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強制労働訴訟 三菱重工に賠償命令韓国地裁遺族に計1億1300万円

2016.8.26東京新聞より引用。
第二次大戦中に朝鮮半島から日本に強制動員され、当時の三菱重工業の機械製作所(広島市)で労働を強要されたとして、韓国人元徴用工の遺族らが三菱重工を相手に計十四億ウォン(約一億二千五百万円)の損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁は二十五日、三菱重工に対し、原告に計十二億六千万ウォン(約一億一千三百万円)を支払うよう命じた。
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甲陽園地下壕、2015.8朝日

朝日、大阪版より引用。朝鮮国独立と壁に字。
朝鮮人労働者は甲陽園イに400~500人くらいいた。
壕は昨年埋め戻され、永遠に失われてしまった。西宮市は写真や動画をHPで公開している。(引用終わり)
ーー
昨年からのためた記事をアップ。

強制連行リスト 在日朝鮮人、中国人ほか

(2016.10.5記)*は最新の追記箇所 参考文献に1992朝鮮人・中国人強制連行・強制労働資料集(神戸学生青年センター出版部)を追加。
(2016.9.19記)山口 長生炭鉱追加 長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会
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主に国内の戦前の強制連行の現場を調べてみた。圧倒的に朝鮮の方々が多い。戦前の鉱山、ダム、土木工事、軍事施設、軍需工場はほとんど朝鮮人が関わっている。行政にとっては暗い歴史として産業遺跡の保存はされておらず消えていく場所も多い。せめて慰霊碑などは整備し、隠したり、消したりせず、日本の負の歴史を後世にも語り伝えてほしい。(市町村は旧跡を残しながらの整備にしてほしい。整備にかこつけた破壊、抹消の例が多いのではないか。)
国内になぜ在日朝鮮の方がおられるのか、今後も考えていきたい。(リストは作成中、都度更新していきます。)
県 市町村 ダム、鉱山 現場名 会社 被害民族 参考
南樺太 塔路ほか 石炭鉱山 塔路炭鉱ほか 南樺太石炭鉄道(株) 朝鮮 26炭鉱、6120名
北海道 上川郡東川町 発電所 江卸発電所(揚水式) 日本発送電(株) 朝鮮 ソウルより98名労務徴用。監獄タコ部屋
北海道 紋別市 金鉱 鴻之舞鉱山 住友金属鉱山 朝鮮 2727名強制連行。下請け地崎組
北海道 北見市留辺蘂町 常紋トンネル 慰霊碑あり タコ部屋 
北海道 北見市留辺蘂町 イトムカ鉱山 水銀 朝鮮 42X数倍 周旋屋 棒頭
北海道 北見市留辺蘂町 置戸鉱山 水銀 中国 野村鉱業297 伊藤組499 地崎組290 (死亡者45)  
北海道 帯広市 帯広飛行場工事 大成建設 朝鮮 タコ部屋
*北海道 空知支庁沼田町 昭和炭鉱 明治鉱業 中国人 劉連仁さんも連行された
北海道 雨竜郡幌加内町朱鞠内 雨竜ダム工事 王子製紙(飛島組) 朝鮮 犠牲者約46 笹の墓標展示館 空知民衆史講座
北海道 雨竜郡幌加内町朱鞠内 深名線鉄道工事 朝鮮
北海道 歌志内市 神威炭鉱 朝鮮
*北海道 夕張市 夕張炭鉱 朝鮮
*秋田 大館市 花岡鉱山 鹿島組 中国  1945年虐待に耐えかねた中国人が日本人数人を殺害し蜂起、弾圧を受け100人以 上が虐殺(花岡事件)。鹿島組職員は戦後の横浜BC級戦犯法廷で3名絞首刑、河野所長が終身刑の判決後、減刑、全員釈放。
岩手 釜石市 製鉄所 日鉄釜石製鉄所 朝鮮 690名。強制連行 現新日鉄釜石
岩手 釜石市   釜石線鉄道工事場 朝鮮
岩手 釜石市   大黒見鉱山 日本鉱業 朝鮮 70名
岩手 和賀郡湯田町   赤石鉱山 日本鉱業 朝鮮 100名
岩手 宮古市   田老鉱業所 ラサ工業 朝鮮 423
岩手 宮古市   宮古精錬所 ラサ工業 朝鮮 50
岩手 岩手郡松尾村   松尾鉱業所 松尾鉱業 朝鮮 1189
岩手 和賀郡湯田町   鷲合森鉱山 三菱鉱業 朝鮮 42
岩手 和賀郡湯田町   土畑鉱山 朝鮮
岩手 二戸郡一戸町   大志田ダム 西松組 朝鮮 110
岩手 盛岡市   外山ダム 西松組 朝鮮 230
岩手 盛岡市   米内発電所 鹿島組 朝鮮 100
山形 最上郡舟形町   木友鉱山 東北興業 朝鮮 亜炭鉱山、200
山形 最上郡大蔵村   赤山鉱山 古河鉱業 朝鮮 49
山形 最上郡大蔵村   永松鉱山 古河鉱業 朝鮮 銅山、S36年閉山。家族まで含む600人の集団移入。
山形 米沢市   西吾妻鉱山 朝鮮 硫黄。発破をかけると硫酸が燃えガス発生、のど・眼を痛めた。トロッコ一人押し。300
山形 温海町   田川炭鉱 ラサ工業 朝鮮 600
山形 小国町 工場 小国製造所 日本電興 朝鮮 1000
山形 朝日村大鳥 金属山 大泉鉱業所 朝鮮 金属山
山形 上山町   赤山鉱山 朝鮮 金属山49
山形 西村山郡西川町葦草森 高畑鉱山  朝鮮  旧間沢駅から索道
山形   仙山線鉄道工事場 朝鮮
福島 いわき市他 常磐炭田 古河ほか 朝鮮 ピーク7210、湯本鉱、川平鉱、磐城炭鉱、古河好間炭鉱、勿来鉱、赤井鉱、寿鉱、神ノ山鉱、櫛形鉱、関本鉱 平事件(1949)
福島 福島市 中島飛行機信夫山地下工場 朝鮮  中島飛行機武蔵製作所の移転先
茨城 日立市 鉱山 日立鉱山 朝鮮 銅鉱、金銀2416 S15.2~S20.1
茨城 日立市 鉱山 日立鉱山 中国 銅鉱、金銀908 S19.2~S20.5
茨城 西茨城郡七会村塩子 鷹峯鉱山 朝鮮 マンガン鉱2
茨城 軍需工場 羽田精機竜ヶ崎工場 羽田精機 朝鮮 車両、弾丸、兵器生産85
茨城 石岡鉱業所 常磐炭鉱 朝鮮 296
茨城 炭鉱 櫛形鉱業所 東邦炭鉱 朝鮮 260
茨城 工場 水戸工場 日立製作所 朝鮮 189
茨城   土浦支店 日本通運 朝鮮 158
群馬 吾妻郡六合村 群馬鉄山 日本鋼管 朝鮮 480 トロッコ押し。麦はご馳走、大豆とコウリャンが主食。
群馬 吾妻郡内 国鉄吾妻線工事 大成建設、熊谷組、西本組、佐藤興業 1110 1942.10着工、1945.1.2開通。
群馬 吾妻郡嬬恋村 小串硫黄鉱山 北海道硫黄(株) 朝鮮 50 硫黄鉱山 1971閉山
群馬 吾妻郡嬬恋村 羽根沢鉱山 朝鮮 不詳
群馬 吾妻郡嬬恋村 吾妻硫黄鉱山 帝国硫黄(株) 朝鮮 100 1971閉山
群馬 吾妻郡嬬恋村 上信鉱山 朝鮮 80 ろうせき
群馬 吾妻郡 石津硫黄鉱山 朝鮮
群馬 吾妻郡 白根鉱山 朝鮮
群馬 長野原町北軽井沢 陸軍浅間演習場 朝鮮 195 満州引揚の開拓義勇団により北軽井沢開拓地として耕作
群馬 沼田市岩本 岩本発電所導水トンネル工事 間組 朝鮮、中国 約1000、中国人捕虜612(43死亡) 慢性的な飢餓
群馬 利根郡月夜野町 中島飛行機後閑地下工場 間組 朝鮮、中国 約1000、中国人捕虜612 中国人は慰霊碑あり(如意寺
群馬 沼田市上川田 陸軍火薬工廠地地下工場 朝鮮 不詳
群馬 太田市西長岡 中島飛行機藪塚地下工場 朝鮮 1000~2840(死亡不明)、276中国人(50死亡)
群馬 太田市 中島飛行機太田工場 朝鮮 零戦工場 1945.2.10空襲 金竜寺に追悼碑
群馬 邑楽郡大泉町 中島飛行機小泉工場 朝鮮 零戦工場
群馬 高崎市下之城周辺 高崎駅操車場整備工事 朝鮮 100
群馬 多野郡吉井町 中島飛行機多野地下工場 間組 朝鮮 今は自衛隊の敷地内
群馬 群馬郡群馬町 堤ヶ丘飛行場建設 神崎組 朝鮮 1945.2中島飛行機堤ヶ丘工場 戦闘機疾風の組み立て
群馬 勢多郡大胡町堀越 トンネル 朝鮮 100 中島飛行機移転のためのもの
群馬 勢多郡大胡町 中島飛行機分散工場の掘削 朝鮮 大胡城址本丸跡地下
群馬 碓井郡松井田町新堀 軍需工場建設 朝鮮 松井田城址公園地下 100 整地作業、トンネル工事
群馬 安中市磯部 軍需工場建設 朝鮮 安中城址公園地下 100 整地作業、トンネル工事
新潟 赤谷村   赤谷鉱山 朝鮮
新潟 上海府村   羽越西線工事 朝鮮
新潟   関山発電所 越後電気 朝鮮 大正8年4月55(前年26名逃亡)
新潟 中魚沼郡津南町 中津川第二発電所 大林組、日本土木 朝鮮 "大正10年6月~13年夏2000。大正11.7朝鮮人虐殺事件、信濃川を頻々流れ下る鮮人の虐殺死体(読売)、中津川事件
新潟 小滝村   姫川第6発電所 佐藤組 朝鮮 "昭和8年 200 昭和8待遇改善要求 300余人暴動化発電所襲う"
新潟 工事 国鉄信濃川発電所 間組、西松組、飛島組、鹿島組、大倉土木 朝鮮 500
新潟 工事 東京電灯信濃川発電所 飛島組 朝鮮 300
新潟 工場 日本鋼管新潟製鋼 日本鋼管 朝鮮 161
新潟   入船町工場 新潟鐵工所 朝鮮 168
新潟   栗原組 朝鮮 23
新潟   新潟電工 朝鮮 39
新潟   海陸運送 朝鮮 194、中国人1170
新潟   新潟港支店 日本通運 朝鮮 82
新潟   長岡支店 日本通運 朝鮮 32
新潟   北越電化 朝鮮 150
新潟   上越通運 朝鮮 25
新潟   赤谷鉱山 日鉄鉱業 朝鮮 600昭17.9日本人8と朝鮮人13人の間で闘争
新潟   飯豊鉱山 日曹鉱業 朝鮮 50
新潟   村松 三協鉱業 朝鮮 39
新潟   鹿瀬工場 昭和電工 朝鮮 74
新潟   津川 三川鉱山 朝鮮 85
新潟   入広瀬鉱山 日鉄 朝鮮 300
新潟   直江津 帝国特殊製鋼 朝鮮 28
新潟   新井 大日本セルロイド 朝鮮 26
新潟 工場 二本木 日本曹達 朝鮮 1000四エチル鉛に犯され神経を痛め脳病院で死亡した沢山の徴用工
新潟   田口工場 中央電気 朝鮮 45
新潟   青海工場 電気化学 朝鮮 爆薬製造482
新潟   村上 葡萄鉱山 朝鮮 ?
新潟 鉱山 佐渡鉱業所 三菱鉱業 朝鮮 金山1250
新潟 工場 直江津工場 信越化学工業 朝鮮 238
新潟   西本組 朝鮮 ?
新潟   西川鉱山 日本電気冶金 朝鮮 1944.11に50
新潟 加茂町狭口   鏡部隊 朝鮮 "船舶兵100、日本人下士官より指導訓練 S20.8.15以来新聞の閲読禁止、敗戦を知らずに服務"
神奈川 川崎市 工場 昭和電工 昭和電工 朝鮮
神奈川相模原市 相模ダム  朝鮮人常時約350、中国人常時約300人 死者朝鮮19、中国28    
長野 下伊那郡泰阜村 泰阜ダム 朝鮮 昭和7~10年 2300人 スト後警察検束、拷問
長野 下伊那郡天竜村 平岡ダム 熊谷組(矢作水力) 朝鮮、中国 2000。(死亡者はトロッコから落下、トンネル工事、スコップの柄が当たる等。中国人捕虜の3倍死亡。)8人のBC級戦犯、内5人死刑
長野 飯田市 飯島発電所 朝鮮、中国、俘虜 昭和20 約1000
長野 下伊那郡 三信鉄道(現飯田線)敷設工事 朝鮮 約600 飯田駅に飯場 70~80収容 三河川合
山梨 身延町 波木井水力発電所工事 日本軽金属(飛島組) 朝鮮 1939~41 家族を含め1万超の集団就労
山梨 南部町 富士川第一発電所 飛島組、西松組 朝鮮 航空機のアルミ生産の自家用発電所
静岡 蒲原町 富士川第二発電所 飛島組、西松組 大倉土木 朝鮮 トンネル洪水流入、落盤ほか事故の犠牲者
静岡 磐田郡佐久間町 硫化鉄 旧久根鉱業所 古河鉱業 朝鮮 約延べ300 遠州じん肺訴訟
静岡 磐田郡龍山村 銅山 旧峰之沢鉱業所 日本鉱業 朝鮮、中国 197 正月休みに豊橋で従業員が逃亡を監視 
愛知 半田市 半田製作所 中島飛行機(清水組) 朝鮮 "1944年 1200。飯食わせと抗議するとけんかになり、憲兵隊にリンチで鎮圧される。終戦を知らず逃亡した朝鮮青年が知多半島で瀕死で2カ月野宿、発見、その後帰国。北朝鮮へ共に渡った半田の女性あり(消息不明)。
愛知 知多鉄道(河和線)建設工事 名鉄 朝鮮 昭和5
岐阜 神岡鉱山 三井鉱業 朝鮮、連合軍俘虜 1943 連合軍俘虜650、朝鮮人1300
富山 工場 不二越 朝鮮 富山強制連行訴訟 1992富山地裁提訴 未払い賃金 韓国人元徴用工535、女子挺身隊3 週刊金曜日34号1994.7.15 P19
京都 宇治市 宇治川電気工事 1910年 朝鮮人60人解雇
京都 与謝郡加悦町 鉱山 大江山ニッケル鉱山 中国 "中国人200、朝鮮人、米捕虜他総勢3400 陸軍省関与"
京都 北桑田郡京北町 新大谷鉱山 朝鮮 李貞鎬氏設立の丹波マンガン記念館
京都 園部町 大阪陸軍造兵廠 陸軍 朝鮮 1944~1945.8
大阪 土木 近鉄 生駒トンネル 大林組 朝鮮 トンネル西口工事約200。地元村民との争闘事件1913
大阪 工場 岸和田紡績 岸和田紡績 朝鮮 男子工61、女工726。1918~ 生活環境劣悪。粗末な食事。
大阪 堺市 土木 光明池堤防工事 大林組 朝鮮 1936.6完成。200人強。トロッコ事故で1回2,3人死亡。石碑あり。
大阪 交野市 軍事施設 陸軍造兵廠第五枚方製造所 朝鮮 652㎡ 長さ128M
大阪 枚方市中宮 軍事施設 陸軍造兵廠枚方製造所 朝鮮 昭和12、3000人、
大阪 枚方市 軍事施設 陸軍造兵廠禁野火薬庫 朝鮮 昭和14大爆発 朝鮮1名死亡
大阪 吹田市山田 倉庫 海軍大阪軍需部 朝鮮 1300㎡
大阪 茨木市安威 倉庫 海軍大阪軍需部 朝鮮 680㎡
大阪 高槻市 工場 陸軍二見工場 川崎航空機 朝鮮
大阪 高槻市   地下工場 川崎航空機
大阪 高槻市成合 軍事施設 タチソ陸軍高槻倉庫 間組 朝鮮 山中に36本のトンネル、150m、計17000㎡、3500名(50死亡)川崎航空機地下工場、高槻市民の会
大阪 茨木市中穂積 燃料庫 10~15カ所掘られた
大阪 吹田市千里丘 地下爆薬庫 海軍(飛島組) 丘陵地約20カ所にトンネル式横穴式地下壕
大阪 池田市五月山麓 五月山地下魚雷格納庫 陸軍 伊丹空港約6キロ 地下壕掘り
大阪 北区玉江町 軍事施設 海軍大阪警備府司令部 朝鮮 990㎡
大阪 北区梅田 大阪支所 日本通運 2150連行
大阪 東淀川区西淡路 延原倉庫
大阪 城東区 軍事施設 大阪陸軍砲兵工廠 陸軍 朝鮮 昭和20 1319人強制連行、8.14米機絨毯爆撃
大阪 大阪市平野区 土木 平野川改修 朝鮮 1919~1923
大阪 大阪市天王寺区 軍事施設 生玉公園軍事地下壕 陸軍 100 大阪城陸軍司令部の移設目的
大阪 大正区南恩加島 大阪工場 日本製鉄 朝鮮 197従事
大阪 西淀川区 工場 淀川製鋼所 "1942 500 逃亡者は特高に拷問
指切断、結核、栄養不良"
大阪 西成区津守 工場 大和製鋼 S18~19 500 現大阪製鉄 津守工場
大阪 大正区南恩加島 恩加島工場 久保田鉄工 1944 110
大阪 此花区桜島 伸銅所 住友金属 1944 現 日新製鋼 正門横に空襲慰霊碑
大阪 平野区瓜割 大和川航空機製作所 大阪金属工業 朝鮮 1944 100整地作業 現ダイキン
大阪 港区築港 港湾 大阪港 1944 港湾労働400、倉庫荷役50
大阪 大正区船町 大阪工場 帝国化工 60、脱走者は特高に焼け火箸の拷問
大阪 大正区船町 協和造船所 103
大阪 大正区船町 本社 中山製鋼
大阪 大正区南恩加島 恩加島工場大谷重工業
大阪 西淀川区西島町 西島工場 大阪製鋼
大阪 西淀川区中島町 大阪工場 大同製鋼
大阪 西淀川区外島町 大阪工場 大谷重工業
大阪 此花区桜島 桜島工場 日立造船 数100~数千人 抗議の断食でリンチを受けた
大阪 住之江区柴谷 本社 藤永田造船所 "8000 軽量艦艇建造、空襲で死亡数百 1967年三井造船に吸収合併"
大阪 八尾市 軍事施設 大正飛行場 陸軍 200
大阪 泉大津市西港町 大津工場 寿重工業 1942 50 電気炉
大阪 泉佐野市南中安松 佐野飛行場 福田組、郷組、宮本組 数100 明野陸軍飛行学校佐野分校 1500M滑走路
大阪 貝塚市津田 津田工場 帝国産業 4,50 ロープ 現テザック
大阪 貝塚市脇浜 貝塚工場 大阪製鎖機 高射砲工場 20
大阪 岬町 軍事施設 多奈川地下トンネル 飛島組 朝鮮 149m、949㎥
大阪 岬町 軍事施設 多奈川工事場 呉海軍建築部、川崎重工 飛島組、原庄組、星野組 朝鮮 徴用土工400(1942阪南市、岬町に3000余居住)海軍ドック
大阪 岬町   多奈川事件 朝鮮 1952.3.26密造酒摘発
大阪 河内長野市 中部陸軍前線司令部 大工事?
奈良 香芝市 ドンヅル峰航空総軍指令所 陸軍 朝鮮人兵士が従事
兵庫 尼崎市 大阪製麻 1926 292 通称 朝鮮人工場
兵庫 尼崎市 日亜製鋼 674 現日新製鋼 12H労働、警察に捕まりビンタとシゴキにより精神異常
兵庫 尼崎市 尼崎製鋼 270
兵庫 尼崎市 尼崎製鉄 150
兵庫 尼崎市 尼崎工場 神戸製鋼 101現場監督に殴られ溶鉱炉に転落死。逃亡者が捕まり殴り殺された。
兵庫 尼崎市 大谷重工業 150
兵庫 尼崎市 大同製鋼 130
兵庫 尼崎市 尼崎工場 久保田鉄工 195 1943.8警察検束を釈放要求80スト
兵庫 尼崎市 武庫川工場 久保田鉄工 150 1944.4職長へ反感11集団暴行
兵庫 尼崎市 尼崎工場 大阪機械製作所 148 1943.3契約違反に対し争議
兵庫 尼崎市 園田工場 日本パイプ製造 136
兵庫 尼崎市 旭硝子  朝鮮 100ナンバンキビを寮で常食、常に腹がへった
兵庫 尼崎市 大阪伸銅所 古河電工 朝鮮 80
兵庫 尼崎市 住友鋼管 300
兵庫 尼崎市 ヤンマーディーゼル 50
兵庫 尼崎市西長洲 鉄線工場 朝鮮人がベルトに巻かれて死亡事故
兵庫 尼崎市 阪神国道建設工事 1920年代 延べ30万人 国道2号線
兵庫 尼崎市、伊丹市、宝塚市 武庫川改修工事 1920年代 延べ20数万人 尼崎~宝塚
兵庫 伊丹市 伊丹空港建設工事 1930年代 空襲時防空壕に一人も入れてもらえない
兵庫 伊丹市 伊丹 日本通運 68
兵庫 伊丹市昆陽 伊丹製作所 住友電工 朝鮮 1945 126(豊中、池田居住)
兵庫 西宮市 新三号トンネル 国鉄福知山線 1922完成 生瀬~道場 火薬爆発3名即死
兵庫 西宮市甲陽園 地下工場 川西航空機(大林組、西松組、飛島組、鴻池組、奥村組) "1000 現 新明和工業 地下トンネルに朝鮮國獨立の文字
昭和天皇の長女照宮が近所の料亭はり半に疎開していた、地下トンネル20数本が現存していた"
兵庫 西宮市苦楽園 地下工場 川西航空機 現 新明和工業
兵庫 西宮市 夙川改修工事 1932.2 8時間労働、差別廃止の自救会
兵庫 西宮市 西宮工場 吉原製油 111
兵庫 西宮市 西宮貨物自動車運送 70
兵庫 三田市藍本 軍事施設 藍野地下工場 大阪陸軍造兵廠 迫撃砲、弾薬製造
兵庫 三田市広野 地下工場 住友プロペラ 3000
兵庫 神戸市 川崎造船所 1914.4募集
兵庫 神戸市 本社 神戸製鋼所 1916.6募集 413連行
兵庫 神戸市 分工場 川崎造船所 1917募集
兵庫 神戸市 神戸造船所 三菱重工業 1917募集、1984連行
兵庫 神戸市 葺合工場 三菱重工業 1398
兵庫 神戸市 兵庫工場 三菱重工業 221
兵庫 神戸市 神戸電鉄有馬線 1927.4 1300余人 賃金未払い
兵庫 神戸市 国鉄東海道本線 高架工事 人夫多くは朝鮮人であり工事場にゴロ寝
兵庫 神戸市長田区 ゴム工業 兵神ゴム工業 116労働争議
兵庫 神戸市 中央ゴム 98
兵庫 神戸市 神戸船舶荷役 148
兵庫 神戸市 神戸港 250
兵庫 神戸市 和田岬出張所 白石基礎工事 121
兵庫 神戸市 葺合工場 川崎重工業製鉄所 1398
兵庫 神戸市 兵庫工場 川崎重工業製鉄所 221
兵庫 神戸市 艦船工場 川崎重工業製鉄所 2237 造船
兵庫 神戸市 神戸貨物自動車 162
兵庫 神戸市 日本制動機 118
兵庫 神戸市 神戸工場 神戸鋳鉄所 50
兵庫 神戸市 大阪瓦斯 55
兵庫 神戸市 阪神内燃機工業 51
兵庫 神戸市中央区 修法ケ原 深道閣トンネル
兵庫 明石市 明石工場 川崎航空機 朝鮮、中国 1500 空襲犠牲者あり
兵庫 姫路市 口崎組 241
兵庫 姫路市 広畑港運 309
兵庫 姫路市 播磨工場 福島紡績 1917募集 現シキボウ
兵庫 姫路市 播磨造船所 1917募集
兵庫 姫路市 播磨工場 神戸鋳鉄所 73
兵庫 姫路市 広畑製鉄所 日本製鉄 1000
兵庫 姫路市 網干工場 大日本セルロイド 137 現ダイセル
兵庫 姫路市 国崎組 241
兵庫 相生市 播磨造船所 "2202 現 石川島播磨重工 寺に遺骨60安置
朝鮮人戸籍あり"
兵庫 高砂市 曽根造船所 三井造船 50
兵庫 高砂市 高砂工場 播磨耐火煉瓦 100
兵庫 西脇市 播州織物工業所 朝鮮 1929 募集141
兵庫 加西市 鶉野飛行場 朝鮮人戸籍、小学校学籍簿57人児童
兵庫 加古郡 多木製肥会社 1922.7 職工31待遇改善要求 
兵庫 北条市 地下工場 川西航空機 500 現 新明和工業
兵庫 朝来郡生野町 生野鉱業所 三菱 1340
兵庫 養父郡大屋町 明延鉱山 三菱 899 逃走捕まると、天井逆さ吊り木刀むちで殴り、気絶後茶瓶で鼻へ注水し殴る
兵庫 養父郡関宮町 中瀬鉱山 三菱 243
兵庫 養父郡大屋町 大屋鉱業所 日曹鉱業 50
兵庫 豊岡市 神美鉱山 石原産業 67
兵庫 氷上郡氷上町 春日鉱山 井口鉱業 209
兵庫 美方郡 峯山l鉱山 峯山金山 100
兵庫 竹野町 竹野鉱山 日本鉱業
兵庫 赤穂郡上郡町 旭鉱山 日本鉱業 50
兵庫 香住町 沖ノ浦鉱山 日本鉱業
兵庫 安富町 富栖鉱山
兵庫 城崎郡香住町 鉄道 余部鉄橋 1909 2、3000人 高さ41m、長さ390m
兵庫 城崎郡香住町 桃観トンネル 1908 1991m、7人犠牲者浜坂 八幡神社 招魂碑
兵庫 桜山作業所 大倉土木 147
鳥取 岩美郡岩美町 荒金鉱山 朝鮮 昭和18 鳥取地震で30数人朝鮮人死亡
鳥取 境港市 美保基地 朝鮮
広島 高暮ダム 奥村組 朝鮮 2000 中国地方最大のダム 県北の現代史を調べる会
高知 土讃線トンネル工事 朝鮮 枕木1本に朝鮮人1人の多数の犠牲者
高知 大正町 津賀ダムと導水路工事 朝鮮 100~200 朝鮮風 土まんじゅうの墓
高知 土佐波賀 佐賀水力発電所 導水路建設 朝鮮
高知 中村市 四万十川改修工事 朝鮮
高知 土佐清水市 「震洋」特攻隊基地壕 朝鮮 落盤事故で2人が埋もれている。
高知 大月町柏島 「震洋」特攻隊基地壕 朝鮮 県道工事の発破作業で1名爆死
山口 笠戸 日立製作所 朝鮮 S20 47
山口 下松 東洋鋼鈑 朝鮮 S20 419
山口 防府 東亜化学興業 朝鮮 S20 43
山口 小野田セメント製造 朝鮮 S20 50
山口 宇部市 長生炭鉱 朝鮮 昭14.10~昭16.12 1258人 昭17.2.3に坑口から約1,000mの場所で天盤が崩壊、183名(うち朝鮮人136名)が犠牲  長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会
山口 宇部 理研金属 朝鮮 S20 163
山口 宇部鉄工所 宇部興産 朝鮮 S20 47
山口 宇部セメント 朝鮮 S20 94
山口 林兼重工業 朝鮮 S20 49
山口 彦島工業所 東洋高圧 朝鮮 S20 150
山口 東見初炭鉱 朝鮮、中国、俘虜 集団移住朝鮮労働者へ日本人暴行事件
山口 沖ノ山炭鉱 朝鮮、中国、俘虜 労務係りの暴行
福岡 筑豊炭田 古河西部鉱業所 朝鮮 1912年から。 ケツワリ=脱走
福岡 筑豊炭田 貝島鉱業所 朝鮮 1917年
福岡 筑豊炭田 麻生商店 朝鮮 1923年 1100人
福岡 筑豊炭田 中山田鉱業所 朝鮮 1925年
福岡 田川郡川崎町 豊洲炭鉱 古長鉱業所 朝鮮 一に夕張、ニに豊洲(圧制ヤマの順)
福岡 麻生赤坂炭鉱 1944 朝鮮人100人が事務所へ投石
福岡 嘉穂郡稲築町 新山野炭鉱 橋上鉱業 1943 朝鮮100が暴動
福岡 遠賀郡水巻町 日炭高松鉱 日産化学工業 朝鮮昭和16 2015 アリラン峠
福岡 鞍手郡宮田町 貝島炭鉱 朝鮮 1909(明治42)ガス爆発259死亡(朝鮮人1名服務)
*福岡 大牟田市 三池炭鉱 三井鉱山 朝鮮・ 中国2300余 500人近くが死亡 王起禎さん
長崎 長崎市 造船所 日鉄鉱業鹿町工業所 朝鮮
長崎 西彼杵郡崎戸 崎戸炭鉱 三菱崎戸鉱業所 朝鮮、中国 浦上刑務所に収容の囚人を使う 
長崎 西彼杵郡高島町 高島炭鉱 三菱鉱業所 朝鮮 3000~3500
長崎 西彼杵郡高島町 端島炭鉱(軍艦島) 三菱鉱業所 朝鮮 1944年 500
大分 宇佐市 城井一号掩体壕 海軍宇佐航空隊 朝鮮 人間ロケット爆弾 桜花を格納
大分 南海部郡米水津村 回天訓練基地 海軍 朝鮮 壁にハングル語の落書
宮崎 宮崎市 赤江飛行場 掩体壕 海軍宮崎航空隊 朝鮮 掩体壕21基
宮崎 東臼杵郡北川町 槙峰鉱山 中国
鹿児島 鹿屋市 地下壕 海軍鹿屋航空隊 朝鮮
沖縄 西表島 丸三炭鉱 宇多良鉱業所 朝鮮、台湾、中国
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引用文献
・当事者が書いた強制連行 北海道・闇に消えた十一人 鄭 晳仁 彩流社
・朝鮮人強制連行論文集成 朴慶植ほか 明石書店
・週刊金曜日34号1994.7.15 P19(不二越)
・週刊金曜日1995.10.3 94号(大江山ニッケル鉱山)
・朝鮮人強制連行調査の記録 大阪編 柏書房
・朝鮮人強制連行の記録 兵庫編 柏書房
・常紋トンネル 朝日文庫 小池喜孝
・「消し去られた歴史」をたどる 群馬県内の朝鮮人強制連行、追悼碑を建てる会
・しらべる戦争遺跡の事典 正・続 柏書房
・清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録 林えいだい 岩波書店 
・若者たちの東アジア宣言 朱鞠内に集うに日韓在日アイヌ 殿平善彦 かもがわ出版
・もうひとつの現代史 川瀬俊治 ブレーンセンター
参考リンク
強制動員真相究明ネットワーク
人権平和・浜松 戦時強制労働の調査
朝鮮人強制連行論文集成P500 原英章 氏より引用。
・朝鮮人労働者の実態を掘り起こすことの意味
当時の日本帝国主義の他民族侵略、抑圧、支配の、忘れてはならない事実を身近に再確認できること。
もう一つは、「在日朝鮮人、韓国人がなぜ多いのか」という、戦後世代の素朴な疑問を解き明かし、在日朝鮮・韓国人に対する偏見、差別をなくし、両民族の理解と連帯の礎になること。(引用終わり)
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(2015.8.24記)リストをまとめてきての所感。日本政府、国民は旧日本帝国の過去の植民地支配を全く反省していない。いわく老年者は「アジア諸国の欧米列強からの解放、産業振興に役立った」と公言する方も多いが、足を踏まれ、殴られた者の事実を全く認識しておらず、忘却している。戦後世代も戦前日本の侵略行為を教育されておらず、在日朝鮮人の国内での存在理由も知らず、被差別民族として認識するのみである。
 当ブログでは戦前の日本帝国主義の侵略行為を今後も追及していく所存である。米英はじめ欧米諸国が戦前の植民地支配を旧植民地国に対し謝罪した事実を聞いたことは少なく、大同小異ではないかとも考えるが、ゆえに日本が免罪されるとも考えない。現在の朝鮮半島が韓国、北朝鮮に分断された引き金は日本であることを認識し、日本の近現代史の負の側面をもっと学ぶべきである。
 A級戦犯や植民地支配会社の社長の孫を、総理や大臣へ押し頂いてるようでは、アジア諸国民から信頼、友好を得られるとは到底思えない。アジアの世紀である21世紀に向け、これはある種米国の策略かとも思うが、やはり日本国民の民度の問題であろう。戦争犯罪人を自国民で裁いていないことが最大の理由である(天皇の戦争責任も考えていかねばならない)。
--2015.8.30群馬追加
「消し去られた歴史」をたどる 著:群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会 P39より引用。
なぜ今追悼碑か
 私たちが、いま強制連行犠牲者の追悼碑を建てる運動を呼びかける理由は二つあります。
一つは、当然のこと、強制的に祖国、故郷、家族と切り離され、望郷の思いを抱きつつ、犠牲になられた亡き人々に対する追悼を行なうことです。中国人犠牲者については、戦後早い機会に調査され、遺骨の送還や追悼式が行なわれ、追悼碑が、それぞれの労働現場近くに、関係者、地区住民などの手によって建てられました。しかし、朝鮮人犠牲者については、今日まで調査も行なわれず放置されてきました。戦後五十年を過ぎ遅くなりましたが、日本人の歴史認識が世界の人々から問われているいまこそ、可能な限りの調査を行ない歴史的事実を明らかにすべきだと思います。二十世紀に犯した過ちの精算は、今世紀のうちに済まそうではありませんか。
二つ目は、過去の日本が犯した過ちに対し、一人の日本人として、また一人の人間として、率直に反省し、再びこのようなことを起こさない誓いと決意を表わすことにあります。明治以降の日本は、西欧の進んた近代化を模倣する中で、間違った帝国主義の国づくりまでも見習ったのでした。そして、アジア諸国を侵略し、特に朝鮮を植民地として支配し、大変な屈辱と損害を与えてきました。にもかかわらず、これに対する心からの反省と謝罪、補償が行なわれていません。闇取引ともいうべき日韓条約をたてに、いわゆる「従軍慰安婦」、徴兵された「元皇軍兵士」、強制運行被害者、原爆被爆者など、戦争犠牲者への謝罪、補償要求を拒否し続けています。朝鮮民主主義人民共和国に対しては、敵視政策をとり、戦争準備とも言うべき新ガイドラインに基づく周辺事態法などの制定を進めています。それのみか、未だに在日の朝鮮、韓国人に対する差別、蔑視の思想を残し、いたるところで無法な行為や嫌がらせなどの事件が発生しています。
 私たちは、日本というこの国に生きるー人の人間として、日本の政府と日本人が犯した過去の歴史の真実を直視し、そしていまなお犯し続けている過ちをはっきりと認識しなければなりません。それなくして、私たちの国における民主主義も、人権の確立も、またアジアの民衆との和解も、心からの親善友好も生まれないと思います。
 私たちは、この追悼碑を建てる運動を通じて、この国に民主主義を根付かせ、人権を確立したいと思います。そして、アジアの人々との真の友好を結びたいと思います。そのことが日本政府の政策の転換をも導くものと確信しています。
 ご協力をお願いします。(発行1999.2 引用終わり)
ーー
群馬県と右翼市民団体はこの慰霊碑の撤去を計画、(現)追悼碑を守る会と訴訟になっている。

浮島丸から71年、舞鶴で19日講演 /京都府、青森)むつで浮島丸追悼集会、追悼集会に400人 舞鶴

20160917asahi,ukishimamaru,kouen朝日20160917丹後版より引用、
旧海軍の輸送艦「浮島丸」が終戦直後に舞鶴湾で爆発、沈没し、帰国する朝鮮人労働者らが犠牲になった「浮島丸事件」から71周年の講演会が19日、舞鶴市南田辺の西総合会館で開かれる。奈良女子大名誉教授の中塚明さんが、「歴史に向き合わない日本人―『浮島丸事件』を記憶し続ける意味―」と題して話す。主催する浮島丸殉難者を追悼する会の余江勝彦会長は「事件が、日本による朝鮮の植民地支配など日本の近代史と深くかかわっていると知ってもらいたい」と話す。
 午後1時から。会場費・資料代300円。
ーー
20160823asahi,ukishimamaru青森)むつで浮島丸追悼集会 亡くなった500人に祈る 2016年8月23日朝日、青森より引用。
「浮島丸下北の会」が94年から主催。23回目の今年は、4月に他界した初代会長、斎藤作治さんの追悼が重なり、参加者約20人が海に向かって黙禱(もくとう)、献花して冥福を祈った。舞鶴の「浮島丸殉難者を追悼する会」(余江勝彦会長)からも「師(斎藤さん)の意思を受け継ぎ活動を続けたい」とメッセージが届いた。
 下北の会の村上準一会長(69)は「斎藤さんは『なぜ浮島丸は終戦直後に大急ぎで出港したのか。今年は答えを出そう』と話しておられた。いくつもある謎を一つ一つ解明していきたい」と意欲を見せていた。
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20160825asahi,ukishimamaru朝日20160825大阪より引用、浮島丸事件「伝える責任」 追悼集会に400人 舞鶴 /京都府

相模ダム 中国、朝鮮人ら強制労働2016.1.18東京新聞

相模ダム知られざる歴史
相模湖ダムの歴史を記録する会 強制労働の朝鮮人は常時約150人、中国人は約300人と判明。死者朝鮮人19人、中国人28人。
ーー東京新聞より引用。
朝鮮人の強制連行の記事を久しぶりに見た。

群馬 朝鮮人強制連行追悼碑訴訟 口頭弁論2016.2.25東京新聞

「集会の自由への介入だ」 原告弁護団が意見陳述
東京新聞より引用。

再訪 中国の旅 平頂山、万人坑 本多勝一 週刊金曜日1995.8

hone1-2.jpghone2.jpg週刊金曜日1995.7.14 第82号より引用。
再訪中国の旅1
P9盧溝橋
(略)中国を私が初めてたずねた二四年前(一九七一年)にはここに特別なものはなかったが、八年前(一九八七年)に「中国人民抗日戦争記念館」が完成した。(略)
P11-裏庭には別棟の展示場がいくつもあり、ハルビンでの当時「世界最大の人体実験場」だった七三一部隊をはじめ、細菌爆弾の実験、拷問のための刑具などが、写真や実物で示される。ペスト菌班・結核菌班・冷凍実験班・媒介昆虫培養班・ネズミ増殖貯蔵班をどの分担も、そのリーダーの実名とともに表示されている。人体実験・細菌実験などは七三一部隊だけでなく、藩陽の。満州医科大学」の例はすでに。中国の旅』で紹介したが、そのほか長春の「満州一〇〇部隊」とか北京の「北支甲一八五五部隊」、南京の二六四四部隊」、奉天(港陽)の「五一六毒ガス部隊」など何か所にもあったことが図表で明らかにされている。(略)
P12平頂山
今回ぜひ再訪したかったひとつに、撫順郊外の平頂山がある。一九三二年(昭和1)にここで起こされた無差別虐殺事件については『中国の旅』で報告したとおりだが、二四年前には現場がまだ発掘されていなかったので、道路ぎわの土を手で少し掘ると人骨がたくさん出てきた。のちに発掘されて記念館ができ、日本人旅行者で見てきた人も少なくないので、機会があれば再訪したいと思っていた。(略)

週刊金曜日1995.7.21 第83号
P38 再訪中国の旅2
平頂山
 いまから六三年前(1932年)の平頂山虐殺事件について、生還者の一人、李偑珍さん(八六)が語った体験は次の通りである。
 李さんの実家は平項山にあるので、夫の一家とともに実家に逃げこんだ。食事にしようとしたところへ、日本兵が現れた。外に出てみると、兵隊たちがいっぱいだ。住民を次々と退いたてている。李さんたちも、銃剣をかまえた日本兵らが両側に立つなかを、村の西側にある丘のふもとへと歩かされた。逃げようとして射殺される者もいた。
 集められた群衆のうち、李さんがいたのほぼまんなかあたりだった。住民のなかに朝鮮系の民族もいたらしく、それを呼びだすような声を聞いた。機関銃の一斉射撃が開始されたのは、それからまもなくだった。わきおこる阿鼻叫喚のなか、李さんはひざまずくような姿勢ですわらされていた。機関銃弾が左肩に命中する。前の人の上に倒れる。動頴していて痛みもわからない。
P39 機関銃掃射が終ると、日本兵たちが銃剣をもって死体の山を調べにかかった。生存者を刺し殺して歩く。八歳になる姪が李さんを呼ぶ声。二、三人へだてているので姿がみえぬ。「たまってうつぶせになりなー・」と李さんが答え終わらぬうちに、姪は絶叫とともに刺殺された。その直後に李さんも刺された。うつぶせの姿勢で右脇腹をやられた。そのまま意識を失ってしまった。
 何時間くらいすぎたがわからないが、気がついたときは深夜だった。霧雨ぎみの天気は晴れて丸い月が出ている。たぶん午前二時ころと思われた。肩と脇腹の重傷で血まみれの李さんは、天に助けを求めて祈ったが、かなえられる徴侯は何もなかった。
夜があげると、血だらけで身重の李さんは、なんとか立ちあがっ現場を脱出し、近くの村の農家に助けをもとめた。(略)このとき殺された李さん一家は次の三人である。父(李従文士=ハ二)・夫/(周徳忠=二七)・夫の弟(二三)・長兄(四一、二)・その妻(四〇?)・その長男(一七)・その妻一九)・その次男(一三?)・その長女(二カ月?)・次兄の長女(八)三兄の妻(二三)・その長男(五)・その次男(三)
兄は李さんを撫順の病院につれていったが、満室で入院できず、瀋陽まで行って手術を、うけた。しかし肩の銃弾はとりだせないまま現在にいたっている。
(略)血まみれの死体ばかりで見つからぬ。死体には赤ん坊や妊婦もあって、なんとも形容できない惨状だった。楊少年より小さな子どもが、這いずりまわって親をさがしている。(略)
(注)平項山以外の村の情況についてはあがらぬことが多い。たとえば曽おばさんの海も(朝日新聞社朝日ジャーナル臨時増刊号』・一九九二年)の読者・班忠義氏の父母も、隣りの千金堡にいて危うく難をのがれている。班氏はこの記録で、この無差別虐殺の指揮責任者とみられる井上清一中尉が、処罰どころか金鵄勲章をもらっていることに強い衝撃をうけている。また澤地久枝氏の『昭和史のおんな』(文芸春秋一九八〇年)は「井上中尉夫人『死の餞別』の章でこの井上中尉についてかなりくわしくふれている。その後『追跡・平頂山事件』(田辺敏雄・図書出版社・一九八八年)という本が出たが、これは当時の守備隊長K大尉の類(娘婿)にあたる筆者のせいか、侵略とか無差別虐殺などについて一切の反省のない立場から書き、虐殺者数を四〇〇〜八〇〇と過小評価している。これを批判する立場から書かれた本に『平頂山事件』(石上正夫・青木書店・一九九一年)がある。
さらに、右の班忠義氏の記録でも引用されている『リポート「撫順」一九三二」(撫順問題調査班=文責・小林実=都立書房一九八二年)もこの事件を追っている。

週刊金曜日1995.7.28 第84号より引用。
再訪中国の旅3
撫順
 二四年前の『中国の旅』の取材旅行中、撫順市で初めて「万人坑」という言葉をきいた。以来東北地方ではよくきくことになる。要するにこれは、死体をたくさん捨てた所を意味し、数百人であれ何千人であれ、象徴的な数として「万人」とよばれるのであった。正式な墓に埋葬されるのではなく、適当な場所にゴミ捨て場のようにして人間の死体が遺棄されることだ。したがって炭鉱だの大規模工事現場だの、危険な重労働をともなうところの周辺に多い。そうした現場で働く労働者には、強制連行者や囚人として、あるいは遠方からの出かせぎとして来ている例がほとんどなので、死んでもいいかげんに扱われやすかった。
そのような〝ヒト捨て場〝としての万人坑が、撫順には大小三〇カ所もできたと、二四年前に革命委員会の孫徳驊氏は言った。あのときの話では、日本占領の四〇年間に二五万〜三〇万人の中国人労働者が使い殺されたとのことだから、もしその死体が三〇カ所の万人抗に捨てられたとすれば、平均はまさに一カ所一万人ちかいことになるだろう。けたはずれに古い歴史と、けたはずれの広さと、けたはずれの人口をもつ中国には、日本では想像もおよばぬことがあるとはいえ、三〇カ所の万人抗はいかにも多すぎるような、あくまで「感じ」としてそんな気がする。本当だろうか。
実際、撫順にいた日本人たちの団体「撫順会」は、こうした万人坑の存在に全く否定的である。それに「…また一部は家や工場建築の邪魔になるために除去されましたから、全部は残っておりません」とあのとき孫氏は語ったものの、「全部」といわず一カ所くらい実物があってもよさそうなものではないか。(略)
P41 ところが、撫順市社会科学研究院の趙立静氏によれば、やはり万人坑は大小三〇カ所以上、正確には三三カ所にあったという。小は三桁(何百人)から大は「万」にいたるまで確実にあったと。それに「万人坑」という言葉は戦後にできたので、戦前の日本人が聞かないのも当然だというのである。そして趙立静氏は万人坑の実態をつぎのように語った。万人坑に捨てられる労働者は、およそ三つの場合が多かった。
①炭坑で負傷したりして廃人同様になった者。
②伝染病などによる死亡者。
③大部屋のひどい生活環境と悪い食事のため、栄養失調などで衰弱しきった者
 撫順には八つの炭鉱かあって、それぞれで毎日のように死者が出たので、それに応じた大型万人坑も八カ所はあり、それは断じて「墓」ではないという。墓は別にあると。そして各炭鉱には「死人把頭」とよばれる雇われ中国人がいて、これはいわば死人を捨てるための管理係りであった。(略)
P42 万人坑はヒト捨て場だから、そのための建築物や設備の類があるわけではもちろんない。ときにはまだ絶命していない廃人も捨てられたし、死体を食う犬もたくさんいた。、解放戦争(国共内戦)まではこのあたりに民家も何もなく、人骨が折りかさなっていた。その後この丘の上に工場や住居ができるようになり、平らに整地されったが、その作業のときも人骨がたくさん出てきた。(略)

週刊金曜日1995.8.4 第85号より引用。
再訪中国の旅4
P40 『中国の旅』で紹介した写真は虎石溝万人坑である。ぺつに”観光ルート”として開放されているわけではない。それに中国にはよくあることだが、政府の政策によっても開放したり閉めたりする。たとえば「日中友好」を強調するときには、こうした日本による侵略を訴える記念物をあまり開放しなくなる。現在も日本人旅行者に自由に見せてはいない。
 虎石溝万人抗は、二四年前と基本的には変らなかった。基本的には」と表現したのは、骸骨の累々たる光景そのものや、それぞれの位置などはむろんそのままだからである。しかし、これは仕方のないことなのであろうが、人骨の風化が明らかに進んでいる。平項山のように何らかの措置をしなければ、いずれは消滅の運命にある。条件にもよるが、土中にあるほうが風化がおそいのが普通だ。したがって二四年前よりも「生々しさ」が消え、それだけ〞霊気〞のようなものが少なくなって、変な言いかただが「迫力」も減少しているかにみえる。洪水の被害にあったというのもわざわいしている。ともかく個別によく観察してみよう。針金でしばられた遺体とか、二人がつながれていたらしい例、ひとつの箱(棺?)に複数の遺体が入れられている例など、墓地と強弁するにはあまりにも無理がある。また、骸骨が何重もの層をなしている部分をよくみると、これは意外に短期間の「層」らしい。石器とか化石が出土した場合には、出土層とそれより上の層の問に相当期間の差が認められるものだが、ここではそうした違いがほとんどないようだ。ということは、骸骨が埋まっている層が厚くても、それを埋めている土は人工的な力にょるか、自然としても洪水などによる比較的新しい堆積かもしれなともあれ再検証の結果は、これが墓地だなどということは到底できないと考える。(略)
ーーー(引用終わり、全文はこちら。再訪2再訪3再訪4<ダウンロード<開く。著作権は週刊金曜日にあります。)

中国側と三菱マテリアル 強制連行3700人超 和解へ

img362.jpgimg363.jpg東京新聞2015.7.24
対象者は計3765人と日本企業による戦後補償として過去最多。補償総額80億規模。日本の最高裁が賠償請求を認めなかった中国人被害者に対して、日本企業側が自主的に謝罪し、包括的な金銭補償に踏み切るのは初めて。
右、韓国でも、三菱重工業など日本企業を相手に元徴用工が損害賠償を求めて訴訟を相次いで起こしているが、六五年の日韓請求権協定で韓国人の個人請求権は消滅したとする日本政府の見解に基づき、請求に応じない立場を示している(共同・辰巳知二)
ーー
上、共同通信のスクープだそうだ。
ーー
東京新聞2015.6.25
韓国の女子挺身隊賠償訴訟光州高裁 三菱重工敗訴
太平洋戦争中、朝鮮女子勤労挺身隊員として三菱重工業の軍需工場(名古屋市南区)に徴用された韓国人女性や遺族ら五人が、同社に慰謝料などを求めた訴訟の控訴審で、光州高裁は二十四日、一審と同様に、同社に対して賠償を命じる判決を言い渡した。(引用終わり)
ーー
朝鮮人強制連行者は膨大な人数で賠償額もけた違い。65年の日韓条約を言い訳に個人補償を認めないが、傍目からは民族差別に見える。日本政府は中国も含め一切の個人賠償を認めない。五輪競技場や自衛隊への軍事費への浪費分を回せば、どれだけ東アジア周辺国への平和外交につながることかと考える。きな臭い、米国追従で冷戦思考の安倍には馬の耳に念仏か。

加害に向き合わぬ日本 朝鮮半島出身者が強制徴用されたとみられる産業革命遺産7施設

東京新聞 2015.5.20
産業革命施設 世界遺産勧告に勧告反発 強制徴用 説明ごく一部
朝鮮人労働者 壁に「天は見捨てない」
観光業者「楽しい旅行にそぐわない」
「隣国の痛みや悲しみ伝えるべき」
朝鮮半島出身者が強制徴用されたとみられる7施設
 ・三井三池炭鉱、三池港(福岡県大牟田市、熊本県荒尾市)
 ・官営八幡製鉄所
 ・三菱長崎造船所
 ・端島炭鉱(通称軍艦島)
 ・高島炭鉱

群馬 朝鮮人追悼碑 不許可訴訟初弁論 2015.2.5東京新聞 ほか

img331.jpg左、撤去反対請願を不採択 朝鮮人追悼碑問題で県会常任委2014.12.9東京新聞、 右 不許可訴訟初弁論「県は表現の自由無視」市民団体側「堂々と憲法議論を」2015.2.5東京新聞
img332.jpgimg333.jpg左、原告「公園は意見述べる場」2015.5.14東京新聞
朝鮮人追悼碑 都は設置条件付けず 都によると、設置許可を出した際、県内の碑のように「政治的な行事をしない」という条件は付けなかった。追悼集会には毎年、都知事や墨田区長が式辞を寄せている。都の公園課は「公園内も表現の自由が基本的にあり、追悼集会で政治的な発言があっても問題はない」との見解を示す。2015.6.11東京新聞
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ためていた記事あっぷ。地域、時代により行政の見解が異なってよいのだろうか。

強制連行されて日本で暮らす朝鮮人の実態を見る

 週刊金曜日1994.11.4号より引用。P51~P53 金蓉子
 神奈川県横須賀市でひとり暮らす在日朝鮮人、李周鎮さん(七二歳、朝鮮籍)は、一級障害者である。
戦時中の強制労働でのリンチがもとで右胸の肋骨七本を失い、右耳もよく聞こえない。右肺はまったく使えない状態で、肺活量は一000以下だ。当然、老齢福祉年金か障害基礎年金が支給されるはずである。だがそれば日本人であればの話だ。
 李さんは以前、横須賀市役所の窓口に年金支給を願い出て、門前払いを食ったことがある。「身体が弱り、病院に行くのに金がなくて困ってだんだが、『朝鮮人にはやれない』といわれた。妻が日本人だったんで、『じゃーあ妻の分を』というと、『朝鮮人と結婚したからやれない』という。『それは国の判断か、それともおまえの判断か』と聞いたら黙っておったよ」。(略)
 虫けらのように酷使され
 四三年、朝鮮総督府から兄に徴用令が送られてきた。一家を支える兄の身代わりになった李さんが連行されたのは、福岡県の三菱炭鉱だ。当時「行けば生きて帰れない」のが炭鉱だった。二一歳のときである。(略)
 ところが翌年の三月、今度は自分の名で徴用令が来た。「徴用から逃れることはできない。強制連行と同じことだ」。都庁舎に集まった中から一〇〇人が、迎えにきた間組(現ハザマ)の手に委ねられた。日本の官憲による斡旋である。
 釜山から下関へ。一昼夜汽車に揺られ、たどり着いたのは雪深い秋田県神代駅だった。李さんたちはここで、渓谷の斜面に夏瀬ダム建設工事のための道をつける、危険な作業に駆り出された。(略)
 一カ月後、ハッパの暴発事故で仲間が死んだ。ただの肉の塊が、李さんたちの目の前に落ちた。死体も負傷者も、飯場には戻ってこなかった。李さんは脱走を決意する。リンチを受けたのは、その脱走に失敗したときだった。
 植民地支配が人生を奪った
(略)横須賀の街頭で保健所職員に呼び止められたのは、戦後一年半もたってからだ。レントゲン写真の右胸半分は真っ黒だった。肋骨に無数のひびが入り、肋膜に水がたまって化膿していた。一〇年にわたる入院生活、六回の胸郭成形街の末、七二年に呼吸機能障害と胸郭変形で身体障害一級の認可を受けた。もう、肉体労働はできない。
(略)なぜ国を奪われ、虫けらのように蔑まれたのかを知ったとき、初めて李さんの全身を激しい怒りが貫いた。何に対して怒ればいいのかを悟ったのだ。
文字を知らぬば。歴史を知らぬば」。たぎるような向学心が、どん底の李さんに生き抜く力を与えた。印刷業を始めたのも、文字を覚えるためだった。
 いま、李さんは「近・現代史のなかの朝鮮民族史を語る会」を、日本人とともに続けている。不自由な身体であちこちの集会に顔を出して講演もする。「日本の近現代史は朝鮮、中国を抜きには語れない。強制連行で連れてこられた一人として、若い人たちに私の体験を語り継ぎたい」
 歴史を知らぬことの恐ろしさや愚かきを知る者の、確たる信念が生きる支えだ。
 年金を出さぬのは差別だ
 東京都江東区に住む李末龍さん(七九歳・韓国籍)も、徴用で日本に連れてこられた。。もう五〇年以上も足の神経痛に悩まされている。福岡県飯塚市の炭鉱で働いていた時の重労働の結果だ。(略)
 日当は二円だった。だが「天引きで故郷に送金するから」と言われて、手渡されたのは一銭から五銭の半端な金だった。煙草をいくらか買うとなくなった。言葉も分からない。字も知らない。送金されているのかどうか、確かめる術もなかった。
 大東亜戦争が始まっていた。一年ほど炭鉱病院に通ったが、足は直らなかった。同じ地方出身の知り合いと一緒に脱走して宇部に逃げ、その後は土方をして生きながらえだ。
「日本全国を点々と歩いたよ。ダム工事やケーブル、電線工事と何でもやった。神経痛が痛くてたまらなかったけど、ほかに朝鮮人がやれる仕事はをなかったよ」(略)
 もちろん末龍さん夫婦に年金は出ない。長男は年金の掛け金を納めているから二重の負担を強いられていることになる。「税金は納めてきたし息子も納めている。でも、朝鮮人に見返りは何もない。好きでこの国にきたんじゃないんだ」
 末龍さんと同じ言葉を、在日朝鮮人なら誰もが噛み締めてきた。生活が苦しいから年金をくれというんじゃない。日本人と同じように年金が出るのが当たり前なんだ。朝鮮人だから出ない、というのは差別以外の何でもない」「人生を返してほしい」
 植民地支配という日本の国策が奪った人生の代償は、福祉の次元でさえ、いまだ支払われてはいない。

きむ よんじゃ・雑誌記者。一九六三年、長崎県生まれ。
ーー引用終わり。全文はこちら、ダウンロード<開く

群馬 朝鮮人強制連行追悼碑問題


東京新聞20104.10.4より引用。「撤去要求理解できない」 「駒形・木瀬9条の会」見学
「県内で朝鮮人の強制連行があったのは史実。この問題の根底に、差別意識があるのではないか」
引用終わり。

知られざる麻生太郎 自民総裁候補の家系

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週刊金曜日 第596号 2006年03月03日P8.韓国からの告発レポート
知られざる麻生太郎外相の家系(1)(K・T生)
  強制徴用朝鮮人遺骨調査に手ぬるい日本政府
週刊金曜日 第598号 2006年03月17日P14.知られざる麻生太郎外相の家系(2)(K・T生)
強制連行の生き証人、麻生発言への反発 -「創氏改名は朝鮮人が望んだから
週刊金曜日 第602号 2006年04月14日P26.韓国からの告発レポート
知られざる麻生太郎外相の家系(3)
1000年の朝鮮国有林を誰が壊したか(K・T生)
麻生外相にあえて言う。宰相への道は、過去に目を向けることから始まる。より、
安倍氏以上に、これが現職閣僚かと思わせる発言をしたのが、麻生太郎外相だ。東京裁判についての回答はこうだったという。「少なくとも日本の国内法では犯罪人扱いの対象になっていない」。
  微妙な表現ではあるものの、裁いたのは戦勝国であり日本ではないとの趣旨としか思えない。それはつまり、「日本人たる自分は戦犯を罪人とは考えていない」との考えをにじませたとも受け取れる。歴史認識に関しても、「マッカーサーも侵略戦争のみとは言い難かったと認めている」と答え、従来の政府見解との違いをみせた。
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A級戦犯の孫の次は朝鮮人強制連行の企業麻生セメントの創業者の孫が与党総裁の有力候補だって。マスコミも自民党の選挙PRばかりやらないで、総理大臣候補者の歴史観からチェックしたらどうだろう。こんな人が総理で韓国を訪問し、北朝鮮の拉致被害者を救出できるの?ドイツでいえばナチス協力企業の経営者の孫がドイツ大統領になるようなもの、ありえない!これも民度の違いか、ハァ・・。
<9/17追記>麻生さん名案ですぞ。逆にこの縁を奇貨として、中国、韓国、北朝鮮など麻生セメントの関係各国へ(できれば天皇と第二次大戦関係各国が良い)謝罪の旅に出て、強制連行、日本軍での未払い給与や強制貯金その他謝罪の補償金の支払いも約束する。これであなたも戦後の名宰相の仲間入り。おじいさんのやったこと、会社が違うなどへりくつではだめですよ。その前に選挙に勝たないと実現できませんがね。これを選挙公約にすれば民主に勝てるかも・・・。

強制連行の賠償責任な中国人の控訴棄却 札幌高裁 違法性は認定

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/34852.html
アクセス日2007.7.3 22:30
(06/28 14:46 北海道新聞)
控訴棄却の判決に、厳しい表情を浮かべる原告の一人、趙宗仁さん=28日午前11時10分、札幌市中央区の札幌高裁前
 第二次大戦中、日本に強制連行され、道内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人四十二人(うち十五人死亡)が、国と企業六社に謝罪と総額八億四千万円の損害賠償を求めた中国人強制連行北海道訴訟の控訴審判決が二十八日、札幌高裁であった。伊藤紘基裁判長は「強制連行は違法だが、賠償責任はない」と述べ、原告の訴えを全面的に退けた一審札幌地裁判決を支持、原告の控訴を棄却した。原告は上告する方針。
 判決はまず、強制連行の事実について、原告は一九四四年(昭和十九年)ごろ、日本政府の閣議決定などによって一方的に日本企業に引き渡され、劣悪な環境の下で重労働を強いられたと認定。その上で、「一連の過程は少なくとも道理に反するという意味で違法」と一審判決よりも踏み込んだ。
 しかし、国と企業の賠償責任については否定した。国の責任に対する判断は一審判決を維持し、国家賠償法施行(一九四七年)以前の国の加害行為で、国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用して責任を免除した。
 また、企業の安全配慮義務については「違反があったという余地がある」としたが、時効により企業側の債務は消滅したと判断。さらに「一九七二年の日中共同声明により、個人の賠償請求権は放棄された」とする最高裁の戦後補償判断を引用して、訴えを退けた。
 控訴審をめぐっては、札幌高裁がいったん、三月二十日を判決期日に指定したが、二月になって取り消し。別の強制連行訴訟で、最高裁が戦後補償問題に関する初判断を示す見通しだったため、この判断を見極めるために延期したとされる。
 原告は一九九九年九月に提訴していた。

強制連行賠償最高裁が初判断、西松訴訟原告が逆転敗訴2007.4.27


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朝日新聞2007.4.27夕刊より引用。

裁判所が自己の判断を示さず、強制連行された原告の人権を守らず、政治や企業に救済を押し付けている。裁判所が職務放棄をしている印象がある。

(今後購読紙からスクラップとして私的利用で貼り付けさせてもらいます。不都合あればコメント欄で指摘ください。迅速に対応します。なお記事の著作権は当然ながら新聞社にあります。)


七尾強制連行訴訟、原告新たに2人追加

http://www.hab.co.jp/headline/news0000058755.html七尾強制連行訴訟、原告新たに2人追加 (北陸朝日放送 - 2007年3月26日17:05)
戦時中、七尾港に強制連行された中国人4人が国と荷役会社に謝罪と損害賠償を求めている裁判で、新たな原告として中国人2人を加え金沢地裁に追加提訴しました。この裁判は太平洋戦争末期の1944年、七尾港に強制連行された中国人の暢同道さんら4人が、荷役作業など過酷な長時間労働を強いられたとして、国と、当時働いていた七尾海陸運送に対し、謝罪広告と一人あたり1100万円の損害賠償を求めています。一行は26日中国河南省の王徳功さん(81)と連行者の遺族である李変さん(42)の2人を原告団に加え、金沢地方裁判所に追加提訴しました。これまでの弁論で被告の国は「1952年に当時の中華民国と結んだ日華共同条約で、賠償や財産の請求問題は完全に解決している」と主張しており、訴えの棄却を求めています。金沢地裁は2人の追加提訴分を受理し、これまでの審理と併合して協議していくということです
(引用終わり2007.3.31)


強制連行訴訟 長崎も原告敗訴 

http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/4769/強制連行長崎訴訟 第二次大戦中の1944年、旧日本軍などに捕らえられて強制連行され、長崎県にあった旧三菱鉱業(現三菱マテリアル)経営の高島、端島、崎戸の3炭鉱で過酷な労働を強いられたとして、中国人10人(うち4人は遺族)が2003年11月に提訴。元労働者は大半が中国・河北省出身で、うち2人は長崎市の旧長崎刑務所浦上支所に抑留され、長崎原爆で被爆死したとされる。強制連行訴訟では、初めて県にも賠償請求した。 原告側によると、3島に計845人が連行され、94人が死亡したという。
強制連行訴訟 長崎も原告敗訴 「除斥と時効」地裁判決 不法行為は認定
(西日本新聞2007年3月27日掲載)
 第二次大戦中に中国から強制連行され、長崎県の炭鉱で過酷な労働を強いられたり、原爆で死亡したりしたとして、中国人の元労働者と遺族計10人が国と長崎県、炭鉱を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)など2社に計2億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、長崎地裁であった。田川直之裁判長は「強制連行、労働の事実はあったが、被告の賠償責任は時の経過により消滅した」として、原告の請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
 一連の訴訟は全国で14件が係争中で、26日の宮崎地裁判決に続く原告敗訴。4月27日には、最高裁が、企業の賠償責任を認めた広島高裁判決(2004年7月)を見直す公算が大きくなるなど、原告側に厳しい判決が続いている。
 田川裁判長は「強制連行・労働は国が政策決定し、県は施策の実現に関与。企業も原告の身体・自由を違法に侵害した」と述べ、国と県、企業の不法行為を認めた。さらに、国家賠償法施行(1947年)前の行為には、国は賠償責任は負わないとする「国家無答責」の法理について「人倫に反する極めて違法性の強い事案」として適用しなかった。
 しかし、不法行為から20年で賠償請求権が画一的に消えるとされる「除斥期間」が過ぎているとして原告側の請求を退けた。
 また、企業についても「過酷で危険な条件下で暴力を使って働かせた責任はある」として、三菱マテリアルにだけ安全配慮義務違反による損害賠償責任を認めたが、中国国民が私事で出国することが法律上可能になった86年から10年で時効が成立し、原告の請求権は消滅したと判断した。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/minami/20070328/20070328_001.shtml
「不当判決」原告ら怒り 強制連行長崎訴訟で敗訴 李さんら「勝つまで戦う」=2007/03/28付 西日本新聞朝刊=2007年03月28日00時44分
 中国人原告らの司法救済の願いは、再び「時の壁」にはね返された。強制連行と強制労働について、国や県、企業の不法行為は認めながらも、賠償責任までは問えないとした27日の長崎地裁判決。「不当判決。われわれは勝利をつかむまで戦い続ける」。前日の宮崎地裁判決に続く原告全面敗訴に、原告や支援者からは怒りや失望の声が交錯した。
 判決後、長崎市内での会見には、来日した原告2人や弁護士のほか、数人の支援者が出席。宮崎地裁判決に続く敗訴に、出席者たちは一応に落胆した表情だった。
 「負けるはずがないと思っていたが…」。三菱端島炭鉱で強制労働を強いられた原告の1人、李慶雲さん(81)は、固い表情を崩さなかった。李さんは「どんな判決が出ても、われわれを奴隷のように扱い、苦しめた歴史の事実は消せない。最後には私たちが勝利を得ると信じている」と涙ながらに訴えた。
 三菱崎戸炭鉱で働かされ、父親が被爆死した原告遺族の喬愛民さん(65)は「不公平な判決で、本当に憤っている。父の恨みを晴らすためにも勝つまで戦う」と怒りをあらわにした。
 一方、「長崎の中国人強制連行裁判を支援する会」の本島等会長は「残念で仕方がないが、勝つまで努力するしかない」と言葉少なに会場を後にした。
 原告団支援者の平野伸人さん(60)も「司法は歴史の真実を断罪することから目を背けている。今後、日本と中国両政府による政治的な解決しか、被害者が救われる道はない」と、ショックを隠せない様子だった。
(引用終わり、アクセス日2007.3.31)

中国人元労働者ら敗訴 宮崎の強制連行訴訟2007.3.26

http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news4/article.php?topicsid=5&pack=CN&storyid=7703
中国人元労働者ら敗訴 宮崎の強制連行訴訟

福井新聞3月26日午後1時51分
 戦時中、宮崎県日之影町の槙峰鉱山に強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者7人と故人1人の遺族が日本政府と鉱山を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)に計約1億8400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁(徳岡由美子裁判長)は26日、請求を棄却した。各地で係争中の強制連行訴訟と同様、(1)国は個人に対し賠償責任を負わないとする明治憲法下の「国家無答責の法理」が適用されるかどうか(2)原告の損害賠償請求権が被害から20年の除斥期間が過ぎて消滅したかどうか-が争点だった。原告側によると、槙峰鉱山には太平洋戦争末期ごろ、主に中国の山東省から250人が強制連行され、病気などで77人が帰国できずに死亡した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007032600011時事通信2007/03/26-19:29
強制連行訴訟、中国人原告敗訴=「時の壁」国と三菱マへの請求棄却-宮崎地裁  第2次世界大戦中、日本に強制連行され、宮崎県内の銅山で過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら13人が国と三菱マテリアル(旧三菱鉱業)を相手に元労働者1人当たり2300万円、総額約1億8400万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が26日、宮崎地裁であった。徳岡由美子裁判長は、国と同社の不法行為責任などを認めたが、時の経過を理由に賠償などの請求権が消滅したとして請求を棄却した。
 原告側は判決を不服とし、福岡高裁宮崎支部に即日控訴した。
(引用終わり)
ーーーーーーーー
判決後、原告が控訴するかどうかも記事に入れてほしいものだ。入ってないと原告が諦めた印象を与えている気がするのですが・・。
(アクセス日2007.3.27PM23:40)

戦後補償裁判で、中国人原告が意見陳述 最高裁で初

http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200703160327.html
2007年03月16日18時52分朝日
 第2次大戦中に強制連行され、広島県内の水力発電所の建設現場で過酷な労働をさせられたとして、中国人の元労働者ら5人が西松建設(本社・東京都)を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は16日、双方の意見を聞く弁論を開いた。この日の法廷では、原告2人が意見陳述した。一連の戦後補償裁判で、中国人の原告が最高裁に出廷して意見を述べるのは初めて。
最高裁に入る邵義誠さん(前列右)と宋継堯さん(同左)=16日、東京・隼町で
 大戦末期に原告らが連行されたのは、同県の安野発電所。西松建設の工事現場で中国人360人が働かされ、栄養失調や事故などで29人が死亡したという。
 原告の宋継堯さん(79)は、強制労働のさなかに両目を失明した。車いすで出廷し、「公正な判決を望む」と訴えた。
 邵義誠さん(81)は19歳のとき、路上で突然男たちに拉致されて日本に連れてこられたという。「食べ物は十分ではなく、水を飲んでごまかした。病気になって動けなくなると、食事はさらに半分に減らされた」と説明。「西松建設からは報酬も謝罪もない」と怒りをあらわにした。
 第二小法廷は、72年の日中共同声明で中国人個人の損害賠償請求権が放棄されたかどうかに絞って審理する。2人の原告と代理人は「中国政府側は、個人の賠償請求権まで放棄したという取り扱いはしていない。一方的な解釈をすれば外交問題に発展するのは必至だ」と主張した。
 二審・広島高裁判決は、原告の請求を棄却した一審判決を取り消して同社に総額2750万円の支払いを命じた。しかし、二審の結論を維持する場合には必要がない弁論が開かれたことから、原告側が逆転敗訴する見通しだ。

戦時強制連行 中国人11人、2審で逆転敗訴 新潟訴訟

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070315-00000005-maip-soci
3月15日9時53分配信 毎日新聞

中国人強制連行訴訟控訴審判決の言い渡し後、「不当判決」と書いた紙を掲げて立ちつくす原告ら=東京高裁前で14日午後2時11分
 第二次世界大戦中に新潟港へ強制連行され労働を強いられたとして、中国人男性11人(うち5人死亡)が、国と新潟市の港湾運送会社「リンコーコーポレーション」に2億7500万円の賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は14日、請求を棄却する原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。安倍嘉人裁判長は「戦前の不法行為について国に責任はなく、会社への賠償請求権は時効で消滅した」と指摘した。
 判決は強制連行の事実は認め「国と会社が身体、自由などの権利を違法に侵害した」と指摘。だが、国について、戦後の国家賠償法制定以前の行為は賠償責任がないとの「国家無答責の法理」などを理由に免責した。会社については「労働者への安全配慮義務に違反した」と判断しつつ、請求権が10年でなくなる民法上の消滅時効の成立を認めた。
 1審・新潟地裁は04年3月、会社の同義務違反とそれを放置した国の責任を認めた上で「時効の主張は権利の乱用」として、強制連行訴訟で初めて両者に8800万円の支払いを命じていた。
 1審判決後に亡くなった張文彬さんの二男で原告の一憲さん(52)は判決後の会見で遺影を胸に「非常に憤りを覚える。正義と公正を明らかにするよう闘い続ける。被害者が黙り込むことはない」と話した。【高倉友彰、北上田剛】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070315-00000129-mailo-l15
中国人強制連行訴訟:原告敗訴 法廷に飛び交う抗議--控訴審判決 /新潟3月15日13時1分配信 毎日新聞
 ◇「歴史の公正取り戻す」
 「父には安心してほしい。もし負けても、最後まで闘い抜く」。原告側の逆転敗訴となった14日の中国人強制連行訴訟・控訴審判決。判決前日、そう話していた被害者の遺族、張一憲さん(52)は父の遺影を胸に判決に臨んだ。原告だった父・張文彬さんは、控訴審を最後まで見届けることなく死去。敗訴が告げられ、抗議の声、怒号で騒然とする法廷で、一憲さんは静かに天を仰いだ。【北上田剛、黒田阿紗子】
 東京高裁101号法廷。安倍嘉人裁判長が原告敗訴とする判決を読み上げると、傍聴席からは「ひどい」、「バカみたいな判決出すな」と抗議の声が飛んだ。
 弁護団長の中村洋二郎弁護士は判決後、「(敗訴が続く)同様訴訟の突破口になる判決がほしかった」。一憲さんは「歴史の公正を取り戻せるよう、これからも闘っていきたい」と怒りをあらわにしながら、上告の意思を明らかにした。
 99年8月、第1次提訴に踏み切った文彬さんは1審判決後、裁判の勝利を願う遺言を残し、83歳で亡くなった。1944年に日本軍に捕らえられ、新潟に連行。真冬でも着替えも支給されないまま、新潟港で石炭の積み下ろしなどを強制された。小麦粉などで作った少量のまんじゅうしか与えられず、外に生えている雑草を食べたこともあった。
 その後、広島に連行された文彬さんは、刑務所内で被爆。帰国後も、強制連行・労働に加え、被爆による症状が続いた。一憲さんは子供のころに見た、夜も痛みで眠れず、薬が手放せなかった父の姿を覚えている。175センチの身長で、体重が40キロを切ったこともあったという。
 新潟地裁の勝訴判決を「本当に喜んでいた」という文彬さん。慢性気管支炎や肺気腫、肺結核など九つの症状に悩まされながら、04年12月に亡くなった。
 「長い裁判になる。私がいなくなっても、次の世代が引き継いで闘い抜いてほしい」。逆転敗訴の判決を受け、一憲さんには父の言葉がいっそう重く感じられた。
 ◇外務省アジア大洋州局中国課の話
 国側の全面勝訴で、これまでの主張が認められたものと思っている。
 ◇中村弁護団長の話
 時効や除斥という時間で形式的に片づけた不当判決。到底承知できず、ただちに上告したい。
………………………………………………………………………………
 ◇中国人強制連行新潟訴訟の争点
    判決   事実認定 国家無答責 安全配慮義務違反 除斥 時効
1審  原告勝訴 ○    ○     国、企業     ×  ○
控訴審 原告敗訴 ○    ×     企業のみ     ×  ×

中国人強制連行で現場検証 七尾訴訟

http://www.mro.co.jp/news/newscontents.html?newsdate=20070207&sno=5第二次世界大戦末期に七尾港へ強制連行され過酷な労働を強いられたとして中国人の元労働者が国などを訴えている裁判で、金沢地方裁判所は7日七尾港での現場検証を行ないました。
この裁判は中国・河南省出身の暢同道さん82歳や馬得志さん83歳ら中国人4人が、第二次大戦末期の1944年に七尾港に強制連行され1年間に渡って過酷な労働を強いられたとして国と当時働いていた会社に対し合わせて4400万円の損害賠償などを求めているものです。
金沢地方裁判所から裁判官ら3人が七尾港を訪れ、当時、中国人労働者が船の荷物の積み下ろしを行なっていた場所や宿舎の跡地などで現場検証を行ないました。
検証には62年ぶりに現地を訪れたという原告の1人暢同道さんが立ち会い、自ら荷物をかつぐなど当時の様子を再現し説明しました。
訴えによりますと当時、暢さんらは満足な食事も与えられないまま朝から晩まで働かされた上、日本人の監督者に棒で殴られるなどの苦痛を受けたとしています。

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