートルの海底下70センチの砂地に埋まっている金属製の筒を磁器探査で見つけた。
 通報を受けた唐津海上保安部から依頼を受け、海上自衛隊佐世保水中処分隊が調査したところ、筒は米軍の機雷と判明した。内部まで腐食が進んでおり、爆発の危険性は低いという。
 同部の調べなどによると、機雷はスクリュー音や船体の磁気に反応して爆発する米海軍MK―25型で長さ2メートル、直径60センチ、重さ852キロ。第二次世界大戦中に使用されたとみられる。今後の処理方法は未定。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070312-00000138-mai-pol
<クラスター爆弾>「防衛上必要」久間防衛相が答弁3月12日22時14分配信 毎日新聞
 久間章生防衛相は12日の参院予算委員会で、不発弾が市民を無差別に殺傷しているとの批判の強いクラスター爆弾について「日本が持っているのは外国を攻めるためではない。海岸線が長く、敵が上陸してきた時には撃破を広範囲にわたってしなければいけない」と語り、防衛の観点から必要との認識を示した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070306-00000003-rcdc-cn
日本軍の爆弾か!?長江で巨大不発弾発見される―上海市3月6日6時42分配信 Record China
拡大写真
2007年2月19日、上海市の長江流域で航空爆弾が発見され、3月5日、警官らが引き揚げ作業を進めた。

爆弾専門班は、「この爆弾は日本軍か国民党空軍の不発弾」と推測し、鑑定後は消防局に速やかな処分を依頼する、と話していた。
2007年3月5日午前、上海市の長江流域で、長さ約2.6m、直径40cmの航空爆弾の引き上げ作業が行われた。この爆弾は、2月19日に漁師によって発見されたもので、この日は10人の警官と爆弾専門班の担当者によって作業が進行した。
大量の泥がついているこの爆弾は、どんな爆弾なのか、まだその実体が確認されていない。現場にいた爆弾専門班担当者は、「この爆弾には2つの可能性がある。1つは日本軍による上海空爆時の不発弾、もう1つは1950年の国民党空軍による上海呉淞爆撃時の不発弾だ。いずれにしても、この大きな爆弾は長江の海底に数十年間沈んでいた。爆発の危険性もまだあり、速やかな処分が必要とされる。鑑定後は、すぐに上海消防局に引き渡し、処分を行いたい」と説明した。(編集・饒波貴子)

http://kikikanri.city.kobe.jp/ougi/index.html
最終更新日 平成19年3月5日(引用者注:神戸市危機管理室より)
(神戸市)東灘区青木(おうぎ)不発弾の処理作業は無事終了しました。
 2月6日(火)、東灘区青木5丁目で発見された不発弾の処理について、本日3月4日(日)7時30分に神戸市不発弾処理現地対策本部を設置し、9時37分から開始された陸上自衛隊中部方面後方支援隊第103不発弾処理隊による処理作業が無事終了し、13時45分 安全化宣言をいたしました。
 処理作業が行われている間、周辺住民の方々の避難をはじめ、阪神電車の一部運休、阪神高速道路、国道などの交通規制など、広域にわたり市民生活に影響が及び、ご不便をおかけしましたが、安全に処理を終え、市民の安全・安心なくらしを確保することができました。
  陸上自衛隊、兵庫県警察をはじめとする関係機関各位、そして市民、事業者の皆様の多大なるご理解とご協力に、あらためて深く御礼申し上げます
   神戸市不発弾処理対策本部 本部長 神戸市長 矢田立郎

不発弾処理作業の終了のお知らせ及びお礼
 本日3月4日(日)実施していた、神戸市東灘区青木5丁目で発見された不発弾の処理作業は、確認がとれましたので、13時45分の安全化宣言をもって終了しました。
 これに伴い、本日7時45分に設定した、災害対策基本法第63条に基づく警戒区域、立入りの制限等も解除しました。区域内に居住または勤務等されている方におかれては、避難等にご協力いただきありがとうございました。
 また、道路及び交通機関の開通・再開は以下のとおりです。
  ・阪神高速道路3号神戸線(摩耶~芦屋の間) 13時50分から規制解除・開通
  ・一般道
   国道43号(深江神大前交差点-瀬戸交差点間)
     13時55分から規制解除・開通しました。
   避難対象区域内のそのほかの道路 
     13時57分から規制解除・開通しました。
  ・阪神電車
     14時10分から通常運転に戻りました。
マイカー利用の自粛等について、ご協力いただき、誠にありがとうございました。

不発弾について
発見場所 東灘区青木5丁目11番25号 の解体作業現場(マンション建設予定用地)

不発弾の状況
米国製500ポンド(250キロ)爆弾 1個(信管あり)
不発弾の周囲に、処理にあたり必要な防護壁を作りました。周囲にライナープレートを組んだうえで(写真1)、土のうを高さ5m積みました(写真2)。
3月4日の処理作業終了後、不発弾を現場から搬出しました(写真3は外された信管です。写真4は搬出中の様子です。)。

不発弾処理の実施日時
平成19年3月4日(日)9時37分から13時45分まで

避難対象区域・避難時間など
避難対象区域・避難場所
不発弾処理作業中の安全を確保するため、災害対策基本法第63条に基づき、不発弾処理現場から概ね半径300mの範囲に警戒区域を設定しました。
警戒区域内(=避難対象区域)に居住または勤務されている方には、区域外に避難していただきました。なお、当日は避難場所を設けました(開設は7:45)。
避難を要する住所と目安となる避難場所は以下のとおりでした。
避難を要する住所 目安となる避難場所
青木4丁目2・3番
青木5丁目
青木6丁目1・3~5番 本庄小学校
本庄中学校
北青木1丁目2番の一部
北青木2丁目1~3・5番、10番の一部 本山南小学校
北青木2丁目6~8番
北青木3丁目1番、2番の一部、5番15号、7~10番、20番の一部 福池小学校
青木1丁目1番の一部
青木2丁目1番の一部、2番の一部、3番の一部、9~16番 魚崎中学校
※ 避難される方は、飲み物や昼食、防寒対策を、持病のある方は薬などを各自準備してください
※ 各避難所に手話通訳者がいます
避難時間
8時から安全化宣言を行った13時45分まで(計約6時間)

対象者数
約4,500世帯 人口約10,000人
事業所約200か所(なお、事業所を含む実際の訪問軒数は 2,657軒)

避難場所への避難者数
避難場所 最大避難人数(9:00現在) 延べ人数
本庄小学校 56人 74人
本庄中学校 32人 39人
本山南小学校 58人 69人
福池小学校 31人 45人
魚崎中学校 28人 34人
合計 205人 261人

避難誘導
8時から避難対象区域内の住民及び事業所を戸別訪問し、確認等のため避難誘導しました。

避難される方へご注意していただいたこと
電気は必要最小限以外切ってください
ガスは屋内のガス栓を、水道は蛇口を必ず閉めてください
灯油などの危険物は屋内に入れてください
火の元・戸締まりには、十分注意してください(処理開始前までは、警察が巡回パトロールを行いますが、以後は安全確保上実施できません。戸締りには、特にご注意ください。)

避難場所でお願いしたこと
昼食、飲料水はご自分で用意してください
ご自身で防寒対策(重ね着やざぶとん・携帯カイロなどの持参)をお願いします
ごみはすべてお持ち帰りください
貴重品や履物はご自身で管理してください
車の乗り入れはできません。駐車場もありません
ペットを連れての避難はご遠慮ください

「ひとり暮らしのお年寄りの人」「体の不自由な人」の避難について
ひとり暮らしの高齢者や体の不自由な人などについては、保健師等による事前訪問調査を実施し、特別な対応が必要な場合は個別対応を行いました。(計36件)

救護所での対応
各避難場所ごとに救護所を設置しました。(計3件対応 すべて軽症)

処理概要
実施機関
陸上自衛隊(陸上自衛隊中部方面後方支援隊 第103不発弾処理隊、陸上自衛隊第3師団)
国土交通省近畿地方整備局兵庫国道事務所
兵庫県警察本部・東灘警察署、
兵庫県防災企画局・神戸県民局
阪神高速道路㈱
阪神電鉄㈱
大阪ガス㈱
関西電力㈱
西日本電信電話㈱、
神戸市医師会・東灘区医師会
東灘消防団
本庄小学校区防災福祉コミュニティ
本山南小学校区防災福祉コミュニティ
福池小学校区防災福祉コミュニティ
魚崎町防災福祉コミュニティ
その他(東灘交通安全協会、神戸の絆2005、K-TECなど)
神戸市
(計17機関 約1,500名)

処理方法
現地で信管除去等の安全措置を行い、その後、搬出しました。
【進行状況】
時間 内容
7:27 神戸市不発弾処理現地対策本部設置
7:45 災害対策基本法第63条に基づく警戒区域の設定、避難場所の開設
8:00 陸上自衛隊が、現地対策本部から処理現場(=発見場所)へ出発
8:00 避難誘導開始
8:30 高速道路・一般道路の通行止、阪神電車の一部運休の開始
9:35 区域外への避難等の完了
9:37 処理開始
13:45 信管除去処理終了、安全確認のうえ安全化宣言、
警戒区域の設定等を解除
13:50 阪神高速道路3号神戸線の規制解除
13:55 国道43号の規制解除
13:57 その他一般道の規制解除
14:10 阪神電車が通常運転再開
14:30 避難場所閉鎖
14:43 神戸市不発弾処理現地対策本部を閉鎖
神戸市不発弾処理対策本部を閉鎖

神戸市不発弾処理対策本部の設置
平成19年2月6日付で設置した神戸市事故警戒本部を、2月13日正午をもって神戸市不発弾処理対策本部へ切り替えました(場所:市役所1号館8階 市防災情報センタ-内、本部長 神戸市長)。処理作業の終了等に伴い平成19年3月4日14時43分をもって閉鎖しました。

神戸市不発弾処理現地対策本部の設置
当日(平成19年3月4日(日))の午前7時30分をもって、神戸市不発弾処理現地対策本部(場所:神戸大学海事科学部体育館(神戸市東灘区深江南町5-1-1)、本部長 神戸市長) を設置しました。処理作業の終了等に伴い平成19年3月4日14時43分をもって閉鎖しました。

避難についての周知方法
広報紙「広報こうべ 2007年(平成19年)3月号」5面に掲載 
東灘区民広報紙「東灘コミコミ」臨時号の配布
神戸市・東灘区ホームページへ掲載
周知チラシの配布
広報車による広報(神戸市・警察署・消防署)
ひょうご防災ネット・防災行政無線による避難情報の発信

高速道路・一般道の通行止について 
阪神高速道路3号神戸線 
1 日     時    平成19年3月4日(日)
             本線閉鎖・・・・・・・8:30~13:50
             入口閉鎖・・・・・・・8:00~13:50
2 通行止区間    3号神戸線   摩耶~芦屋の間(西行、東行とも)
3 閉 鎖 入 口    ○東行   湊川(東行)入口、柳原(東行)入口、京橋(東行)入口、摩耶(東行)入口、魚崎入口
           ○西行   尼崎西入口、西宮入口、深江入口
一般道 
1 日       時    平成19年3月4日(日)
                ○国道43号:8:30~13:55
                ○そのほかの道路:8:30~13:57
2 規 制 範 囲    不発弾から半径300メートル以内(避難区域)と、その周辺道路
3 規制路線・区間
  ○国道43号:深江神大前交差点-瀬戸交差点間で西行・東行とも通行止
  ○そのほかの道路:避難対象区域内を通行止
   ※鳴尾御影線は通行可能です
   ※青木幹線深田交差点より南行き通行止めです
阪神電車の一部運休について
1 日   時    平成19年3月4(日)8:30~14:10
2 不通区間    阪神電鉄全線 西宮駅~御影駅間
3 折返区間
  (1)大阪方面・・・・・西宮駅で折り返し運転を実施
              ※急行・普通列車の運転になります。特急の運転はございません。
  (2)神戸方面・・・・・御影駅での折り返し運転を実施
              ※通常通り、特急・普通列車の運転になります。
4 振替輸送
  (1)輸送機関   JR西日本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大阪駅~神戸駅間
     及び区間   阪急電鉄・神戸高速鉄道・・・・・・・・・梅田駅~高速神戸駅間
  (2)対   象   不通区間を含む定期券、回数券等をお持ちの方のお客様
交通規制の影響
今回の交通規制の実施により、高速道路等で約60,000台の車、阪神電車で約28,000人に影響したと予想されます。
渋滞については国道2号(東灘区田中町4丁目 西行)で最大3.0kmの渋滞が生じました。
警戒区域の設定及びそれに伴う規制等の解除に関する広報
解除時は、ひょうご防災ネット、防災行政無線及び広報車にて広報しました。また、このページでも情報提供しました。神戸市役所及び東灘区役所において電話の問合せに対応しました。なお、阪神電車の運行再開については、阪神電鉄の駅構内放送及び車内放送を実施しました。

ひょうご防災ネット
携帯電話のインターネット機能を利用し、県・市から防災情報や防犯情報を発信しています。今回の不発弾処理状況なども、このシステムによりお伝えしました。ぜひ、登録してください。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070201-00000007-rcdc-cn
工事現場で日中戦争時の不発弾発見―河南省鄭州市
2月1日11時22分配信 Record China
拡大写真
長さ1m、重さ50kgの古い爆弾が工事現場から発見され、慎重に安全な場所へと移された。これは日中戦争時に使われた飛行機爆弾だとのこと。

2007年1月31日、河南省鄭州市の中州通りと金水路の交差点、金水立体交差橋北側のある工事現場で、長さ1m、最も太い部分の直径が30cm前後、重さ50kg余りの爆弾が発見された。
爆発物の専門家がすぐに現場を訪れ、この爆弾の検査を行った。終了するとパトカーのトランクに盛った土に爆弾を埋め、安全な場所に移した。これは日中戦争(1937~1945年)時に使われた、飛行機爆弾の不発弾だという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070117-00000001-rcdc-cn
工事現場で発見、日本軍の不発弾―重慶市
1月17日9時1分配信 Record China
拡大写真
工事現場で地面を掘り返していたところ、地中に埋まっていた不発弾がでてきた。警察の調査の結果、これはかつて日本軍が重慶を空爆した際の不発弾だということが判明した。

2007年1月14日の夜7時、重慶市の化竜橋の工事現場で、数台の掘削機が作業を行っていた。地面をほじくり返していたところ目の前に爆弾が現れたので、作業員たちは慌てて警察に通報した。
現場作業員の張(ジャン)さんの話によると、この爆弾は直径約30cm、長さ60cm、重さが50kgぐらいあるという。爆弾の表面にはたくさんのさびがついており、かなり時がたっているものと思われる。
通報を受けた警官が現場を調べた結果、これはかつての日本軍の爆弾と判明。戦争当時、日本軍が重慶を空爆するときに投下した不発弾とみている。その後専用車両が手配され、爆弾処理専門家がこの爆弾を安全な場所に移す作業を行った。



従軍慰安婦問題、政府は道義的責任ある=村山元首相(

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070320-00000931-reu-int
3月20日17時24分配信 ロイター
 [東京 19日 ロイター] 村山富市元首相(83)は19日、ロイターとのインタビューに応じ、日本政府は従軍慰安婦問題について道義的責任があると述べ、政府または軍による強制連行を示す証拠がないとした安倍晋三首相の発言を暗に批判した。
 村山元首相は、日本政府や軍が強制的に連行したか否かの議論は無意味だとした上で「軍が関与して慰安所を設置、監督したのは間違いない。その限りにおいては政府の責任はある」と述べた。元首相は第2次世界大戦を正当化するような政治家の動きにも触れ「アジアの人は、昔の日本に戻るのではと心配している」と話した。
 村山元首相はまた、今回の慰安婦問題に対する安倍首相の対応の一部に問題があったとの考えを示した。安倍首相は先に、旧日本軍の関与を認めて慰安婦への謝罪を表明した1993年の「河野談話」を踏襲する一方、日本軍または政府関係者が慰安婦の強制連行に直接かかわった証拠はないと発言している。
 さらに、米議会で慰安婦問題に対する日本政府の謝罪を求めた決議案が提出されたのを受けて、安倍首相が「決議が採択されてもあらためて謝罪しない」とした発言については「言う必要がないことを言っている」と述べた。
 旧社会党出身の村山元首相は戦後50年の1995年、アジア各国に対し、日本の過去の侵略や植民地支配に関する公式謝罪を行った。

棄兵棄民を問う 下京区 シベリア抑留でシンポ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070318-00000042-kyt-l26
3月18日23時48分配信 京都新聞
「シベリア抑留の原点を考えるシンポジウム」が18日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で開かれ、元抑留者ら約60人が集まった。研究者たちが明治以後の日本の対外政策や第二次世界大戦終結時の旧ソ連と日本政府、軍の思惑などを検証、多くの日本人が朝鮮半島や中国東北部からシベリアに抑留された背景に迫った。
 シンポジウムは、関西在住の元抑留者や遺族でつくる「棄兵棄民政策による国家賠償を勝ち取る会」の主催。終戦時、国が旧満州や朝鮮半島の日本人を「棄民化」する方針を持っていたとされることに焦点をあてた。
 日露歴史研究センターの白井久也代表は明治以後の対外政策の歴史をたどり「なぜ多くの日本人が満州にいたのか。抑留者は国際法上、正しく処遇されたのか」と抑留問題を考える二つの視点の大切さを強調した。
 ユーラシア研究所の堀江則雄事務局長は、スターリンが経済再建の計画に外国人将兵の労働力も組み入れていたと指摘。「国体護持のために日本軍将兵の役務提供もやむなしとした日本政府や軍の動きがスターリンの思惑通りになった。帰国を願った日本兵に対する重大な裏切り」とした。
 国家賠償訴訟の提訴に向け準備を進める林明治同会代表は「棄兵棄民の責任を問うことが戦争を経験した私たちの務め」と訴えた。

戦後補償裁判で、中国人原告が意見陳述 最高裁で初

http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200703160327.html
2007年03月16日18時52分朝日
 第2次大戦中に強制連行され、広島県内の水力発電所の建設現場で過酷な労働をさせられたとして、中国人の元労働者ら5人が西松建設(本社・東京都)を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は16日、双方の意見を聞く弁論を開いた。この日の法廷では、原告2人が意見陳述した。一連の戦後補償裁判で、中国人の原告が最高裁に出廷して意見を述べるのは初めて。
最高裁に入る邵義誠さん(前列右)と宋継堯さん(同左)=16日、東京・隼町で
 大戦末期に原告らが連行されたのは、同県の安野発電所。西松建設の工事現場で中国人360人が働かされ、栄養失調や事故などで29人が死亡したという。
 原告の宋継堯さん(79)は、強制労働のさなかに両目を失明した。車いすで出廷し、「公正な判決を望む」と訴えた。
 邵義誠さん(81)は19歳のとき、路上で突然男たちに拉致されて日本に連れてこられたという。「食べ物は十分ではなく、水を飲んでごまかした。病気になって動けなくなると、食事はさらに半分に減らされた」と説明。「西松建設からは報酬も謝罪もない」と怒りをあらわにした。
 第二小法廷は、72年の日中共同声明で中国人個人の損害賠償請求権が放棄されたかどうかに絞って審理する。2人の原告と代理人は「中国政府側は、個人の賠償請求権まで放棄したという取り扱いはしていない。一方的な解釈をすれば外交問題に発展するのは必至だ」と主張した。
 二審・広島高裁判決は、原告の請求を棄却した一審判決を取り消して同社に総額2750万円の支払いを命じた。しかし、二審の結論を維持する場合には必要がない弁論が開かれたことから、原告側が逆転敗訴する見通しだ。

戦時強制連行 中国人11人、2審で逆転敗訴 新潟訴訟

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070315-00000005-maip-soci
3月15日9時53分配信 毎日新聞

中国人強制連行訴訟控訴審判決の言い渡し後、「不当判決」と書いた紙を掲げて立ちつくす原告ら=東京高裁前で14日午後2時11分
 第二次世界大戦中に新潟港へ強制連行され労働を強いられたとして、中国人男性11人(うち5人死亡)が、国と新潟市の港湾運送会社「リンコーコーポレーション」に2億7500万円の賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は14日、請求を棄却する原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。安倍嘉人裁判長は「戦前の不法行為について国に責任はなく、会社への賠償請求権は時効で消滅した」と指摘した。
 判決は強制連行の事実は認め「国と会社が身体、自由などの権利を違法に侵害した」と指摘。だが、国について、戦後の国家賠償法制定以前の行為は賠償責任がないとの「国家無答責の法理」などを理由に免責した。会社については「労働者への安全配慮義務に違反した」と判断しつつ、請求権が10年でなくなる民法上の消滅時効の成立を認めた。
 1審・新潟地裁は04年3月、会社の同義務違反とそれを放置した国の責任を認めた上で「時効の主張は権利の乱用」として、強制連行訴訟で初めて両者に8800万円の支払いを命じていた。
 1審判決後に亡くなった張文彬さんの二男で原告の一憲さん(52)は判決後の会見で遺影を胸に「非常に憤りを覚える。正義と公正を明らかにするよう闘い続ける。被害者が黙り込むことはない」と話した。【高倉友彰、北上田剛】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070315-00000129-mailo-l15
中国人強制連行訴訟:原告敗訴 法廷に飛び交う抗議--控訴審判決 /新潟3月15日13時1分配信 毎日新聞
 ◇「歴史の公正取り戻す」
 「父には安心してほしい。もし負けても、最後まで闘い抜く」。原告側の逆転敗訴となった14日の中国人強制連行訴訟・控訴審判決。判決前日、そう話していた被害者の遺族、張一憲さん(52)は父の遺影を胸に判決に臨んだ。原告だった父・張文彬さんは、控訴審を最後まで見届けることなく死去。敗訴が告げられ、抗議の声、怒号で騒然とする法廷で、一憲さんは静かに天を仰いだ。【北上田剛、黒田阿紗子】
 東京高裁101号法廷。安倍嘉人裁判長が原告敗訴とする判決を読み上げると、傍聴席からは「ひどい」、「バカみたいな判決出すな」と抗議の声が飛んだ。
 弁護団長の中村洋二郎弁護士は判決後、「(敗訴が続く)同様訴訟の突破口になる判決がほしかった」。一憲さんは「歴史の公正を取り戻せるよう、これからも闘っていきたい」と怒りをあらわにしながら、上告の意思を明らかにした。
 99年8月、第1次提訴に踏み切った文彬さんは1審判決後、裁判の勝利を願う遺言を残し、83歳で亡くなった。1944年に日本軍に捕らえられ、新潟に連行。真冬でも着替えも支給されないまま、新潟港で石炭の積み下ろしなどを強制された。小麦粉などで作った少量のまんじゅうしか与えられず、外に生えている雑草を食べたこともあった。
 その後、広島に連行された文彬さんは、刑務所内で被爆。帰国後も、強制連行・労働に加え、被爆による症状が続いた。一憲さんは子供のころに見た、夜も痛みで眠れず、薬が手放せなかった父の姿を覚えている。175センチの身長で、体重が40キロを切ったこともあったという。
 新潟地裁の勝訴判決を「本当に喜んでいた」という文彬さん。慢性気管支炎や肺気腫、肺結核など九つの症状に悩まされながら、04年12月に亡くなった。
 「長い裁判になる。私がいなくなっても、次の世代が引き継いで闘い抜いてほしい」。逆転敗訴の判決を受け、一憲さんには父の言葉がいっそう重く感じられた。
 ◇外務省アジア大洋州局中国課の話
 国側の全面勝訴で、これまでの主張が認められたものと思っている。
 ◇中村弁護団長の話
 時効や除斥という時間で形式的に片づけた不当判決。到底承知できず、ただちに上告したい。
………………………………………………………………………………
 ◇中国人強制連行新潟訴訟の争点
    判決   事実認定 国家無答責 安全配慮義務違反 除斥 時効
1審  原告勝訴 ○    ○     国、企業     ×  ○
控訴審 原告敗訴 ○    ×     企業のみ     ×  ×

中国人強制連行で現場検証 七尾訴訟

http://www.mro.co.jp/news/newscontents.html?newsdate=20070207&sno=5第二次世界大戦末期に七尾港へ強制連行され過酷な労働を強いられたとして中国人の元労働者が国などを訴えている裁判で、金沢地方裁判所は7日七尾港での現場検証を行ないました。
この裁判は中国・河南省出身の暢同道さん82歳や馬得志さん83歳ら中国人4人が、第二次大戦末期の1944年に七尾港に強制連行され1年間に渡って過酷な労働を強いられたとして国と当時働いていた会社に対し合わせて4400万円の損害賠償などを求めているものです。
金沢地方裁判所から裁判官ら3人が七尾港を訪れ、当時、中国人労働者が船の荷物の積み下ろしを行なっていた場所や宿舎の跡地などで現場検証を行ないました。
検証には62年ぶりに現地を訪れたという原告の1人暢同道さんが立ち会い、自ら荷物をかつぐなど当時の様子を再現し説明しました。
訴えによりますと当時、暢さんらは満足な食事も与えられないまま朝から晩まで働かされた上、日本人の監督者に棒で殴られるなどの苦痛を受けたとしています。

憲法改悪のための「国民投票法案」に反対する

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/kokumin-touhyou-houan.htmより引用。
--憲法改悪反対の議論や運動を禁止する驚くべき言論弾圧法案--
まんが版「本当は恐ろしい国民投票法アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名 事務局作成より引用

[1]言論の自由・表現の自由の圧殺。憲法違反をやってまで憲法を改悪する--これが「国民投票法案」の本質。
[2]憲法改悪を容易にするための様々な手練手管--国民がじっくり考えないように、できるだけ簡単に、どさくさ紛れに。

憲法で定められた要件である「国民投票の過半数」も、有権者の過半数でもなければ、全投票者数の過半数でもなく、全投票数から無効票を差し引いた有効投票の過半数とされています(01議連案54条、04骨子案 第四)。「国民投票の過半数」の解釈の中で最も少ない数字を選んでいるのです。しかも、国民投票が成立するための最低投票率については何も定められておらず、このままでは、非常に低い投票率でも、そこで過半数を取れば、国民の承認があったとみなされてしまうのです

[3]この法案の3分の1は、何と規制・罰則に関するもの--法案の眼目は、憲法改悪反対の意思表明や運動の規制。(1)マスコミは憲法に関する記事や論説を自由に載せられなくなる!
(2)公務員は改憲に関する意見を公然と表明できない!
(3)教員は子どもたちの前で憲法改悪に反対することができない!
中学や高校の教員が公民や政経の授業で憲法の大切さを教えたり、大学教授が憲法の意義を説く講義を行ったりすることが、この法案では、1年以下の禁錮または30万円以下の罰金を課せられる犯罪行為となってしまいます(01議連案91条3)。「教育者は、学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して国民投票運動を行うことができない」(01議連案65条、04骨子案 第八-二)とあるからです。
 さらに、その教員が公立学校に勤務する公務員であるなら、先に述べた公務員としての規制にも抵触してしまいます。
 日頃の活動では、憲法の大切さを説きながら、いざ、その憲法が危機に瀕した時には、その発言が封じ込められるというのは、まったくゆゆしき事態です。これは学問の自由、大学の自治、そして子どもたちの教育を受ける権利に対する重大な侵害です。
(4)外国人は国民投票運動が禁じられている!
(5)意見広告はOK――資金力の差が宣伝の差に直結これは、喜ばしいことでしょうか? そうではありません。資金力のない市民団体が寄付金を募っても、紙面の4分の1ぐらいの「憲法改悪反対」の意見広告を1、2回出すぐらいが関の山かも知れません。その一方で、与党や財界関係の著名な民間人や企業が「我々は改憲に賛成する」というような全面広告を何度も出せば、その影響力は計り知れないものとなるでしょう。明らかに改憲派、すなわち資金が豊富な者が物を言う、そういう法案なのです。

[4]「国民投票法」=“言論弾圧法”から生み出される憲法は、基本的人権否定の言論弾圧憲法に他ならない。
(1) 詳しく読めば読むほど、空恐ろしくなる法案です。こんな法案がもしも国会に上程されてしまえばたいへんです。その本質を一言で言えば“言論弾圧法”ともいうべきものなのです。
 私たちは、2004年春、相次いで起こった反戦平和運動や護憲運動に対する不当逮捕、不当弾圧事件、言論弾圧事件を想起します。一連の言論弾圧の流れの中で、今回の「国民投票法案」を考える必要があります。
※「市民がビラを配っただけで逮捕される「事件」相次ぐ――イラク派兵と軌を一にした言論弾圧、反対運動への不当弾圧に抗議する--思想・信条の自由、表現の自由、結社の自由への攻撃を許すな!」(署名事務局)
 一つ目は、自衛隊のイラク派兵に反対するビラを配布するために自衛隊員の住む官舎に入ったとの容疑で市民3人が逮捕された「事件」。二つ目は、イラク派兵反対、共産党の機関紙『赤旗』の号外を配ったとして社会保険事務所の係長が逮捕された「事件」。この係長は公人として勤務中にビラを撒いたのではなく、休日に一私人として撒いたことが犯罪とされたのです。一方は一般市民、もう一方は国家公務員、一方は派兵反対のビラ、他方は護憲のビラ、一方は「住居侵入罪」、他方は「国家公務員の政治活動違反」--それぞれ事実関係や状況が異なりますが、いずれもビラ配りをしただけであり全く合法的な行為です。明らかにイラクへの自衛隊派兵と軌を一にした不当逮捕、不当弾圧です。

憲法「改正」を進める国民投票法案に反対する意見ー自由法曹団

憲法国民投票法案の公聴会開催の議決強行に抗議する(談話)社民党2007年3月15日

福島党首への脅迫事件に強く抗議する(談話)2007年3月2日社民党

憲法調査推進議員連盟→国民投票法案を推進する議員(今度の参議院選挙、衆議院選挙で落選させよう!!)(引用終わり)
-----------
過去の日本軍の侵略行為も追及するが、改憲への動きが風雲急を告げてきた。改憲への危機的状況を今後も警告喚起していく。

国民投票法案、来月中旬衆院通過へ…民主との調整断念

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070316-00000201-yom-pol
3月16日3時6分配信 読売新聞
 憲法改正の手続きを定める国民投票法案が4月中旬に衆院を通過する見通しとなった。
 自民、公明両党は15日、民主党との共同修正案の提出を断念し、衆院憲法調査特別委員会に与党修正案を単独で提出したうえ、4月13日にも衆院本会議で可決、参院に送付する方針を固めた。これにより、安倍首相が最重要法案に掲げる同法案が今国会で成立する公算が大きくなった。
 同法案を巡っては、15日の衆院憲法調査特別委で、中央公聴会の22日の開催が与党の賛成多数で議決された。野党は反発しているが、与党は公聴会後に修正案を提出し、数回の審議を経て、4月12日に特別委で採決する構えだ。参院でも週2回のペースで特別委員会を開き、今国会での成立を目指す。

飛び交う怒号・罵声 国民投票法案 『問答無用の首相怖い』

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20070315/eve_____sei_____001.shtml
2007年3月15日東京新聞
憲法改正手続きを定める国民投票法案で十五日、中央公聴会日程が二十二日と決まり、安倍首相が目指す憲法記念日までの法案成立が現実味を帯びてきた。  この日午前十時半すぎ衆院憲法調査特別委員会は予定より一時間以上遅れて開会。法案に反対する市民など約三十人が傍聴席で見守る中、民主、社民、共産の議員が中山太郎委員長に詰め寄った。
 中山委員長が公聴会開催を決める提案を読み上げようとすると与野党から怒号や罵声(ばせい)が飛び交い、中山委員長の声はかき消された。終了後、中山委員長は「誠心誠意を尽くしたが…」と民主党が反対に回ったことに残念そうな表情を見せた。
 民主党の枝野幸男氏は「国民投票法は中立な法律でなければならない。安倍首相は基本が分かっていない。憲法が政局の道具に使われた」と首相を批判。社民党の辻元清美氏は「首相は憲法をおもちゃにしているような気がして憤りを感じる。イケイケの小泉さんより、問答無用の安倍さんの方が怖い」と訴えた。

22日に中央公聴会 国民投票法案で与党が単独議決

http://www.asahi.com/politics/update/0315/004.html
2007年03月15日12時18分
衆院憲法調査特別委員会(中山太郎委員長)は15日の委員会で、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、法案採決の前提となる22日の中央公聴会の日程を、自民、公明両党の賛成多数で決めた。
 与党側は当初、22日の中央公聴会のみを提案。15日午前になって野党に譲歩し、26日に地方公聴会を2カ所で開くことを提案した。民主党など野党は「2カ所では少ない」などとして、地方公聴会を複数日にわたって開くよう要求し、与党提案の日程に反対した。
 そのため与党側は、地方公聴会の日程を留保。野党側が中山委員長に詰めより抗議するなか、単独で中央公聴会の日程の議決に踏み切った。

9条改憲に「待った」 市民団体が街頭活動

http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000000703030002
2007年03月04日
 安倍首相が、戦争放棄や軍隊を持たないことを定めた憲法9条の改定に向けて国民投票法案の成立を急ぐなか、広島の市民グループが「待った」をかけようと3日、街頭キャンペーンを始めた。安倍首相が法成立の目標とする憲法記念日(5月3日)まで「このままでいいのですか?」と呼びかけを続ける。(武田肇)
 「改憲手続き法はいらない!」。広島市中区の本通商店街入り口で市民団体「第九条の会ヒロシマ」(世話人代表=岡本三夫・広島修道大名誉教授)のメンバーが横断幕を持ち、道行く人に9条を変えるかどうかを問う「シール投票」を呼びかけた。立ち止まる人は少ないが、それでも徐々に「変えない」欄が埋まっていった。岡本さんは「改憲反対を呼びかけながらの投票なので、賛成の人は参加しにくいかも。でも、9条を守りたいと考える市民が多数と信じています」。
 憲法を変えるための国民投票の具体的な手続きを定める国民投票法案に、メンバーは「9条改悪に踏み込む悪法」と批判する。
 ただ、自分たちで物事を決めるという観点に立てば、国民投票法案に反対するのは民主主義の原則と矛盾するとの指摘もある。これについて、メンバーの横原由紀夫さん(66)=同市佐伯区=は言う。「いまの選挙の現状を考えると、きわめて低投票率で改憲が決まってしまう恐れがある。大切なことは、改憲を急ぐ政治の流れをいったん止め、国の形である憲法について議論する十分な時間をつくることではないでしょうか」

旧日本軍毒ガス遺棄訴訟、二審も中国人被害者の請求棄却

http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY200703130281.html2007年03月13日19時41分
 旧日本軍が日中戦争の終了間際に地中に隠した毒ガスや砲弾で被害を受けたとして、中国人5人が日本政府に計8000万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が13日、東京高裁であった。大喜多啓光裁判長は、毒ガス兵器の遺棄を違法と認めたが、被害の回避は結果的に困難だったとして、請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。弁護団は上告する方針。
 毒ガス兵器遺棄について、国は一審で認否を明らかにせず、二審では他国の兵器だった可能性もあるなどと争ったが、退けられた。
 判決は、人の生活圏内に放置された毒ガスの危険性は切迫している▽旧日本軍関係者からの聞き取りなどで危険は予見できた――と認定。ただ、遺棄場所などを特定できず、主権の及ばない中国での被害回避は困難だったと判断し、国の賠償責任は認めなかった。

東京大空襲 被害者、遺族ら国提訴 12億円の賠償請求

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070310-00000004-maip-soci
3月10日9時49分配信 毎日新聞
 1945年3月10日、約10万人の命が失われた東京大空襲の被害者や遺族ら112人(57~88歳)が、国に1人当たり1100万円(総額約12億3200万円)の損害賠償と謝罪を求め9日、東京地裁に提訴した。原告団によると、空襲被害者の集団訴訟は初めて。
 原告は現在、東京、大阪、北海道など20都道府県に住み、弁護団は全国30都道府県の110人。訴状には、原告全員の被災や戦後の生活実態を1ページずつ盛り込んだ。
 訴状によると、旧軍人・軍属やその遺族は国家補償を受けているが、空襲などの民間被害者に補償制度がないことから「法の下の平等に反する」と主張。大空襲が、日本軍の中国・重慶爆撃などの先行行為(原因)の結果として受けた被害である点からも、国に責任があると指摘している。このほか、空襲被害の実態調査や国立の追悼施設建設を求め、首相名での謝罪文を官報に載せることも請求している。
 空襲訴訟をめぐっては最高裁が87年、名古屋市の2女性が国家賠償を求めた訴訟で「戦争は非常事態であり、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならなかった」との判断を示し、原告敗訴が確定している。
 軍属に対する補償を所管する厚生労働省援護課は「当方の業務に対する請求であれば、訴状をみて対応を検討したい」としている。【森禎行】
 ◇民間被害者に補償制度なし
 原告ら約100人は午後1時「10万人が殺された」「補償を」などと日本語と英語で書かれた横断幕やプラカードを持って、東京地裁へ。提訴後、記者会見し、思いを訴えた。
 空襲で両親と姉、弟の4人を失った豊村美恵子さん(80)は、終戦間際の米軍の機銃掃射で失った右腕を示しながら「国は何もしてこなかった。心の傷を持つ人が次々に亡くなる。今言わないと」と声を詰まらせた。父と姉を失った清岡美知子さん(83)は「無念で亡くなった人も、提訴を喜んでいると思う。結果を見届けたい」。
 星野弘・原告団長(76)は「補償要求でなく、制度を変えてほしいという声も多い。いつから民間人と旧軍人らで補償に差が生まれたか、裁判を通してはっきりさせたい」と訴えた。

砲弾367個発見 爆発恐れなし、福岡市

http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000000703020001
2007年03月02日
穴の中に不発弾が転がっていた=福岡市博多区東比恵3丁目で
 1日午後2時20分ごろ、福岡市博多区東比恵3丁目のビル建設工事現場で、「地中に爆弾のようなものがある」と現場の作業員から博多署に通報があった。陸上自衛隊目達原駐屯地(佐賀県吉野ケ里町)の不発弾処理隊がかけつけ、戦時中のものとみられる砲弾や迫撃砲弾計367個を発見、爆発の恐れがないことを確認。作業中、付近の国道3号などが一時、通行止めになった。付近には小学校やマンションなどがあるが、危険性がなかったため避難措置はとらなかった。
 調べでは、見つかったのは直径12・5~13・5センチ、長さ35センチほどの砲弾で、深さ約2メートルの地中に埋まっていた。旧日本軍のものとみられる。いずれも信管はついていなかった。自衛隊が持ち帰って処理する予定という。

南京虐殺、黄さん語る 長崎市で集い2006年12月12日

http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000110612120001
旧日本軍による南京での虐殺について考える「長崎と南京を結ぶ集い」が9日、長崎市筑後町の県教育文化会館であった。南京市から参加した黄恵珍さん(84)は、南京で旧日本軍から性的暴行を受けたと証言。日中間で再び戦争の悲劇を繰り返さないように、と切望した。
 集いは、岡まさはる記念長崎平和資料館が毎年開催。7回目となる今回は約70人が集まった。
 日本軍は首都南京の南京城に入城した1937年12月から翌年1月にかけて現地の住民らを虐殺したとされる。
 黄さんは南京で、日本兵から強姦(ごうかん)されたというつらい体験を証言。後にそのことを知った夫から、暴力をふるわれたと涙ながらに語った。
 また、5、6人の日本兵が、隣のおばあさんを刀で切りつけたのを目撃したほか、「日本兵が7、8人の中国人を林で一人ひとり刺し殺したという話を母親から聞いた」とも証言した。
 黄さんは「日本と中国の間で、二度と戦争が起こらないように願います」と訴えた。
 集いでは、同館と友好提携している南京大虐殺記念館展示室主任の陳登鳳さん(43)も講演。「歴史の過ちを再び犯さないために、歴史から学ばなければならない」と話した。

【赤十字の記憶 61年目の夏に】

http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000140608140001
日赤和歌山490救護班【上】
2006年08月14日
弥陀三尊像に祈りを捧げる道北さん(左)、辻さん(中)、平井さん(右)=8月6日、和歌山市堀止西2丁目で
 ――ビルマに散った15人―― 前線に孤立、徒歩で逃避行
 強い日差しが照りつけていた。8月6日午前10時すぎ。年配の女性3人が、目を閉じて読経した。
 和歌山市堀止西2丁目、忠霊塔の横。木立の陰に、太平洋戦争のビルマ(現ミャンマー)戦線の死者を悼む弥陀(みだ)三尊像がひっそりと立つ。3人はペットボトルの水を三尊像にかけた。「水飲みたい、水飲みたい、ゆうてたなあ」
               □  ■  □
 3人は辻房子さん(86)。平井越子さん(86)。道北澄子さん(79)。赤十字の旗のもと、従軍看護婦として戦火のビルマに派遣された。「日赤和歌山490救護班」。23人で編成した490班は、15人の命がビルマで消えた。
 赤十字社の看護婦は本来、ジュネーブ条約で敵の攻撃から保護されていた。それなのに490班は戦闘に巻き込まれて壊滅。ありえない犠牲だった。生き抜いた3人の記憶をたどる。
               □  ■  □
 1943年11月。490班は広島を出港。シンガポールを経て、44年2月にビルマ・ラングーン(現ヤンゴン)へ。4月、ラングーンの北約30キロのローガで、ジャングルを開いて106兵站(へいたん)病院ローガ分院を造るのを手伝い、そこで勤務した。
 病院近くや寄宿舎には、大蛇や毒蛇、サソリが出た。「靴を履く時、サソリが中に入ってないかいつも確かめた」。平井さんは振り返る。日本軍はインド北東部のインパール作戦で英軍などに大敗北。7万人以上の死傷者を出した。ローガも傷病兵であふれた。
 45年1月。ローガから北約150キロのパウンデーへ転属になった。最前線に近い118兵站病院。重傷患者ばかりだった。「夜にロウソクの明かりで手術介助した。麻酔も切れた」と道北さんは話す。
 ビルマ北中部のメイクテーラとマンダレーが陥落。ラングーンのビルマ方面軍司令部は東のモールメンへ撤退した。
 490班がいたパウンデーは、前線に取り残されたまま孤立した。
               □  ■  □
 4月27日。上司に指示された。「荷物まとめろ」「頭は三角巾(きん)」「制服は着ない」……。
 490班の23人は開襟シャツにもんぺ姿。隣国タイに向かって歩いて逃げた。標高600メートルほどだが、ほとんど道がない密林のペグー山脈へ入った。
 「食べ物も水もなく、1週間ぐらいは食べないのが当たり前だった」。道北さんは当時を思い返す。昼は隠れて寝て、夜に移動した。「何かに蹴躓(けつまづ)いたと思ったら、死んだ兵隊の足だった」
 5月9日。看護婦の小上よし子さんが病死した。遺骨を持ち帰るため、同僚が泣きながら小上さんの指を焼いていた。道北さんはその光景を忘れることができない。
 5月18日、ウェドン村に到着。半月以上かかってペグー山脈を抜けた。12日間、まともな食事もとれなかった。やっと得た休息。食事を取ろう――。その時、銃声が響いた。490班が受けた最初の敵襲だった。
(この連載は永井啓吾が担当します)
http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000140608140002
日赤和歌山490救護班【中】
2006年08月14日
 ――敵襲逃れ濁流の河へ―― 8人飛び込み2人落命
 1945年5月18日。ビルマ(現ミャンマー)中南部のウェドン村。
 崩壊したビルマ戦線を抜け出し、タイへと逃げていく118兵站(へいたん)病院の約200人。その中に辻房子さん(86)、平井越子さん(86)、道北澄子さん(79)たち「日赤和歌山490救護班」の22人の姿もあった。
 道北さんは、民家の近くの大きな井戸で米を炊く準備をしていた。
 「看護婦は裏へ逃げよ!」。突然、誰かが叫んだ。その瞬間、銃声が聞こえた。敵襲だ――。
               □ ■ □
 「日赤は死んではいかん!」「山の向こうに友軍がいる」「離れてバラバラで行け!」
 道北さんは夢中で葦(あし)原に走り込み、胸まで水につかりながら逃げた。葦の葉で切れて両腕は血まみれ、足の裏も切れた。
 このとき490班の看護婦2人が命を落とす。片畑まさよさんと辻雪子さん。書記の池本力松さん、使丁の長井庄平さんも……。
 長井さんは、険しいペグー山脈を越えるときも鍋を担いでいた。「鍋いっぱいに飯炊いて、看護婦のこの子らに食わすまで鍋は離さん」。道北さんが最後に聞いた長井さんの言葉だった。
               □ ■ □
 逃れた看護婦は18人。このうち道北さんら8人は東へ進みシッタン河に突き当たった。「怒涛(どとう)の濁流。ゴゴーっと凄い音だった」。川幅500メートル以上。対岸ははるか遠くにかすんでいた。
 「大きな河や、どうする?」「渡らなしゃあないやろ」「死ぬんも生きるんも一緒やで!」
 8人は一緒に飛び込んだ。「必死で泳いだけど、流されて、流されて……」。道北さんは何とか対岸にたどり着いた。
 だが、山入貞子さんと射場房子さんがいなかった。
 「山入さーん、射場さーん」。道北さんたちは繰り返し呼んだ。泣きながら地面をたたいた。
 2人は泳ぎはうまくなかった。それなのに河に飛び込む時、何も言わなかった。「みんなの出発を遅らせてはいけない、と思ってたんでしょうね」。道北さんは目を伏せた。
               □ ■ □
 6人は河畔で呆然(ぼうぜん)としていた。そこへ婦長の中尾敏子さんら4人が合流した。
 「生きていかんといけんのに、何してんの」「行きましょ、あの山へ行きましょ」「もう誰も死なんとこな」――。中尾さんが励ました。2日かけて山を越えた。「眠たいなあ」「きれいな水、腹いっぱい飲みたいなあ」。道北さんが思わず地面に座り込んだ。「元気出していこうよ」。中尾さんは傷ついた足に、バナナの葉を巻いてくれた。
 カンカンカンカン。鐘が突然鳴った。侵入者を知らせる敵軍の合図だったようだ。パンッパンッ。銃声が続いた。
 シッタン河の東、チョロ村。ここが490班の壊滅の地となった。
http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000140608160001
日赤和歌山490救護班【下】
2006年08月16日
 ――包囲・銃弾 落命6人――
 1945年5月20日、ビルマ(現ミャンマー)中南部山中のチョロ村。
 ビルマに派遣された「日赤和歌山490救護班」は、タイへ逃げる途中だった。看護婦ら23人の班員は7人が死亡、6人がはぐれた。残った道北澄子さん(79)ら10人は、チョロ村の草原で包囲された。
 四方から敵兵がだんだんと近づいてくる。同行の兵士数人と窪(くぼ)地に身を伏せて息を殺した。カチッ、カチッ。いくつもの銃口が向けられているのを感じた。
   □ ■ □
 「みんな、自決しましょう。捕虜になったらいけません」
 婦長の中尾敏子さんはそう言うと、ベルトを外して自分の首に巻いた。みんなも倣った。
 「死ぬのはいつでも死ねる。生きるだけ生きるんや」。兵士の1人が諭すように言った。みんな一斉に走って逃げた。ピュー、ピューと音を立てて銃弾が飛び交った。
 道北さんは左太ももを撃たれた。「止血せな」と叫ぶ同僚に、「私もうあかん。放っといて」と制した。体がしびれ、耳鳴りがした。かすむ目に映ったのは、隣で倒れた田中君代さんの死に顔。道北さんは叫んだ。
 「婦長さん殺してよ、死に切れんやんよ」
 「私、もうあかん。あんた、自分で死になさい」
 そして遠のいていく意識の中で、振り絞るような中尾さんの声を聞いた。「天皇陛下万歳」
 気づくと、道北さんは民家で毛布をかけられ、応急手当てをされていた。重傷の同僚2人も一緒だった。もう1人が別のところで拘束された。
 しかし中尾さん、田中さんのほか、狩野重子さん、原すみ枝さん、池田八重さん、中原忠子さんの計6人が命を落とした。誰もが赤十字のブローチを身に着けていた。
   □ ■ □
 道北さんら10人とはぐれた辻房子さん(86)、平井越子さん(86)ら6人も地元民に拘束され、英軍に引き渡された。
 「あなたたちは日本の赤十字和歌山班ですね」
 辻さんと平井さんは、英軍将校の言葉を覚えている。「日本人は野蛮ですね。もし赤十字旗を掲げて歩いてくれたなら、不幸な目には遭わなかったでしょう」
 490班の23人。生き残ったのはわずか10人。ラングーン(現ヤンゴン)捕虜収容所へ看護婦として派遣された児玉よし子さんと丸沢定美さんが自殺した。再び日本の地を踏んだのは8人だった。
   □ ■ □
 戦後、辻さん、平井さん、道北さんはそれぞれ定年や定年間際まで、看護婦の職を全うした。
 約20年前から月1回、ビルマでの死者を悼む弥陀(みだ)三尊像にお参りしている。辻さんは「三尊のお顔が中尾婦長に似てるなあ、といつも思います」、平井さんは「月1回、みんなに会える。生きている限り、最後まで続ける」と言う。
 道北さんは7回手術を受け、足切断を免れた。「ビルマでは仲間と一緒だったから辛(つら)くなかった。けがの後も、みんなに会いたい一心で生きていこうと思った」
 490班は8月15日をビルマで迎えた。あれから61年。3人の記憶は今も鮮明だ。  
  (この連載は永井啓吾が担当しました)



保存進まぬ戦争遺跡/南風原の壕を訪ね

http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000110608100001
2006年08月10日
 「戦争遺跡」という言葉をご存じですか? 壕(ごう)、砲台など、明治~第2次世界大戦末期に築かれた、軍事関連の構造物全般をこう呼んでいます。太古とはいえない「遺跡」ですが、大事な歴史の証言者。とはいえ、発掘や保存を巡り問題も。戦争遺跡の多い沖縄の場合は――。
 白く渇いた岩肌に、直径2メートルほどのトンネルが口を開ける。入り口わきのテントには、出土した軍靴やベルト、印鑑ケースなど、約60年前の日用品が……。先月、沖縄県南部の南風原(はえばる)町で開かれた「第32軍司令部壕」の発掘現地説明会での風景だ。
 同壕は44年、旧日本軍第32軍の司令部として建造された。トンネルは総延長約2キロともいわれ、本道から支道が走り、一時は約3千人の将兵や軍属が配置されていたという。今回発掘されたのは支道の一つで、長さ30メートルほどだ。
 「電灯がともされた跡もある。壕の坑木を支えるために床下にも枕木を埋めるなど、司令部を意識した堅固な造りだと思う」と、発掘を担当した同町教育委員会文化課の上地(うえち)克哉学芸員は話す。
 戦前から交通の要衝だった南風原町には、司令部壕以外にも戦争遺跡が少なくない。有名なのが「南風原陸軍病院壕」だ。第32軍直属の陸軍病院のために44年に構築されたもので、ひめゆり学徒隊などが働いていた。同町教委は同陸軍病院壕を90年に町文化財に指定。94年からは調査を行ってきた。
 発掘では、生理食塩水が入ったアンプルや顕微鏡、注射器、鉗子(かんし)などが出土。沖縄戦末期の実態が、発掘によっても明らかになりつつある。
 「沖縄戦や南風原の歴史を語る上で陸軍病院壕は欠かせない存在。なるべく現在の形
のまま後世に残したい。平和学習の場として活用してもらえれば」と、同町教委文化課の大城和喜課長。来年4月には一部の壕の公開も始まる。
 ◆発掘は数自治体のみ
 だが、同町のような市町村は、沖縄県内でもむしろ少数派だ。同県教育庁によると、同県で戦争遺跡の発掘を行っている自治体は、同町や糸満市など数カ所。県自体も「戦争遺跡の発掘をしたことはない」(県教育庁の島袋洋・文化課課長補佐)という。
 背景には、“新しい遺跡”ゆえの事情があるようだ。
 地上戦の舞台となっただけに、沖縄には戦争関連の施設が多い。同県立埋蔵文化財センターの調査では、県内の戦争遺跡は約千カ所。単純計算すれば、「全国に2万以上」(戦争遺跡保存全国ネットワーク調べ)とされる戦争遺跡のうち、5%前後は沖縄県に所在することになる。
 これに対し、同県によれば、県内の近世以前の遺跡は約2600カ所。戦争遺跡まで加えると遺跡数は急増してしまい、「現在の調査員数からいって対応できない」(同県教育庁)という。
 さらに全県に戦争遺跡が広がる沖縄では、開発が制約されることから「すべての戦争遺跡を残すことは現実的ではない」(関係者)との意見も強い。6月には、那覇市にある第32軍関連のトーチカ(陣地)が未調査のまま工事で一部削られるという事件も起きた。
 「選択基準がはっきりしない」「県民の間に色々な意見がある」(同県教育庁)などの理由で戦争遺跡の県史跡指定も進んでいない。
 文化庁は98年の各都道府県教育長あての通知「埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について」で、発掘対象となる遺跡の時代を「おおむね中世まで」とし、近世については「地域において必要なもの」、近現代については「地域において特に重要なもの」を対象にできるとした。近世より新しい遺跡の調査を行うかどうかの判断は、各自治体に委ねられているのだ。
 ◆専門家ら現状を懸念
 「戦後60年が過ぎ、今後、戦争遺跡の意味はますます重要になる。その発掘に際し、担当者の良心をあてにするような現状は好ましくない」と、戦争遺跡保存全国ネットワーク代表の十菱(じゅうびし)駿武・山梨学院大教授。
 戦跡考古学が専門の菊池実・群馬県埋蔵文化財調査事業団主任専門員(総括)も、「沖縄県は戦争遺跡の詳細分布調査を全国に先駆けて実施した。保存や史跡指定でも、他県をリードして欲しいのだが……」と語る。
 戦争遺跡に考古学的にアプローチすることの重要性を80年代から唱えてきた當眞嗣一(とうましいち)・元沖縄県立博物館長は「戦争はいつでも起こり得る。そのことを肌で感じてもらうためにも、戦跡は重要な存在だ」と話している。

 | HOME |  古い日記に行く »

文字サイズの変更

プロフィール

XY新聞

Author:XY新聞
過去の事実を率直に見つめ、現代の改憲の動きを止めよう。
早く本勝さん新聞が読みたい!
週刊金曜日最新号は下のリンクメールニュースから↓

FC2カウンター

最近の記事

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

週刊金曜日ヤフーニュース

カテゴリー

タグリスト

共謀罪 朝鮮 原発 慰安婦 強制連行 基地 週刊金曜日 憲法 改憲 参院選 朝鮮籍 在日 前文 津波 震災 交通事故 動物 戦後補償 南京大虐殺 本多勝一 毒ガス 731部隊 徴用 ダム 泰緬鉄道 侵略 東北 橋下 オウム 沖縄 米軍 憲法9条 筑紫哲也 久野収 南京 XY新聞 米軍再編 ルポ A級戦犯 日刊紙 

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

金曜日刊行物

47NEWS言葉ランキング

金曜日1

金曜日3

貧困なる精神

本多勝一著作集1南京他

著作集2

著作集3

著作集3

最近のコメント

最近のトラックバック

FC2掲示板

RSSリンクの表示

月別アーカイブ

カウンター

無料カウンター

FC2Ad

Template by たけやん