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週刊金曜日創刊から現在までの歴史(2008.11.22大集会の冒頭映像)
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南京大虐殺 従軍慰安婦 アメリカの侵略(ベトナム戦争など) 新聞研究地方紙、朝日など)その他、分類別は左欄のカテゴリを参照。 

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できることから動いていこうと思います。

#群馬の森 #追悼碑裁判 新聞報道2017.4.23~6.22

 守る会から送付いただいた資料を転載します。
上毛新聞2017.4.23 「追悼碑展示」見送り 自民県議「一定配慮が必要」 市民団体「表現の自由侵害」
             近代美術館で企画展直前 「追悼碑」展示見送り
         4.24 「議論の必要あった」支持と反対割れる反応
朝日新聞2017.4.23 朝鮮人追悼碑を模した作品 県の指導で撤去 群馬の美術館
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朝日4.23 「追悼碑の問題を提起」 作品を撤去された作家 県立近代美術館
東京新聞2017.6.22 「表現の自由奪わないで」 朝鮮人犠牲者追悼碑訴訟 証人尋問で市民団体側 地裁
 朝日6.22 「政治的発言」に双方が意見陳述 朝鮮人追悼碑訴訟
 上毛6.22  決定の経緯県幹部が証言 追悼碑訴訟
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ーー(引用終わり)
追悼碑展示 撤去は東京5.20記事も参照 http://honkatu.blog24.fc2.com/blog-entry-1081.html
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#群馬の森 #追悼碑裁判 ニュースNO13

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(10/11の)第15回公判で、証人尋問を終えた後、原告、被告、双方が準備書面を提出し、結審となる見込みである。

守る会代表委員の一人である角田義一さんは、戦前、日本の植民地下にあって無念の死をとげた朝鮮人の御霊が穏やかにいられるためには日朝間の平和を実現することだと述べ、今の緊迫した朝鮮半島情勢を憂慮し、アメリカによる米韓軍事演習や「斬首作戦」など、危機をあおり、力によって相手を押し黙らせようとするやり方がもっとも危険である。朝鮮半島で戦火を交えることになれば、日本においてある米軍基地、また、日本列島に設置されている原発に落とされれば日本は甚大な被害に陥る。そのようなことにならないためにも、アメリカの力による平和のまやかしを暴露し、安倍政権にはアメリカに追随しないよう求め、対話による平和の実現をすすめるべきだと話した。

 2017年総会アピール
 今年も、群馬の森「記憶反省そして友好」の追悼碑前で追悼集会を開催するという私たちの願いが叶いませんでした。
追悼碑は、2004年の群馬県議会で全会一致建立が認められ以後碑文や、碑の態様など全てにわたって、群馬県と追悼碑を建てる会とが協議、合意し、県内外から寄せられた多くの市民の浄財によって建立されました。
 ところが、建立から10年、群馬県は設置期間の更新を認めず、碑の撤去を迫ってきました。理由は、追悼集会の葛で政治的発言があり、追悼碑が政治的に利用された結果、碑の存在が紛争の原因となり、「憩いの場」としての都市公園にふさわしくないものとなった、というものです。私たちの知る限り、碑の除幕式から8回にわたる碑前での追悼集会について、県民から苦情や批判の声が寄せられたことは一度もありませんでした。もちろん、碑を管理してきた追悼碑を守る会(旧建てる会)も、碑前で政治集会を計画したことはありません。
 アジア太平洋戦争末期、植民地であった朝鮮半島から労務動員や徴用の名で多くの朝鮮人が連行され、過酷な労働を強いられ、異国の地で命を落としました。彼らの無念の死を悼み、記憶し、二度と同じ過ちを繰り返さない誓いを新たにするとともに、日本と朝鮮・韓国、そして中国をはじめ、広くアジアの平和と友好を願って、追悼碑が建てられ、追悼集会が行われてきました。
 群馬県の決定の背後には、2012年以降、一部右翼団体が行ってきたいわれない追悼碑攻撃が存在することは明らかです。
 私たちは、一方的に言い渡された設置期間更新不許可の決定を容認できず、更新許可を求めて前橋地方裁判所に堤訴し裁判闘争を続けてきました。すでに12回にわたる口頭弁論が行われ、裁判も最終段階を迎え、年内に判決が言いわたされようとしています。
 裁判では原告代表と弁護団が、守る会の主張を全面的に展開し、詳鳥原の決定の不当性を明らかにしており、私たちは勝利を確信しています。
 省みれば追悼碑建立後の10年、国の進路を曲げてしまうような動きが相次ぎ平和や人権が強く脅かされていることを感じます。歴史の修正・歪曲の動きとあいまって、在日朝鮮人・韓国人をはじめ、マイノリティーへのヘイトスピーチ・ヘイトクライムなど、排外主義的な動きが横行しています。戦争・植民地支配に関わる追悼碑や慰霊碑への不当な攻撃、碑文や説明板の不当な改廃が各地で相次ぎました。群馬における追悼碑への攻撃も、それらと軌を一にするものと思われます。
 いま私たちは、この時代をどう生き、未来をどう描いていくのかを厳しく問われています。それに応えるためにも、群馬の森・追悼碑建立にかけた思いを無にすることのないよう、“裁判闘争を軸に碑の存続に力をつくす決意です。
 おわりに、広く県民の皆さん、国内外から私たちの闘いを見守り連帯していただいている皆さんの一層のご支援をお願いし、アピールといたします。
 2017年4月22日   「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会
 2017年総会
ーー(引用終わり)
追悼碑裁判ニュースNO14はこちら
群馬県 #追悼碑を守る署名にご協力ください。
http://honkatu.blog24.fc2.com/blog-entry-1097.html

#群馬の森 #追悼碑裁判  追悼碑の設置期間更新を求める請願 #署名用紙

「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会 より、送付いただきました。群馬県民の方はもとより、県外の方も署名にご協力のほどよろしくお願いします。
ー判決を前にして、県議会に追悼碑存続を迫るためにー
「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る請願署名」運動に対する協力のお願い

*請願署名用紙 裏表 
・署名の集約時期:10月末日
・今後の裁判予定:第16回口頭弁論 10月11日(水)14時~
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*署名用紙 こちらにも保存しています(「ダウンロードページ開く」<ダウンロード<、保存か開く)
・下記の「追悼碑を守る会」へ依頼、郵送もいただけます。
*署名用紙 送付先
 「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会
〒371-0026 群馬県前橋市大手町3-11-1社会文化会館内

ーー
署名用紙裏の「声明」を転載する。過去の経緯がよくわかる。
         声   明
1.本日、「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑(以下、追悼碑)を守る会」(以下、追悼碑を守る会)は、同追悼碑の設置期間更新を求める守る会の申請に対して、去る7月22日群馬県が行った不当な不許可決定を取消すこと、ならびに設置期間更新を許可することを求めて、前橋地方裁判所に提訴した。
2.同追悼碑は、群馬県と追悼碑を守る会(当時は、追悼碑を建てる会)の間の長時間をかけた真摯な協議とそれによる合意に基づいて建立され、10年余を経過した。
 今回の群馬県の決定は、群馬県と守る会の合意にいたる経過から見て、道理がないばかりか、県立公園・群馬の森に同追悼碑を設置する根拠となった「都市公園法」の趣旨・目的や憲法に定められた表現の自由に反するものであり、不当なものである。
3.追悼碑をめぐっては、2年余り前から歴史修正主義に立つ(ネット右翼と呼ばれる)一部右翼団体による撤去を求める攻撃が続き、群馬県に対する働きかけが繰返された。それは、全国各地で、在日韓国・朝鮮人などマイノリティーに対して繰返されている差別・排外意識をあらわにしたヘイトスピーチと軌を一にするもので、群馬県の決定は、これら右翼団体の脅しに屈したものである。
4.群馬県は、決定の理由として、①追悼集会で政治的発言があり、政治的行事に利用された ②碑前で、追悼碑攻撃を行う右翼団体と県職員との間で小競り合いがあるなど、追悼碑が紛争のもととなっていることをあげている。
 しかし、これらの理由は、追悼碑建立の趣旨や存立意義や同碑に寄せられている県内外の多くの市民の思いとは無関係で、道理がない。
5.同追悼碑は、県内外から寄せられた物心両面の協力を得て建てられた。碑の正面には上記の碑名が刻まれ、背面には、日本語とハングルの碑文が記されている。
 碑文は、強制連行され、苛酷な労働を強いられ、群馬の地で命を落とした朝鮮人労働者の死を悼み、「・・かつてわが国が朝鮮人に対し、多大な損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたい・・この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願う・・」と刻まれている。
6.碑文に表された追悼碑を守る会や碑の建立を支えていただいた人々の碑への思いは、いまもなんら変わっていない。
守る会は、同追悼碑の管理団体として、弁護団と共に、裁判を通じて私たちの主張を貫くために努力すると同時に、県内はもちろん、全国各地、そしてこの碑をめぐる動きを注視するアジアの人々と心を一つにして、追悼碑の存続のために、全力を挙げて闘う決意を明らかにする。
2014年11月13日
「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会

#群馬の森 #追悼碑裁判 #追悼碑を守る会 声明文 2017.7.26

声明「記憶反省そして友好」の追悼碑(群馬の森)を守るために
一層のご支援をよびかけます!
-過去を忘れず、未来を見つめ、アジアの平和と友好を築くために-
1.県民のみなさん!県立公園・群馬の森の一角に立っ「記憶・反省・そして友好」の追悼碑をめぐる裁判が、いよいよ最終局面を迎えます。
この碑は、アジア太平洋戦争の末期、植民地・朝鮮から強制的に連行され、群馬県内で過酷な労働を強いられ、命を落とした朝鮮人労働者の死を悼むために建てられました。
 いまこの碑をめぐって、碑の撤去を求める詳馬県と碑の設置期間更新を求め、追悼碑の存続をめざす私たち追悼碑を守る会の間で裁判が行われています。裁判所における口頭弁論はすでに15回を数え、裁判は間もなく結審し、判決を迎えようとしています。
2.アジア太平洋戦争の末期、日本政府は、労働力不足を補うために、植民地・朝鮮から「労務動員計画」で大勢の朝鮮人労働者を強制的に連行し、戦場や軍事工場・鉱山・鉄道・発電所など国内の様々な現場で、過酷な条件下で非人間的な労働を強い、i多くの犠牲者を出しました。群馬県内でも、6,000人を下らない朝鮮人労働者が様々な労働現場で働き、多数の犠牲者を出しています。しかし、その実態は、国や地方行政機関が、関係文書を焼却・廃棄したため、十分に解明されていません。
3.追悼碑は、故郷に帰る夢を果たせず、異郷で無念の死を遂げたこれら朝鮮人労働者を悼むと共に、はかり知れない痛み・苦しみを与えた侵略・植民地支配の歴史を記憶にとどめ、若い世代に引き継ぐと共に、過ちを繰返さない決意を新たにすることで、韓国・朝鮮や中国をはじめ広くアジアの国々・人々との間に真の平和と友好を築き上げていく願いを込めて、建てられました。
4.群馬県に対する最初の要望書提出から5年、詳馬県議会の請願採択に始まり、建設用地の選択や碑の態様、名称、碑文をめぐる交渉と合意を経て、碑の竣工、除幕まで足掛け4年の歳月をかけて、碑は2004年4月完成しました。
この間、碑の建立運動は、群馬県当局をはじめ自治体・議会や、県内外の多くの市民のみなさんの協力と支援によって支えられてきました。碑の建立費用には、賛同いただいた県内外の大勢の市民のみなさんが拠出いただいたご芳志が、充てられました。
5.追悼碑は、合意にいたる過程で、追悼碑を建てる会(現守る会)との長時間に及ぶ真撃な協議に多くの努力を払われた群馬県当局をはじめ、上述のような多くの市民のみなさん、そして県民の皆さんの協力と支援が生んだ共同の財産であると同時に、県民の良心の証でもあります。それは又、日本と朝鮮・韓国をはじめアジアの平和と友好をみすえた貴重なモニュメントとして、県立公園・群馬の森にふさわしい施設となっています。
6.しかし、冒頭に触れたように、群馬県は、この追悼碑の設置期間更新を求めた守る会の許可申請に対して、←2014年7月11日、不許可を決め、撤去するよう求めてきました。
県は、①追悼集会で来賓などによる「政治的」発言があり、追悼集会が政治集会となった
②右翼団体の行動によって碑の性格が変わり、「紛争の原因」となっているなど、を理由と
してあげていますが、いずれも言いがかりとしかいえないものです。
背景には、歴史を歪曲し、在日外国人への差別・排外主義をあおる一部右翼団体による碑の撤去を求める執拗な働きかけがあります。
7.前橋地裁における裁判が、いよいよ最終局面を迎えようとしている今、私たちは、_改めて県民の皆さんに訴えます。碑の建立を支えた人々をはじめ、広く県民の共有財産として、また県民の皆さんや碑を支えていただいているすべての人々の良心の証として追悼碑は存在しています。
裁判が大詰めを迎える今、この碑を守り抜くために全力をあげる決意を明らかにすると共に、これまで以上のみなさんのお力添えを心からお願いする次第です。
2017年7月26日      「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会 

#群馬の森 #追悼碑裁判 弁論の骨子等  #追悼碑を守る会

「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会(以下守る会=原告) から資料を送付いただいたので、転載します。
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*資料NO9より、5.裁量権の逸脱濫用
 ・原告が政治的行事に追悼碑を利用した事実(条件違反)がないこと
 ・原告が執り行っていたのは死者を悼む目的の追悼式であり、政治的行事ではない。
 ・被告(=群馬県)が問題視する各発言によって、死者を悼む目的の追悼式が政治的行事の変化することはない。
 ・被告が問題視する各発言は、概ね村山談話や日朝ピョンヤン宣言の趣旨に沿っており、被告の定義を前提としても「政治的発言」にはならない。
 ・来賓の発言をもって原告が追悼碑を政治的に利用したとはいえない。
 ・序幕式において中山運営委員が「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう。」と述べた事実はない。
ーー(引用終わり)
てっきり、右翼市民団体が難癖つけて訴えたかのと思っていたが、群馬県が原告とは。右翼に踊らされて、県が訴訟を起こすなんてナンセンス!自民が強い保守王国の土地柄のせいか?元社会党の参議院副議長の角田義一さんが代理弁護人、がんばってください。

強制連行の悲劇刻む 十日町に記念碑 2016.12新潟日報


中国人犠牲者悼み 十日町市の信濃川発電所の建設現場で過酷な労働を強いられた元労働者の歴史を伝える記念碑「平和友好の碑」が同市長徳寺に建立された。
ーー(著作権は新潟日報にあります)

強制連行リスト 在日朝鮮人、中国人ほか

2017.9.20 「丹波マンガン記念館の730日」、李龍植 解放出版社より引用。
2017.9.20 東京 麻布 在日韓人歴史資料館 展示より引用。
2017.9.2記 朝鮮人強制連行の記録(未来社) 朴慶植 *追記分
2017.8.27記 鉱山と朝鮮人(明石書店),朝鮮人強制連行調査の記録 四国編(柏書房)引用。*追記分
(2016.10.5記)参考文献に1992朝鮮人・中国人強制連行・強制労働資料集(神戸学生青年センター出版部)を追加。
(2016.9.19記)山口 長生炭鉱追加 長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会
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主に国内の戦前の強制連行の現場を調べてみた。圧倒的に朝鮮の方々が多い。戦前の鉱山、ダム、土木工事、軍事施設、軍需工場はほとんど朝鮮人が関わっている。行政にとっては暗い歴史として産業遺跡の保存はされておらず消えていく場所も多い。せめて慰霊碑などは整備し、隠したり、消したりせず、日本の負の歴史を後世にも語り伝えてほしい。(市町村は旧跡を残しながらの整備にしてほしい。整備にかこつけた破壊、抹消の例が多いのではないか。)
国内になぜ在日朝鮮の方がおられるのか、今後も考えていきたい。(リストは作成中、都度更新していきます。)
県 市町村 ダム、鉱山 現場名 会社 被害民族 参考
*千島列島 軍用地・飛行場建設
*樺太 軍用地・飛行場建設
南樺太 塔路ほか 石炭鉱山 塔路炭鉱ほか 南樺太石炭鉄道(株) 朝鮮 26炭鉱、6120名
*北海道 釧路市 尺別炭鉱
北海道 上川郡東川町 発電所 江卸発電所(揚水式) 日本発送電(株) 朝鮮 ソウルより98名労務徴用。監獄タコ部屋
北海道 紋別市 金鉱 鴻之舞鉱山 住友金属鉱山 朝鮮 2727名強制連行。下請け地崎組
北海道 北見市留辺蘂町 常紋トンネル 慰霊碑あり タコ部屋 
北海道 北見市留辺蘂町 イトムカ鉱山 水銀 朝鮮 42X数倍 周旋屋 棒頭
北海道 北見市留辺蘂町 置戸鉱山 水銀 中国 野村鉱業297 伊藤組499 地崎組290 (死亡者45)  
北海道 帯広市 帯広飛行場工事 大成建設 朝鮮 タコ部屋
北海道 空知支庁沼田町 昭和炭鉱 明治鉱業 中国人 劉連仁さんも連行された
北海道 雨竜郡幌加内町朱鞠内 雨竜ダム工事 王子製紙(飛島組) 朝鮮 犠牲者約46 笹の墓標展示館 空知民衆史講座
北海道 雨竜郡幌加内町朱鞠内 深名線鉄道工事 朝鮮
*北海道 空知郡上砂川町 三井砂川鉱 42死
*北海道 美唄市 美唄炭鉱 三井・三菱 7000名以上(536人死)
*北海道 歌志内市 鳩ケ岡鉱47人死、歌神鉱22死、神威炭鉱東坑11人死、空知竜田鉱36死、空知開北坑16死、朝鮮
北海道 夕張市 夕張炭鉱 朝鮮
秋田 大館市 花岡鉱山 鹿島組 中国  1945年虐待に耐えかねた中国人が日本人数人を殺害し蜂起、弾圧を受け100人以 上が虐殺(花岡事件)。鹿島組職員は戦後の横浜BC級戦犯法廷で3名絞首刑、河野所長が終身刑の判決後、減刑、全員釈放。
岩手 釜石市 製鉄所 日鉄釜石製鉄所 朝鮮 690名。強制連行 現新日鉄釜石
岩手 釜石市   釜石線鉄道工事場 朝鮮
岩手 釜石市   大黒見鉱山 日本鉱業 朝鮮 70名
岩手 和賀郡湯田町   赤石鉱山 日本鉱業 朝鮮 100名
岩手 宮古市   田老鉱業所 ラサ工業 朝鮮 423
岩手 宮古市   宮古精錬所 ラサ工業 朝鮮 50
岩手 岩手郡松尾村   松尾鉱業所 松尾鉱業 朝鮮 1189
岩手 和賀郡湯田町   鷲合森鉱山 三菱鉱業 朝鮮 42
岩手 和賀郡湯田町   土畑鉱山 朝鮮
岩手 二戸郡一戸町   大志田ダム 西松組 朝鮮 110
岩手 盛岡市   外山ダム 西松組 朝鮮 230
岩手 盛岡市   米内発電所 鹿島組 朝鮮 100
*宮城 仙山線鉄道工事 伊東組 約1000 面白山トンネルの両側に犠牲者の慰霊碑
*宮城 仙台市 宮城野区 原町 陸軍造幣廠 戸田組・安藤組 1000
*宮城 仙台市 青葉区 陸軍造幣廠小田原分工場 約600
*宮城 多賀城市 海軍工廠 工事 菅原組・大林組 約1000 原町陸軍造幣廠と合わせ述延べ2万名超、工廠近くの涙橋の橋げたに朝鮮人2,3名が人柱としてコンクリートでぶちこまれる。慈雲寺、東園寺、願成寺などには100余名の死亡者名簿があり45余体の遺骨を発見。
*宮城 東松島市 矢本飛行場建設(現航空自衛隊 松島基地)
*宮城 東北本線 岩切ー品井沼 鉄道線路の迂回工事
*宮城 黒川郡大衡村 亜炭鉱山
*宮城 栗原市 細倉鉱山 遺骨7、死亡者26
*宮城 柴田郡船岡町 海軍火薬庫建設
山形 最上郡舟形町   木友鉱山 東北興業 朝鮮 亜炭鉱山、200
山形 最上郡大蔵村   赤山鉱山 古河鉱業 朝鮮 49
山形 最上郡大蔵村   永松鉱山 古河鉱業 朝鮮 銅山、S36年閉山。家族まで含む600人の集団移入。
山形 米沢市   西吾妻鉱山 朝鮮 硫黄。発破をかけると硫酸が燃えガス発生、のど・眼を痛めた。トロッコ一人押し。300
山形 温海町   田川炭鉱 ラサ工業 朝鮮 600
山形 小国町 工場 小国製造所 日本電興 朝鮮 1000
山形 朝日村大鳥 金属山 大泉鉱業所 朝鮮 金属山
山形 上山町   赤山鉱山 朝鮮 金属山49
山形 西村山郡西川町葦草森 高畑鉱山  朝鮮  旧間沢駅から索道
*福島 いわき市他 常磐炭田(死193) 古河ほか 朝鮮 ピーク7210、湯本鉱、川平鉱、磐城炭鉱、古河好間炭鉱(死40)、勿来鉱(死13)、赤井鉱(死14)、寿鉱、神ノ山鉱、櫛形鉱、関本鉱 平事件(1949年)、小田鉱(死9)、大昭鉱業(死2)
福島 福島市 中島飛行機信夫山地下工場 朝鮮  中島飛行機武蔵製作所の移転先
*福島 耶麻郡猪苗代町宮ノ西 沼ノ倉水力発電所 中国人712(死10余名)、朝鮮人千数百名(死?) 、発電所近くに朝鮮人殉難者慰霊碑(33名うち中国人4名の死、寺に10体の遺骨)、中華民国人殉難者慰霊碑あり。
*福島 大沼郡三島町 宮下水力発電所 同胞や中国人と思われる屍体が只見川を流れるのを見た
茨城 日立市 鉱山 日立鉱山 朝鮮 銅鉱、金銀2416 S15.2~S20.1
茨城 日立市 鉱山 日立鉱山 中国 銅鉱、金銀908 S19.2~S20.5
茨城 西茨城郡七会村塩子 鷹峯鉱山 朝鮮 マンガン鉱2
茨城 軍需工場 羽田精機竜ヶ崎工場 羽田精機 朝鮮 車両、弾丸、兵器生産85
茨城 石岡鉱業所 常磐炭鉱 朝鮮 296
茨城 炭鉱 櫛形鉱業所 東邦炭鉱 朝鮮 260
茨城 工場 水戸工場 日立製作所 朝鮮 189
茨城   土浦支店 日本通運 朝鮮 158
*栃木 日光市足尾 足尾銅山 古河鉱業 9651300人 中国人257人中109人死亡、栄養失調・病人への虐待
*栃木 日光鉱山、
*栃木 今市市市藤原町小佐越 木戸ヵ沢鉱山 日光鉱山と合わせて1600余名
*栃木 東京から日光に至る道路工事、足尾から細尾峠を経て日光に至る道路工事
群馬 吾妻郡六合村 群馬鉄山 日本鋼管 朝鮮 480 トロッコ押し。麦はご馳走、大豆とコウリャンが主食。
群馬 吾妻郡内 国鉄吾妻線工事 大成建設、熊谷組、西本組、佐藤興業 1110 1942.10着工、1945.1.2開通。
群馬 吾妻郡嬬恋村 小串硫黄鉱山 北海道硫黄(株) 朝鮮 50 硫黄鉱山 1971閉山
群馬 吾妻郡嬬恋村 羽根沢鉱山 朝鮮 不詳
群馬 吾妻郡嬬恋村 吾妻硫黄鉱山 帝国硫黄(株) 朝鮮 100 1971閉山
群馬 吾妻郡嬬恋村 上信鉱山 朝鮮 80 ろうせき
群馬 吾妻郡 石津硫黄鉱山 朝鮮
群馬 吾妻郡 白根鉱山 朝鮮
群馬 長野原町北軽井沢 陸軍浅間演習場 朝鮮 195 満州引揚の開拓義勇団により北軽井沢開拓地として耕作
群馬 沼田市岩本 岩本発電所導水トンネル工事 間組 朝鮮、中国 約1000、中国人捕虜612(43死亡) 慢性的な飢餓
群馬 利根郡月夜野町 中島飛行機後閑地下工場 間組 朝鮮、中国 約1000、中国人捕虜612 中国人は慰霊碑あり(如意寺
群馬 沼田市上川田 陸軍火薬工廠地地下工場 朝鮮 不詳
群馬 太田市西長岡 中島飛行機藪塚地下工場 朝鮮 1000~2840(死亡不明)、276中国人(50死亡)
群馬 太田市 中島飛行機太田工場 朝鮮 零戦工場 1945.2.10空襲 金竜寺に追悼碑
*群馬 太田市 中島飛行機 太田飛行場建設
*群馬 邑楽郡大泉町 小泉飛行場建設
群馬 邑楽郡大泉町 中島飛行機小泉工場 朝鮮 零戦工場
*群馬 旧平井村(現 藤岡市) 平井飛行場・地下工場建設
*群馬 利根川河川工事、
*群馬 上越線、信越線鉄道工事
*群馬 沼田ー奥日光道路工事 
群馬 高崎市下之城周辺 高崎駅操車場整備工事 朝鮮 100
群馬 多野郡吉井町 中島飛行機多野地下工場 間組 朝鮮 今は自衛隊の敷地内
群馬 群馬郡群馬町 堤ヶ丘飛行場建設 神崎組 朝鮮 1945.2中島飛行機堤ヶ丘工場 戦闘機疾風の組み立て
群馬 勢多郡大胡町堀越 トンネル 朝鮮 100 中島飛行機移転のためのもの
群馬 勢多郡大胡町 中島飛行機分散工場の掘削 朝鮮 大胡城址本丸跡地下
群馬 碓井郡松井田町新堀 軍需工場建設 朝鮮 松井田城址公園地下 100 整地作業、トンネル工事
群馬 安中市磯部 軍需工場建設 朝鮮 安中城址公園地下 100 整地作業、トンネル工事
*東京 丸ビル、日本石油、日本郵船、三井銀行ビルの高層建築へ物を上げる人力工事に8名死亡、426名負傷者。1920-30年代*東京 国会議事堂 65mの高所へ石を担いで上がった。議事堂の大理石は朝鮮から持ってきたものが多い。
*東京 勝鬨橋、永代橋などの架橋工事
*東京 羽田飛行場、銀座線浅草ー渋谷間の地下鉄工事
*東京 省線(山手、中央、京浜)拡張工事
*東京 京王、東横、東武、西武、小田急などの私鉄拡張工事
*東京 京浜国道、甲州街道、青梅街道などの道路拡張工事
*東京 国道4-10号線工事、1931-33 290万の労働力の大半が朝鮮人
*東京 浚渫工事(江戸川、四谷見付ー市ヶ谷見付、赤坂見付ー食逓見付) 1925年
*東京 深川汐崎町、古川橋、中ノ橋 護岸工事
*東京 江東区 石川島造船所 石川島播磨工業 ドックや洲崎の寮が東京大空襲で全焼、数多くの朝鮮人が焼死。
*東京 八王子市 浅川(高尾) 中島飛行機 地下工場建設 約2000 4名事故死
*東京 西多摩郡奥多摩町 小河内ダム 6名事故死
神奈川 川崎市 工場 昭和電工 昭和電工 朝鮮
*神奈川 川崎市 日本鋼管川崎工場 数万名  命の「交換」と言われた
*神奈川 川崎市 日立造船 建設工事
*神奈川 横浜市鶴見区 日本鋼管 3千名
*神奈川 横浜市 野毛山公園 建設
*神奈川 横浜市 東神奈川 三菱造船(現三菱重工)
*神奈川 京浜急行、横須賀線、三浦半島周辺道路は軍港横須賀の建設のために作られた。
*神奈川 横須賀市 埋立工事、道路工事、トンネル工事、防空壕、火薬庫つくり、武山の自衛隊基地(40万坪)の工事 
神奈川相模原市 相模ダム  朝鮮人常時約350、中国人常時約300人 死者朝鮮19、中国28 相模湖ダムの歴史を記録する会   
長野 下伊那郡泰阜村 泰阜ダム 朝鮮 昭和7~10年 2300人 スト後警察検束、拷問
長野 下伊那郡天竜村 平岡ダム 熊谷組(矢作水力) 朝鮮、中国 2000。(死亡者はトロッコから落下、トンネル工事、スコップの柄が当たる等。中国人捕虜の3倍死亡。)8人のBC級戦犯、内5人死刑
長野 飯田市 飯島発電所 朝鮮、中国、俘虜 昭和20 約1000
長野 下伊那郡 三信鉄道(現飯田線)敷設工事 朝鮮 約600 飯田駅に飯場 70~80収容 三河川合
山梨 身延町 波木井水力発電所工事 日本軽金属(飛島組) 朝鮮 1939~41 家族を含め1万超の集団就労
山梨 南部町 富士川第一発電所 飛島組、西松組 朝鮮 航空機のアルミ生産の自家用発電所
静岡 蒲原町 富士川第二発電所 飛島組、西松組 大倉土木 朝鮮 トンネル洪水流入、落盤ほか事故の犠牲者
静岡 磐田郡佐久間町 硫化鉄 旧久根鉱業所 古河鉱業 朝鮮 約延べ300 遠州じん肺訴訟
静岡 磐田郡龍山村 銅山 旧峰之沢鉱業所 日本鉱業 朝鮮、中国 197 正月休みに豊橋で従業員が逃亡を監視 
愛知 半田市 半田製作所 中島飛行機(清水組) 朝鮮 "1944年 1200。飯食わせと抗議するとけんかになり、憲兵隊にリンチで鎮圧される。終戦を知らず逃亡した朝鮮青年が知多半島で瀕死で2カ月野宿、発見、その後帰国。北朝鮮へ共に渡った半田の女性あり(消息不明)。
愛知 知多鉄道(河和線)建設工事 名鉄 朝鮮 昭和5
*三重 名張鉱山
*三重 熊野市(旧 木本町) トンネル工事 260名(虐殺2名) 追悼碑あり
岐阜 神岡鉱山 三井鉱業 朝鮮、連合軍俘虜 1943 連合軍俘虜650、朝鮮人1300
新潟 赤谷村   赤谷鉱山 朝鮮
新潟 上海府村   羽越西線工事 朝鮮
新潟   関山発電所 越後電気 朝鮮 大正8年4月55(前年26名逃亡)
新潟 中魚沼郡津南町 中津川第二発電所 大林組、日本土木 朝鮮 "大正10年6月~13年夏2000。大正11.7朝鮮人虐殺事件、信濃川を頻々流れ下る鮮人の虐殺死体(読売)、中津川事件
新潟 小滝村   姫川第6発電所 佐藤組 朝鮮 "昭和8年 200 昭和8待遇改善要求 300余人暴動化発電所襲う"
新潟 工事 国鉄信濃川発電所 間組、西松組、飛島組、鹿島組、大倉土木 朝鮮 500
新潟 工事 東京電灯信濃川発電所 飛島組 朝鮮 300
新潟 工場 日本鋼管新潟製鋼 日本鋼管 朝鮮 161
新潟   入船町工場 新潟鐵工所 朝鮮 168
新潟   栗原組 朝鮮 23
新潟   新潟電工 朝鮮 39
新潟   海陸運送 朝鮮 194、中国人1170
新潟   新潟港支店 日本通運 朝鮮 82
新潟   長岡支店 日本通運 朝鮮 32
新潟   北越電化 朝鮮 150
新潟   上越通運 朝鮮 25
新潟   赤谷鉱山 日鉄鉱業 朝鮮 600昭17.9日本人8と朝鮮人13人の間で闘争
新潟   飯豊鉱山 日曹鉱業 朝鮮 50
新潟   村松 三協鉱業 朝鮮 39
新潟   鹿瀬工場 昭和電工 朝鮮 74
新潟   津川 三川鉱山 朝鮮 85
新潟   入広瀬鉱山 日鉄 朝鮮 300
新潟   直江津 帝国特殊製鋼 朝鮮 28
新潟   新井 大日本セルロイド 朝鮮 26
新潟 工場 二本木 日本曹達 朝鮮 1000四エチル鉛に犯され神経を痛め脳病院で死亡した沢山の徴用工
新潟   田口工場 中央電気 朝鮮 45
新潟   青海工場 電気化学 朝鮮 爆薬製造482
新潟   村上 葡萄鉱山 朝鮮 ?
新潟 鉱山 佐渡鉱業所 三菱鉱業 朝鮮 金山1250
新潟 工場 直江津工場 信越化学工業 朝鮮 238
新潟   西本組 朝鮮 ?
新潟   西川鉱山 日本電気冶金 朝鮮 1944.11に50
新潟 加茂町狭口   鏡部隊 朝鮮 "船舶兵100、日本人下士官より指導訓練 S20.8.15以来新聞の閲読禁止、敗戦を知らずに服務"
富山 工場 不二越 朝鮮 富山強制連行訴訟 1992富山地裁提訴 未払い賃金 韓国人元徴用工535、女子挺身隊3 週刊金曜日34号1994.7.15 P19
*富山 富山市笹津 日本マグネシウム富山工場 北鮮から約200 終戦後伏木港からの羅津への帰国の貨物船が、出港まもなく機雷にぶつかり沈没、3名のみ助かる。
*福井 大飯郡おおい町 犬見鉱山 鉄鉱石 1000人
京都 宇治市 宇治川電気工事 1910年 朝鮮人60人解雇
京都 与謝郡加悦町 鉱山 大江山ニッケル鉱山 日本冶金工業 中国人200、朝鮮人、米捕虜他総勢3400 陸軍省関与" 強制連行訴訟
京都 北桑田郡京北町 新大谷鉱山 朝鮮 李貞鎬氏設立の丹波マンガン記念館、じん肺
*京都 北桑田郡京北町 弓山鉱山、掛橋鉱山
*京都 葛野郡嵯峨村字原 村田鉱山
*京都 南丹市(旧 船井郡日吉町) 日吉鉱山
京都 園部町 大阪陸軍造兵廠 陸軍 朝鮮 1944~1945.8
*京都 南丹市(旧 和知町) 鐘打鉱山 タングステン
*京都 舞鶴市 舞鶴海軍基地
*京都 美山町 岩谷鉱山、荒倉鉱山 マンガン鉱
大阪 土木 近鉄 生駒トンネル 大林組 朝鮮 トンネル西口工事約200。地元村民との争闘事件1913
大阪 工場 岸和田紡績 岸和田紡績 朝鮮 男子工61、女工726。1918~ 生活環境劣悪。粗末な食事。
大阪 堺市 土木 光明池堤防工事 大林組 朝鮮 1936.6完成。200人強。トロッコ事故で1回2,3人死亡。石碑あり。
大阪 交野市 軍事施設 陸軍造兵廠第五枚方製造所 朝鮮 652㎡ 長さ128M
大阪 枚方市中宮 軍事施設 陸軍造兵廠枚方製造所 朝鮮 昭和12、3000人、
大阪 枚方市 軍事施設 陸軍造兵廠禁野火薬庫 朝鮮 昭和14大爆発 朝鮮1名死亡
大阪 吹田市山田 倉庫 海軍大阪軍需部 朝鮮 1300㎡
大阪 茨木市安威 倉庫 海軍大阪軍需部 朝鮮 680㎡
大阪 高槻市 工場 陸軍二見工場 川崎航空機 朝鮮
大阪 高槻市   地下工場 川崎航空機
大阪 高槻市成合 軍事施設 タチソ陸軍高槻倉庫 間組 朝鮮 山中に36本のトンネル、150m、計17000㎡、3500名(50死亡)川崎航空機地下工場、高槻市民の会
大阪 茨木市中穂積 燃料庫 10~15カ所掘られた
大阪 吹田市千里丘 地下爆薬庫 海軍(飛島組) 丘陵地約20カ所にトンネル式横穴式地下壕
大阪 池田市五月山麓 五月山地下魚雷格納庫 陸軍 伊丹空港約6キロ 地下壕掘り
大阪 北区玉江町 軍事施設 海軍大阪警備府司令部 朝鮮 990㎡
大阪 北区梅田 大阪支所 日本通運 2150連行
大阪 東淀川区西淡路 延原倉庫
大阪 城東区 軍事施設 大阪陸軍砲兵工廠 陸軍 朝鮮 昭和20 1319人強制連行、8.14米機絨毯爆撃
大阪 大阪市平野区 土木 平野川改修 朝鮮 1919~1923
大阪 大阪市天王寺区 軍事施設 生玉公園軍事地下壕 陸軍 100 大阪城陸軍司令部の移設目的
大阪 大正区南恩加島 大阪工場 日本製鉄 朝鮮 197従事
大阪 西淀川区 工場 淀川製鋼所 "1942 500 逃亡者は特高に拷問
指切断、結核、栄養不良"
大阪 西成区津守 工場 大和製鋼 S18~19 500 現大阪製鉄 津守工場
大阪 大正区南恩加島 恩加島工場 久保田鉄工 1944 110
大阪 此花区桜島 伸銅所 住友金属 1944 現 日新製鋼 正門横に空襲慰霊碑
大阪 平野区瓜割 大和川航空機製作所 大阪金属工業 朝鮮 1944 100整地作業 現ダイキン
大阪 港区築港 港湾 大阪港 1944 港湾労働400、倉庫荷役50
大阪 大正区船町 大阪工場 帝国化工 60、脱走者は特高に焼け火箸の拷問
大阪 大正区船町 協和造船所 103
大阪 大正区船町 本社 中山製鋼
大阪 大正区南恩加島 恩加島工場大谷重工業
大阪 西淀川区西島町 西島工場 大阪製鋼
大阪 西淀川区中島町 大阪工場 大同製鋼
大阪 西淀川区外島町 大阪工場 大谷重工業
大阪 此花区桜島 桜島工場 日立造船 数100~数千人 抗議の断食でリンチを受けた
大阪 住之江区柴谷 本社 藤永田造船所 "8000 軽量艦艇建造、空襲で死亡数百 1967年三井造船に吸収合併"
大阪 八尾市 軍事施設 大正飛行場 陸軍 200
大阪 泉大津市西港町 大津工場 寿重工業 1942 50 電気炉
大阪 泉佐野市南中安松 佐野飛行場 福田組、郷組、宮本組 数100 明野陸軍飛行学校佐野分校 1500M滑走路
大阪 貝塚市津田 津田工場 帝国産業 4,50 ロープ 現テザック
大阪 貝塚市脇浜 貝塚工場 大阪製鎖機 高射砲工場 20
大阪 岬町 軍事施設 多奈川地下トンネル 飛島組 朝鮮 149m、949㎥
大阪 岬町 軍事施設 多奈川工事場 呉海軍建築部、川崎重工 飛島組、原庄組、星野組 朝鮮 徴用土工400(1942阪南市、岬町に3000余居住)海軍ドック
大阪 岬町   多奈川事件 朝鮮 1952.3.26密造酒摘発
大阪 河内長野市 中部陸軍前線司令部 大工事?
奈良 香芝市 ドンヅル峰航空総軍指令所 陸軍 朝鮮人兵士が従事
兵庫 尼崎市 大阪製麻 1926 292 通称 朝鮮人工場
兵庫 尼崎市 日亜製鋼 674 現日新製鋼 12H労働、警察に捕まりビンタとシゴキにより精神異常
兵庫 尼崎市 尼崎製鋼 270
兵庫 尼崎市 尼崎製鉄 150
兵庫 尼崎市 尼崎工場 神戸製鋼 101現場監督に殴られ溶鉱炉に転落死。逃亡者が捕まり殴り殺された。
兵庫 尼崎市 大谷重工業 150
兵庫 尼崎市 大同製鋼 130
兵庫 尼崎市 尼崎工場 久保田鉄工 195 1943.8警察検束を釈放要求80スト
兵庫 尼崎市 武庫川工場 久保田鉄工 150 1944.4職長へ反感11集団暴行
兵庫 尼崎市 尼崎工場 大阪機械製作所 148 1943.3契約違反に対し争議
兵庫 尼崎市 園田工場 日本パイプ製造 136
兵庫 尼崎市 旭硝子  朝鮮 100ナンバンキビを寮で常食、常に腹がへった
兵庫 尼崎市 大阪伸銅所 古河電工 朝鮮 80
兵庫 尼崎市 住友鋼管 300
兵庫 尼崎市 ヤンマーディーゼル 50
兵庫 尼崎市西長洲 鉄線工場 朝鮮人がベルトに巻かれて死亡事故
兵庫 尼崎市 阪神国道建設工事 1920年代 延べ30万人 国道2号線
兵庫 尼崎市、伊丹市、宝塚市 武庫川改修工事 1920年代 延べ20数万人 尼崎~宝塚
兵庫 伊丹市 伊丹空港建設工事 1930年代 空襲時防空壕に一人も入れてもらえない
兵庫 伊丹市 伊丹 日本通運 68
兵庫 伊丹市昆陽 伊丹製作所 住友電工 朝鮮 1945 126(豊中、池田居住)
兵庫 西宮市 新三号トンネル 国鉄福知山線 1922完成 生瀬~道場 火薬爆発3名即死
兵庫 西宮市甲陽園 地下工場 川西航空機(大林組、西松組、飛島組、鴻池組、奥村組) "1000 現 新明和工業 地下トンネルに朝鮮國獨立の文字
昭和天皇の長女照宮が近所の料亭はり半に疎開していた、地下トンネル20数本が現存していた"
兵庫 西宮市苦楽園 地下工場 川西航空機 現 新明和工業
兵庫 西宮市 夙川改修工事 1932.2 8時間労働、差別廃止の自救会
兵庫 西宮市 西宮工場 吉原製油 111
兵庫 西宮市 西宮貨物自動車運送 70
兵庫 三田市藍本 軍事施設 藍野地下工場 大阪陸軍造兵廠 迫撃砲、弾薬製造
兵庫 三田市広野 地下工場 住友プロペラ 3000
兵庫 神戸市 川崎造船所 1914.4募集
兵庫 神戸市 本社 神戸製鋼所 1916.6募集 413連行
兵庫 神戸市 分工場 川崎造船所 1917募集
兵庫 神戸市 神戸造船所 三菱重工業 1917募集、1984連行
兵庫 神戸市 葺合工場 三菱重工業 1398
兵庫 神戸市 兵庫工場 三菱重工業 221
兵庫 神戸市 神戸電鉄有馬線 1927.4 1300余人 賃金未払い
兵庫 神戸市 国鉄東海道本線 高架工事 人夫多くは朝鮮人であり工事場にゴロ寝
兵庫 神戸市長田区 ゴム工業 兵神ゴム工業 116労働争議
兵庫 神戸市 中央ゴム 98
兵庫 神戸市 神戸船舶荷役 148
兵庫 神戸市 神戸港 250
兵庫 神戸市 和田岬出張所 白石基礎工事 121
兵庫 神戸市 葺合工場 川崎重工業製鉄所 1398
兵庫 神戸市 兵庫工場 川崎重工業製鉄所 221
兵庫 神戸市 艦船工場 川崎重工業製鉄所 2237 造船
兵庫 神戸市 神戸貨物自動車 162
兵庫 神戸市 日本制動機 118
兵庫 神戸市 神戸工場 神戸鋳鉄所 50
兵庫 神戸市 大阪瓦斯 55
兵庫 神戸市 阪神内燃機工業 51
兵庫 神戸市中央区 修法ケ原 深道閣トンネル
*兵庫 神戸市北区 帝釈鉱山 宮脇万次郎 銅 40
兵庫 明石市 明石工場 川崎航空機 朝鮮、中国 1500 空襲犠牲者あり
兵庫 姫路市 口崎組 241
兵庫 姫路市 広畑港運 309
兵庫 姫路市 播磨工場 福島紡績 1917募集 現シキボウ
兵庫 姫路市 播磨造船所 1917募集
兵庫 姫路市 播磨工場 神戸鋳鉄所 73
兵庫 姫路市 広畑製鉄所 日本製鉄 1000
兵庫 姫路市 網干工場 大日本セルロイド 137 現ダイセル
兵庫 姫路市 国崎組 241
兵庫 相生市 播磨造船所 "2202 現 石川島播磨重工 寺に遺骨60安置
朝鮮人戸籍あり"
兵庫 高砂市 曽根造船所 三井造船 50
兵庫 高砂市 高砂工場 播磨耐火煉瓦 100
兵庫 西脇市 播州織物工業所 朝鮮 1929 募集141
兵庫 加西市 鶉野飛行場 朝鮮人戸籍、小学校学籍簿57人児童
兵庫 加古郡 多木製肥会社 1922.7 職工31待遇改善要求 
兵庫 北条市 地下工場 川西航空機 500 現 新明和工業
*兵庫 多紀郡篠山町 篠山鉱山 日鉄鉱業 珪石(ガラス、陶磁器、耐火煉瓦の原料) 70-80 (畑鉱山ほか)
*兵庫 多紀郡篠山町 福住鉱山 マンガン
兵庫 朝来郡生野町 生野鉱山 生野鉱業所 三菱鉱業 1340 金銀銅
兵庫 養父郡大屋町 明延鉱山 三菱鉱業 899 数十名の英豪州捕虜の使用もあり、銅スズ 逃走捕まると、天井逆さ吊り木刀むちで殴り、気絶後茶瓶で鼻へ注水し殴る
兵庫 養父郡関宮町 中瀬鉱山 日本精鉱  243 金銀水銀アンチモン 169
兵庫 養父郡大屋町 大屋鉱業所 日曹鉱業 100 金銀、ニッケル、鉄
兵庫 豊岡市立石 神美鉱山(カミヨシ) 石原産業 67 金銀
兵庫 氷上郡氷上町 春日鉱山 井口鉱業 209
兵庫 美方郡美方町久須部 峯山l鉱山 峯山金山 200 金銀
兵庫 城崎郡竹野町 竹野鉱山 日本鉱業  30 金銀ケイ酸鉱
*兵庫 城崎郡竹野町 但馬金山 金銀 
兵庫 赤穂郡上郡町岩木 旭日鉱山 日本鉱業 金銀 50
兵庫 城崎郡香住町 沖ノ浦鉱山 日本鉱業 金銀
兵庫 宍粟郡安富町関 富栖鉱山 亜南産業 金銀ケイ酸鉱 26
兵庫 城崎郡香住町 鉄道 余部鉄橋 1909 2、3000人 高さ41m、長さ390m
兵庫 城崎郡香住町 桃観トンネル 1908 1991m、7人犠牲者浜坂 八幡神社 招魂碑
兵庫 桜山作業所 大倉土木 147
鳥取 岩美郡岩美町 荒金鉱山 朝鮮 昭和18 鳥取地震で30数人朝鮮人死亡
鳥取 境港市 美保海軍航空隊基地 朝鮮
広島 高暮ダム 奥村組 朝鮮 2000 中国地方最大のダム 県北の現代史を調べる会
*徳島 板野郡松茂町 海軍飛行場 50-100 1945.3
*徳島 阿波市市場町 海軍飛行場 300-500
*徳島 阿南市小勝島 海軍回天特攻隊基地 特殊潜航艇・蛇竜・海竜・回天の特攻基地 約200
*徳島 那賀郡羽ノ浦町宮倉字沢田 第四海軍燃料兵器廠 150 石炭(泥炭)の採掘
*徳島 那賀郡椿泊町 海軍秘密基地 350余名
*徳島 那賀郡木頭村北川 軍用道路工事・ブナ材搬出 20 板張りの1人乗り特攻機「桜花」。松根油
*徳島 那賀郡木沢村坂州(または沢谷) 軍用道路工事・ブナ材搬出
*徳島 麻植郡三山村 高越鉱山 日本鉱業 銅硫化鉄 110
*徳島 三好鉱山 日本鉱業 20
*徳島 三縄鉱山 日本鉱業 19
*徳島 東山鉱山 日本鉱業 15
*徳島 山城町 相川ダム・川口地下発電所(地下秘密発電所) 230余名
*香川 香川郡直島町 三菱直島製錬所 三菱鉱業 銅亜鉛 460-1122
*香川 高松市林町 陸軍林町飛行場 400弱
*香川 観音寺市 海軍飛行場 500 慰安所あり
*香川 詫間町香田 海軍航空隊基地
*香川 小豆島内海町 海軍特攻隊基地 200 木ノ庄・片城地区
*愛媛 松山市 吉田浜海軍航空基地 掩体壕 70-80
*愛媛 温泉郡川内町 炭焼きの供出 30
*愛媛 宇摩郡別子山村 住友鉱業 銅山 700人 丸い石の無縁墓5-8個 半島長屋
*愛媛 伊予三島市(旧金砂村) 佐々連鉱山 120
*愛媛 新居浜市旭町 住友各社 1422 
*愛媛 今治市 銭高組 ドック工事(大井ドック、波止浜ドック) 数千人
高知 土讃線トンネル工事 朝鮮 枕木1本に朝鮮人1人の多数の犠牲者
高知 大正町 津賀ダムと導水路工事 朝鮮 100~200 朝鮮風 土まんじゅうの墓
高知 土佐波賀 佐賀水力発電所 導水路建設 朝鮮
高知 中村市(幡多郡八束村) 四万十川改修工事 朝鮮 150
*高知 幡多郡大月町柏島 軍用道路(柏島ー平山間) 1944.3完成 ダイナマイト事故で朴二東が即死
高知 土佐清水市 「震洋」特攻隊基地壕 朝鮮 落盤事故で2人が埋もれている。
高知 大月町柏島 「震洋」特攻隊基地壕 朝鮮 県道工事の発破作業で1名爆死
*高知 土佐市宇佐町井尻 第50震洋隊基地 100-200 特攻艇基地(壕掘り)
*高知 大川村朝谷 白滝鉱山 日本鉱業 金銀銅、硫化鉄 300
*高知 土佐郡本川村長沢 長沢ダム
*高知 吾川郡吾川村 加枝発電所 鴻池組 321
山口 笠戸 日立製作所 朝鮮 S20 47
山口 下松 東洋鋼鈑 朝鮮 S20 419
山口 防府 東亜化学興業 朝鮮 S20 43
山口 小野田セメント製造 朝鮮 S20 50
山口 宇部市 長生炭鉱 朝鮮 昭14.10~昭16.12 1258人 昭17.2.3に坑口から約1,000mの場所で天盤が崩壊、183名(うち朝鮮人136名)が犠牲  長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会
山口 宇部 理研金属 朝鮮 S20 163
山口 宇部鉄工所 宇部興産 朝鮮 S20 47
山口 宇部セメント 朝鮮 S20 94
山口 林兼重工業 朝鮮 S20 49
山口 彦島工業所 東洋高圧 朝鮮 S20 150
山口 東見初炭鉱 朝鮮、中国、俘虜 集団移住朝鮮労働者へ日本人暴行事件
山口 沖ノ山炭鉱 朝鮮、中国、俘虜 労務係りの暴行
福岡 筑豊炭田 古河西部鉱業所 朝鮮 1912年から。 ケツワリ=脱走
福岡 筑豊炭田 貝島鉱業所 朝鮮 1917年
福岡 筑豊炭田 麻生商店 朝鮮 1923年 1100人
福岡 筑豊炭田 中山田鉱業所 朝鮮 1925年
福岡 田川郡川崎町 豊洲炭鉱 古長鉱業所 朝鮮 一に夕張、ニに豊洲(圧制ヤマの順)
福岡 麻生赤坂炭鉱 1944 朝鮮人100人が事務所へ投石
福岡 嘉穂郡稲築町 新山野炭鉱 橋上鉱業 1943 朝鮮100が暴動
福岡 遠賀郡水巻町 日炭高松鉱 日産化学工業 朝鮮昭和16 2015 アリラン峠
福岡 鞍手郡宮田町 貝島炭鉱 朝鮮 1909(明治42)ガス爆発259死亡(朝鮮人1名服務)
*福岡 大牟田市 三池炭鉱 三井鉱山 朝鮮・ 中国2300余 500人近くが死亡 王起禎さん
長崎 長崎市 造船所 日鉄鉱業鹿町工業所 朝鮮
長崎 西彼杵郡崎戸 崎戸炭鉱 三菱崎戸鉱業所 朝鮮、中国 浦上刑務所に収容の囚人を使う 
長崎 西彼杵郡高島町 高島炭鉱 三菱鉱業所 朝鮮 3000~3500
長崎 西彼杵郡高島町 端島炭鉱(軍艦島) 三菱鉱業所 朝鮮 1944年 500
*長崎 佐世保市 松浦炭鉱
大分 宇佐市 城井一号掩体壕 海軍宇佐航空隊 朝鮮 人間ロケット爆弾 桜花を格納
大分 南海部郡米水津村 回天訓練基地 海軍 朝鮮 壁にハングル語の落書
宮崎 宮崎市 赤江飛行場 掩体壕 海軍宮崎航空隊 朝鮮 掩体壕21基
宮崎 東臼杵郡北川町 槙峰鉱山 中国
鹿児島 鹿屋市 地下壕 海軍鹿屋航空隊 朝鮮
沖縄 西表島 丸三炭鉱 宇多良鉱業所 朝鮮、台湾、中国
*南方 パラオ島 道路工事・飛行機の格納庫作り
*南方 フェアス島 リン鉱掘り 南洋拓殖(株) 約300
*南方 ヤップ島 飛行場作り 600 米軍機の機銃掃射・焼夷弾で70人死
*南方 マーシャル諸島 ブラウン環礁 朝鮮人 235玉砕
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引用文献
・当事者が書いた強制連行 北海道・闇に消えた十一人 鄭 晳仁 彩流社
・朝鮮人強制連行論文集成 朴慶植ほか 明石書店
・週刊金曜日34号1994.7.15 P19(不二越)
・週刊金曜日1995.10.3 94号(大江山ニッケル鉱山)
・朝鮮人強制連行調査の記録 大阪編 柏書房
・朝鮮人強制連行の記録 兵庫編 柏書房
・常紋トンネル 朝日文庫 小池喜孝
・「消し去られた歴史」をたどる 群馬県内の朝鮮人強制連行、追悼碑を建てる会
・しらべる戦争遺跡の事典 正・続 柏書房
・清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録 林えいだい 岩波書店 
・若者たちの東アジア宣言 朱鞠内に集うに日韓在日アイヌ 殿平善彦 かもがわ出版
・もうひとつの現代史 川瀬俊治 ブレーンセンター
参考リンク
強制動員真相究明ネットワーク
人権平和・浜松 戦時強制労働の調査
朝鮮人強制連行論文集成P500 原英章 氏より引用。
・朝鮮人労働者の実態を掘り起こすことの意味
当時の日本帝国主義の他民族侵略、抑圧、支配の、忘れてはならない事実を身近に再確認できること。
もう一つは、「在日朝鮮人、韓国人がなぜ多いのか」という、戦後世代の素朴な疑問を解き明かし、在日朝鮮・韓国人に対する偏見、差別をなくし、両民族の理解と連帯の礎になること。(引用終わり)
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(2015.8.24記)リストをまとめてきての所感。日本政府、国民は旧日本帝国の過去の植民地支配を全く反省していない。いわく老年者は「アジア諸国の欧米列強からの解放、産業振興に役立った」と公言する方も多いが、足を踏まれ、殴られた者の事実を全く認識しておらず、忘却している。戦後世代も戦前日本の侵略行為を教育されておらず、在日朝鮮人の国内での存在理由も知らず、被差別民族として認識するのみである。
 当ブログでは戦前の日本帝国主義の侵略行為を今後も追及していく所存である。米英はじめ欧米諸国が戦前の植民地支配を旧植民地国に対し謝罪した事実を聞いたことは少なく、大同小異ではないかとも考えるが、ゆえに日本が免罪されるとも考えない。現在の朝鮮半島が韓国、北朝鮮に分断された引き金は日本であることを認識し、日本の近現代史の負の側面をもっと学ぶべきである。
 A級戦犯や植民地支配会社の社長の孫を、総理や大臣へ押し頂いてるようでは、アジア諸国民から信頼、友好を得られるとは到底思えない。アジアの世紀である21世紀に向け、これはある種米国の策略かとも思うが、やはり日本国民の民度の問題であろう。戦争犯罪人を自国民で裁いていないことが最大の理由である(天皇の戦争責任も考えていかねばならない)。
--2015.8.30群馬追加
「消し去られた歴史」をたどる 著:群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会 P39より引用。
なぜ今追悼碑か
 私たちが、いま強制連行犠牲者の追悼碑を建てる運動を呼びかける理由は二つあります。
一つは、当然のこと、強制的に祖国、故郷、家族と切り離され、望郷の思いを抱きつつ、犠牲になられた亡き人々に対する追悼を行なうことです。中国人犠牲者については、戦後早い機会に調査され、遺骨の送還や追悼式が行なわれ、追悼碑が、それぞれの労働現場近くに、関係者、地区住民などの手によって建てられました。しかし、朝鮮人犠牲者については、今日まで調査も行なわれず放置されてきました。戦後五十年を過ぎ遅くなりましたが、日本人の歴史認識が世界の人々から問われているいまこそ、可能な限りの調査を行ない歴史的事実を明らかにすべきだと思います。二十世紀に犯した過ちの精算は、今世紀のうちに済まそうではありませんか。
二つ目は、過去の日本が犯した過ちに対し、一人の日本人として、また一人の人間として、率直に反省し、再びこのようなことを起こさない誓いと決意を表わすことにあります。明治以降の日本は、西欧の進んた近代化を模倣する中で、間違った帝国主義の国づくりまでも見習ったのでした。そして、アジア諸国を侵略し、特に朝鮮を植民地として支配し、大変な屈辱と損害を与えてきました。にもかかわらず、これに対する心からの反省と謝罪、補償が行なわれていません。闇取引ともいうべき日韓条約をたてに、いわゆる「従軍慰安婦」、徴兵された「元皇軍兵士」、強制運行被害者、原爆被爆者など、戦争犠牲者への謝罪、補償要求を拒否し続けています。朝鮮民主主義人民共和国に対しては、敵視政策をとり、戦争準備とも言うべき新ガイドラインに基づく周辺事態法などの制定を進めています。それのみか、未だに在日の朝鮮、韓国人に対する差別、蔑視の思想を残し、いたるところで無法な行為や嫌がらせなどの事件が発生しています。
 私たちは、日本というこの国に生きるー人の人間として、日本の政府と日本人が犯した過去の歴史の真実を直視し、そしていまなお犯し続けている過ちをはっきりと認識しなければなりません。それなくして、私たちの国における民主主義も、人権の確立も、またアジアの民衆との和解も、心からの親善友好も生まれないと思います。
 私たちは、この追悼碑を建てる運動を通じて、この国に民主主義を根付かせ、人権を確立したいと思います。そして、アジアの人々との真の友好を結びたいと思います。そのことが日本政府の政策の転換をも導くものと確信しています。
 ご協力をお願いします。(発行1999.2 引用終わり)
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群馬県と右翼市民団体はこの慰霊碑の撤去を計画、(現)追悼碑を守る会と訴訟になっている。

群馬 #追悼碑 裁判ニュース2017.8.10 10/11結審を迎える #追悼碑裁判

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以下パンフより、引用。
私たちがこの間一貫して主張してきたことは、碑前の集会は追悼行事としておこなってきたのであり、政治集会として開催したことはなかったということ。参加者の発言については「表現の自由」という観点から、事前に内容をチェックするわけにはいかないと主張してきた。また、追悼碑前での政治的発言が紛争の原因となっているというが、抗議している団体は追悼碑の存在そのものを攻撃しているだけである。彼らの街宣行動の発言を聞いても、偏狭なナショナリズムや排他主義に満ちている。それが、多くの市民のもつ感情や価値観と相いれないことがわかるし、群馬の森では多くの市民が散策やレクレーションを楽しみ、美術館、歴史博物館を訪れている。
 追悼碑の撤去を求める一部団体の請願をめぐって感じるのは、行政や議会がゆがめられていないかということである。請願をした人たちは、本当に市井の人たちの意見や考えを反映しているのだろうか、請願を採択した県議会の議員の皆さんや県当局は、請願団体やグループの目的や活動内容を検証したのであろうか。毎回、公判が開かれるときには裁判所の前にその団体の人たちが街宣行動をおこなっている。彼らの発声する言葉は、「強制運行はなかった、朝鮮を植民地にしていない、日本は鉄道や工場を造ってやった」などであり、歴史修正主義、民族排外主義、偏狭なナショナリズムそのものである。一部の人たちの言動をもって、碑が、騒ぎの要因となっている、都市公園として憩いの場としてふさわしくなくなったと判断することは、それらを利用し、過去におこなった歴史的事実を消し去ろうとする行為に加担することに他ならない。請願を受け入れた自民党が圧倒的多数を占める県議会でどれだけの真剣な討論がなされて、結論が出たのか。
 追悼碑は2004年、県議会において自民党を含む全会一致で賛同、決議され、県当局との長期間にわたる真撃な話し合いを経て建立されたものである。行政や自治体議員がなすべきことは、多くの県民の意見を聞き入れ、地域の安定と発展に奉仕し、、未来を生きる人たちに、平和で安心して生きられる地域社会をつくっていくことではないだろうか。過去の歴史に学び教訓とし、現代を生きる人たちが思考をめぐらせ、未来に向けて国内外の平和・友好の関係をきずくためにも、追悼碑裁判を勝利させなければならない。(後略)
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追悼碑裁判関係スケジュール
10月11日(水〉12:30~
第16回口頭弁論意思統一集会
群馬県教育会館3階中会議室
10月11日(水)14:00~
第16回口頭弁論
前橋地方裁判所
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「記憶反省そして友好」の追悼碑の設置期間更新を求める請願署名へのご協力のお願い
「記憶反省そして友好」の追悼碑の設置期間更新を求める講顕署名は2014年11月、2015年5月、2016年12月と群馬県議会に提出させていただきましたが、十分な審議が行われることなく、不採択になりました。
 追悼碑裁判はいよいよ大詰めをむかえており、詳馬県議会に対して3度目の講顧署名を行います。不採択になった時点から新たな諮顕署名になりますので、一度書いた方でも大丈夫なので再度署名をお頭いし、前回以上の署名数を提出するため、引き続きご協力お頭いいたします。
※署名用紙は、下記へ連絡して下さい。
「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会
電話・FAX共通027-236-0663
ーー(引用終わり)
10/11に結審を迎える、群馬県 #追悼碑 裁判にご支援を!

群馬 #追悼碑 裁判 「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る運動にご協力を!

あるイベントで頂いたので掲載。
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以下、パンフより引用、
・ネット右翼と追悼碑攻撃一歴史の偽造と差別排外主義
①各地で荒れるネット右翼一在特会
 2014年7月22日、詳馬県が行った追悼碑設置期間更新不許可の決定は、2012年頃から始まったいわゆる「ネット右翼」(「そよ風」を名乗る女性右翼グループなど)の追悼碑に対する誹藷・中傷、群馬県当局や県議会議員などへの設置期間更新不許可を迫る働きかけが発端となりました。
攻撃の口火を切った女性右翼団体「そよ風」の追悼碑への攻撃は歴史を捻じ曲げ、在日外国人、とりわけ韓国・朝鮮人に対する差別と排外意識で貫かれたものでした。それは、京都の朝鮮学校への妨害行動や徳島県教組への乱入事件、さらには東京新大久保のコリアンタウンでの反韓国・朝鮮デモなどで在日の人々に対して次々と投げつけられる口汚いヘイトスピーチ・ヘイトクラムと通ずるもので、第10回追悼集会を記念して前橋市で開かれた市民の集いに対しても、数時間にわたって繰り返されました。群馬県議会が「採択」し、群馬県の不許可決定を後押しした「追悼碑撤去を求める請願」は、これらの行動を組織したネット右翼などによって、2014年5月提出されたものです。その内容は、前述のとおり、過った歴史認識に加えて、在日朝鮮・韓国人に対する強い差別意識と排外主義に貫かれています。
 私たちは、群馬県議会の場で、このような請願が、安易に採択され、今回の群馬県の決定に至ったことを、群馬県民として、非常に恥ずかしく思います。
 私たちは、国連人種差別撤廃委員会が、いま日本各地で横行している在日の人々へのヘイトスピーチに対して、日本政府が毅然と対処するよう求めていることを、しっかりと受けとめると共に、政府が国連の勧告に誠実に応えるよう、求めていかねばなりません。
②群馬県の不許可決定の問題点-「政治利用」と碑をめぐる「紛争」の実態
 守る会は、2013年12月18日、群馬県に対して、/建立から10年を迎えた追悼碑の設置期間更新許可を申請しました。その後数次にわたり群馬県との話合いが行われましたが、群馬県は一方的に対話を打ち切り、更新不許可を通知して来ました。
県が行った不許可決定の文書によると、その理由は、2点挙げられています。1つば、追悼集会の場で、(政府の政策を批判する)政治的発言があったこと、2つ目は、追悼碑の存在が「紛争」のもとになっている、ということです。
 都市公園法に基づき、群馬県が追悼碑の設置を許可した際の詐可条件には、「設置許可施設については、宗教的・政治的行事および管理を行わないものとする」とあります。
 しかし、実際は、追悼集会の場で、追悼の言葉を述べた団体代表などの発言の中に、一部政府や地方行政の政策に対する批判的な言及、それもそれ自体は真実を言い当てたもので、政府や地方行政の差別的な政策や怠慢を指摘し、是正を求めたにすぎず、これを取り上げて、追悼集会があたかも政治集会(政治的行事)であったかのように描き出したネット右翼の言い分を、群馬県当局がそのまま鵜呑みにしたにすぎません。
 県は、「政治的」なる漠然とした概念で、政府や地方行政への批判的な見解を切り捨てて、自己の見解を強要することで、表現の自由を侵害する過ちを犯しています。
 この間題について、守る会は、事前の群馬県との対話の中で、今後碑前の集会は追悼行事に限定する意思もすでに明らかにしていることを付記します。
 2点目の「紛争」云々に触れるならばそれは、2012年11月、追悼碑に対するいわれない攻撃を繰り返し、群馬の森公園内で無許可集会を行おうとした前述のネット右翼などを制止しようとした群馬県職員との小競り合いのことで、それを追悼碑の撤去に結びつけることは、とんでもない筋違いで、とても容認できません。
 また、追悼碑は、碑文も碑の態様もすべて長時間にわたる群馬県と建てる会との真剣を協議の結果、得られた合意にもとづいて確定し、県立公園・群馬の森にふさわしいものとして建立が許可されました。
 その碑が、右翼団体の理不尽な攻撃によって、その性格を変え、公園にふさわしくないものとなったという群馬県の判断は、荒唐無稽としか言いようがありません。
(中略)
・追悼碑存続を求めて提訴ー広がる支援の輪
 追悼稗の存在は、碑の建立を支え‾た人々のみならず、すでに広く県民の財産として、また国境を越えたアジアの平和と友好のシンボルとしての意義をもつにいたっています。
 一部の右翼団体やこれに同調する日本会議などに連なる政治家たち、彼らの言動に踊らされる群馬県の一部職員の判断によって、存在を左右されるものではありません。
 追悼碑を守る会は、構文をあらためて引用するまでもなく、碑にかけられた多くの人々の思いを無にしないために、そして何よりも、群馬の地で、本人の意に反して過酷な労働を強いられ、不幸にして命を落とされ、祖国の土を踏む夢を絶たれた多くの朝鮮人労働者たちをしのぶと共に、同じ過ちを二度と繰返さぬためにも、追悼稗をぜひとも存続させたいと願っています。
 2014年11月13日には、9人の弁護士からなる弁護団を代理人とし、群馬県に対して、前述の不許可処分を取り消し、設置期間更新を許可するよう求めて、前橋地方裁判所に提訴しました。また、同月18日には、県内はもとより、全国各地から寄せられた「追悼碑を守る請願署名」を県議会議長に手交、請願しました。請願署名運動を継続しています。また、同日夜、追悼稗裁判を支える
市民集会を開催、県内はもちろん全国各地から参加いただいた団体・個人の会員の皆さんによる「『追悼碑裁判』を支える会」を発足させ、請願署名運動の継続を含めて裁判闘争勝利をめざす道を歩みはじめました。
 裁判は、2016年の今日までに、すでに8回にわたる口頭弁論が行われ、法廷では、第1回口頭弁論で、原告団・弁護団が主嬢を述べだのに続いて、以降弁護団が原告側の主張を全面的に展開し、群馬県の決定の不当性を明らかにし、設置期間を更新すべき道理を訴えてきました。群馬県の不許可決定を取り消させて、追悼碑の存続をかちとる勝利の日を迎えるには、まだまだ多くの時間が必要と思われます。
 そして、この裁判の帰趨は、全国各地でいま繰り広げられているネット右翼などによる不当な攻撃との闘いに、大きく影響するものと思われます。
守る会は、そのことを肝に銘じつつ、勝利に向かって力を尽す所存ですので、心ある市民の皆さんが引続き温かいご支援・ご協力をお寄せいただくよう、訴えます。
                               2016年8月 「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会

ーーーー(別のパンフより)
「記憶反省そして友好」の追悼碑の設置期間更新を求める請願署名へのご協力のお願い
「記憶反省そして友好」の追悼碑の設置期間更新を求める講顕署名は2014年11月、2015年5月、2016年12月と群馬県議会に提出させていただきましたが、十分な審議が行われることなく、不採択になりました。
追悼碑裁判はいよいよ大詰めをむかえており、詳馬県議会に対して3度目の講顧署名を行います。不採択になった時点から新たな諮顕署名になりますので、一度書いた方でも大丈夫なので再度署名をお頭いし、前回以上の署名数を提出するため、引き続きご協力お頭いいたします。
※署名用紙は、下記へ連絡して下さい。
「記憶反省そして友好」の追悼碑を守る会
電話・FAX共通027-236-0663
ーー(引用終わり)
 裁判は佳境に入り、10/11に第16回口頭弁論、年内判決のようです。守る会のHPなどは探してみたが見つからなかった。署名用紙をネットでアップロードしてもらえればと思うのですが・・。


群馬県立近代美術館 朝鮮人追悼碑モチーフ作品撤去 2017.5.20東京

表現と鑑賞の場守れ 各地で圧力萎縮懸念 電話で「館長の決定。明朝、撤去を」
「公共彫刻は時の権力や社会情勢に(存在意義が)左右される。過去の記憶を伝える碑を消し去ったりする動きがあることへの問題提起をしたかった」
ーー引用終わり、著作権は東京新聞にあります。

強制労働訴訟 三菱重工に賠償命令韓国地裁遺族に計1億1300万円

2016.8.26東京新聞より引用。
第二次大戦中に朝鮮半島から日本に強制動員され、当時の三菱重工業の機械製作所(広島市)で労働を強要されたとして、韓国人元徴用工の遺族らが三菱重工を相手に計十四億ウォン(約一億二千五百万円)の損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁は二十五日、三菱重工に対し、原告に計十二億六千万ウォン(約一億一千三百万円)を支払うよう命じた。

甲陽園地下壕、2015.8朝日

朝日、大阪版より引用。朝鮮国独立と壁に字。
朝鮮人労働者は甲陽園イに400~500人くらいいた。
壕は昨年埋め戻され、永遠に失われてしまった。西宮市は写真や動画をHPで公開している。(引用終わり)
ーー
昨年からのためた記事をアップ。

浮島丸から71年、舞鶴で19日講演 /京都府、青森)むつで浮島丸追悼集会、追悼集会に400人 舞鶴

20160917asahi,ukishimamaru,kouen朝日20160917丹後版より引用、
旧海軍の輸送艦「浮島丸」が終戦直後に舞鶴湾で爆発、沈没し、帰国する朝鮮人労働者らが犠牲になった「浮島丸事件」から71周年の講演会が19日、舞鶴市南田辺の西総合会館で開かれる。奈良女子大名誉教授の中塚明さんが、「歴史に向き合わない日本人―『浮島丸事件』を記憶し続ける意味―」と題して話す。主催する浮島丸殉難者を追悼する会の余江勝彦会長は「事件が、日本による朝鮮の植民地支配など日本の近代史と深くかかわっていると知ってもらいたい」と話す。
 午後1時から。会場費・資料代300円。
ーー
20160823asahi,ukishimamaru青森)むつで浮島丸追悼集会 亡くなった500人に祈る 2016年8月23日朝日、青森より引用。
「浮島丸下北の会」が94年から主催。23回目の今年は、4月に他界した初代会長、斎藤作治さんの追悼が重なり、参加者約20人が海に向かって黙禱(もくとう)、献花して冥福を祈った。舞鶴の「浮島丸殉難者を追悼する会」(余江勝彦会長)からも「師(斎藤さん)の意思を受け継ぎ活動を続けたい」とメッセージが届いた。
 下北の会の村上準一会長(69)は「斎藤さんは『なぜ浮島丸は終戦直後に大急ぎで出港したのか。今年は答えを出そう』と話しておられた。いくつもある謎を一つ一つ解明していきたい」と意欲を見せていた。
ーー
20160825asahi,ukishimamaru朝日20160825大阪より引用、浮島丸事件「伝える責任」 追悼集会に400人 舞鶴 /京都府

相模ダム 中国、朝鮮人ら強制労働2016.1.18東京新聞

相模ダム知られざる歴史
相模湖ダムの歴史を記録する会 強制労働の朝鮮人は常時約150人、中国人は約300人と判明。死者朝鮮人19人、中国人28人。
ーー東京新聞より引用。
朝鮮人の強制連行の記事を久しぶりに見た。

http://cpri.jp/1119/
http://www.jca.apc.org/femin/interview/murota.html

群馬 朝鮮人強制連行追悼碑訴訟 口頭弁論2016.2.25東京新聞

「集会の自由への介入だ」 原告弁護団が意見陳述
東京新聞より引用。

再訪 中国の旅 平頂山、万人坑 本多勝一 週刊金曜日1995.8

hone1-2.jpghone2.jpg週刊金曜日1995.7.14 第82号より引用。
再訪中国の旅1
P9盧溝橋
(略)中国を私が初めてたずねた二四年前(一九七一年)にはここに特別なものはなかったが、八年前(一九八七年)に「中国人民抗日戦争記念館」が完成した。(略)
P11-裏庭には別棟の展示場がいくつもあり、ハルビンでの当時「世界最大の人体実験場」だった七三一部隊をはじめ、細菌爆弾の実験、拷問のための刑具などが、写真や実物で示される。ペスト菌班・結核菌班・冷凍実験班・媒介昆虫培養班・ネズミ増殖貯蔵班をどの分担も、そのリーダーの実名とともに表示されている。人体実験・細菌実験などは七三一部隊だけでなく、藩陽の。満州医科大学」の例はすでに。中国の旅』で紹介したが、そのほか長春の「満州一〇〇部隊」とか北京の「北支甲一八五五部隊」、南京の二六四四部隊」、奉天(港陽)の「五一六毒ガス部隊」など何か所にもあったことが図表で明らかにされている。(略)
P12平頂山
今回ぜひ再訪したかったひとつに、撫順郊外の平頂山がある。一九三二年(昭和1)にここで起こされた無差別虐殺事件については『中国の旅』で報告したとおりだが、二四年前には現場がまだ発掘されていなかったので、道路ぎわの土を手で少し掘ると人骨がたくさん出てきた。のちに発掘されて記念館ができ、日本人旅行者で見てきた人も少なくないので、機会があれば再訪したいと思っていた。(略)

週刊金曜日1995.7.21 第83号
P38 再訪中国の旅2
平頂山
 いまから六三年前(1932年)の平頂山虐殺事件について、生還者の一人、李偑珍さん(八六)が語った体験は次の通りである。
 李さんの実家は平項山にあるので、夫の一家とともに実家に逃げこんだ。食事にしようとしたところへ、日本兵が現れた。外に出てみると、兵隊たちがいっぱいだ。住民を次々と退いたてている。李さんたちも、銃剣をかまえた日本兵らが両側に立つなかを、村の西側にある丘のふもとへと歩かされた。逃げようとして射殺される者もいた。
 集められた群衆のうち、李さんがいたのほぼまんなかあたりだった。住民のなかに朝鮮系の民族もいたらしく、それを呼びだすような声を聞いた。機関銃の一斉射撃が開始されたのは、それからまもなくだった。わきおこる阿鼻叫喚のなか、李さんはひざまずくような姿勢ですわらされていた。機関銃弾が左肩に命中する。前の人の上に倒れる。動頴していて痛みもわからない。
P39 機関銃掃射が終ると、日本兵たちが銃剣をもって死体の山を調べにかかった。生存者を刺し殺して歩く。八歳になる姪が李さんを呼ぶ声。二、三人へだてているので姿がみえぬ。「たまってうつぶせになりなー・」と李さんが答え終わらぬうちに、姪は絶叫とともに刺殺された。その直後に李さんも刺された。うつぶせの姿勢で右脇腹をやられた。そのまま意識を失ってしまった。
 何時間くらいすぎたがわからないが、気がついたときは深夜だった。霧雨ぎみの天気は晴れて丸い月が出ている。たぶん午前二時ころと思われた。肩と脇腹の重傷で血まみれの李さんは、天に助けを求めて祈ったが、かなえられる徴侯は何もなかった。
夜があげると、血だらけで身重の李さんは、なんとか立ちあがっ現場を脱出し、近くの村の農家に助けをもとめた。(略)このとき殺された李さん一家は次の三人である。父(李従文士=ハ二)・夫/(周徳忠=二七)・夫の弟(二三)・長兄(四一、二)・その妻(四〇?)・その長男(一七)・その妻一九)・その次男(一三?)・その長女(二カ月?)・次兄の長女(八)三兄の妻(二三)・その長男(五)・その次男(三)
兄は李さんを撫順の病院につれていったが、満室で入院できず、瀋陽まで行って手術を、うけた。しかし肩の銃弾はとりだせないまま現在にいたっている。
(略)血まみれの死体ばかりで見つからぬ。死体には赤ん坊や妊婦もあって、なんとも形容できない惨状だった。楊少年より小さな子どもが、這いずりまわって親をさがしている。(略)
(注)平項山以外の村の情況についてはあがらぬことが多い。たとえば曽おばさんの海も(朝日新聞社朝日ジャーナル臨時増刊号』・一九九二年)の読者・班忠義氏の父母も、隣りの千金堡にいて危うく難をのがれている。班氏はこの記録で、この無差別虐殺の指揮責任者とみられる井上清一中尉が、処罰どころか金鵄勲章をもらっていることに強い衝撃をうけている。また澤地久枝氏の『昭和史のおんな』(文芸春秋一九八〇年)は「井上中尉夫人『死の餞別』の章でこの井上中尉についてかなりくわしくふれている。その後『追跡・平頂山事件』(田辺敏雄・図書出版社・一九八八年)という本が出たが、これは当時の守備隊長K大尉の類(娘婿)にあたる筆者のせいか、侵略とか無差別虐殺などについて一切の反省のない立場から書き、虐殺者数を四〇〇〜八〇〇と過小評価している。これを批判する立場から書かれた本に『平頂山事件』(石上正夫・青木書店・一九九一年)がある。
さらに、右の班忠義氏の記録でも引用されている『リポート「撫順」一九三二」(撫順問題調査班=文責・小林実=都立書房一九八二年)もこの事件を追っている。

週刊金曜日1995.7.28 第84号より引用。
再訪中国の旅3
撫順
 二四年前の『中国の旅』の取材旅行中、撫順市で初めて「万人坑」という言葉をきいた。以来東北地方ではよくきくことになる。要するにこれは、死体をたくさん捨てた所を意味し、数百人であれ何千人であれ、象徴的な数として「万人」とよばれるのであった。正式な墓に埋葬されるのではなく、適当な場所にゴミ捨て場のようにして人間の死体が遺棄されることだ。したがって炭鉱だの大規模工事現場だの、危険な重労働をともなうところの周辺に多い。そうした現場で働く労働者には、強制連行者や囚人として、あるいは遠方からの出かせぎとして来ている例がほとんどなので、死んでもいいかげんに扱われやすかった。
そのような〝ヒト捨て場〝としての万人坑が、撫順には大小三〇カ所もできたと、二四年前に革命委員会の孫徳驊氏は言った。あのときの話では、日本占領の四〇年間に二五万〜三〇万人の中国人労働者が使い殺されたとのことだから、もしその死体が三〇カ所の万人抗に捨てられたとすれば、平均はまさに一カ所一万人ちかいことになるだろう。けたはずれに古い歴史と、けたはずれの広さと、けたはずれの人口をもつ中国には、日本では想像もおよばぬことがあるとはいえ、三〇カ所の万人抗はいかにも多すぎるような、あくまで「感じ」としてそんな気がする。本当だろうか。
実際、撫順にいた日本人たちの団体「撫順会」は、こうした万人坑の存在に全く否定的である。それに「…また一部は家や工場建築の邪魔になるために除去されましたから、全部は残っておりません」とあのとき孫氏は語ったものの、「全部」といわず一カ所くらい実物があってもよさそうなものではないか。(略)
P41 ところが、撫順市社会科学研究院の趙立静氏によれば、やはり万人坑は大小三〇カ所以上、正確には三三カ所にあったという。小は三桁(何百人)から大は「万」にいたるまで確実にあったと。それに「万人坑」という言葉は戦後にできたので、戦前の日本人が聞かないのも当然だというのである。そして趙立静氏は万人坑の実態をつぎのように語った。万人坑に捨てられる労働者は、およそ三つの場合が多かった。
①炭坑で負傷したりして廃人同様になった者。
②伝染病などによる死亡者。
③大部屋のひどい生活環境と悪い食事のため、栄養失調などで衰弱しきった者
 撫順には八つの炭鉱かあって、それぞれで毎日のように死者が出たので、それに応じた大型万人坑も八カ所はあり、それは断じて「墓」ではないという。墓は別にあると。そして各炭鉱には「死人把頭」とよばれる雇われ中国人がいて、これはいわば死人を捨てるための管理係りであった。(略)
P42 万人坑はヒト捨て場だから、そのための建築物や設備の類があるわけではもちろんない。ときにはまだ絶命していない廃人も捨てられたし、死体を食う犬もたくさんいた。、解放戦争(国共内戦)まではこのあたりに民家も何もなく、人骨が折りかさなっていた。その後この丘の上に工場や住居ができるようになり、平らに整地されったが、その作業のときも人骨がたくさん出てきた。(略)

週刊金曜日1995.8.4 第85号より引用。
再訪中国の旅4
P40 『中国の旅』で紹介した写真は虎石溝万人坑である。ぺつに”観光ルート”として開放されているわけではない。それに中国にはよくあることだが、政府の政策によっても開放したり閉めたりする。たとえば「日中友好」を強調するときには、こうした日本による侵略を訴える記念物をあまり開放しなくなる。現在も日本人旅行者に自由に見せてはいない。
 虎石溝万人抗は、二四年前と基本的には変らなかった。基本的には」と表現したのは、骸骨の累々たる光景そのものや、それぞれの位置などはむろんそのままだからである。しかし、これは仕方のないことなのであろうが、人骨の風化が明らかに進んでいる。平項山のように何らかの措置をしなければ、いずれは消滅の運命にある。条件にもよるが、土中にあるほうが風化がおそいのが普通だ。したがって二四年前よりも「生々しさ」が消え、それだけ〞霊気〞のようなものが少なくなって、変な言いかただが「迫力」も減少しているかにみえる。洪水の被害にあったというのもわざわいしている。ともかく個別によく観察してみよう。針金でしばられた遺体とか、二人がつながれていたらしい例、ひとつの箱(棺?)に複数の遺体が入れられている例など、墓地と強弁するにはあまりにも無理がある。また、骸骨が何重もの層をなしている部分をよくみると、これは意外に短期間の「層」らしい。石器とか化石が出土した場合には、出土層とそれより上の層の問に相当期間の差が認められるものだが、ここではそうした違いがほとんどないようだ。ということは、骸骨が埋まっている層が厚くても、それを埋めている土は人工的な力にょるか、自然としても洪水などによる比較的新しい堆積かもしれなともあれ再検証の結果は、これが墓地だなどということは到底できないと考える。(略)
ーーー(引用終わり、全文はこちら。再訪2再訪3再訪4<ダウンロード<開く。著作権は週刊金曜日にあります。)

中国側と三菱マテリアル 強制連行3700人超 和解へ

img362.jpgimg363.jpg東京新聞2015.7.24
対象者は計3765人と日本企業による戦後補償として過去最多。補償総額80億規模。日本の最高裁が賠償請求を認めなかった中国人被害者に対して、日本企業側が自主的に謝罪し、包括的な金銭補償に踏み切るのは初めて。
右、韓国でも、三菱重工業など日本企業を相手に元徴用工が損害賠償を求めて訴訟を相次いで起こしているが、六五年の日韓請求権協定で韓国人の個人請求権は消滅したとする日本政府の見解に基づき、請求に応じない立場を示している(共同・辰巳知二)
ーー
上、共同通信のスクープだそうだ。
ーー
東京新聞2015.6.25
韓国の女子挺身隊賠償訴訟光州高裁 三菱重工敗訴
太平洋戦争中、朝鮮女子勤労挺身隊員として三菱重工業の軍需工場(名古屋市南区)に徴用された韓国人女性や遺族ら五人が、同社に慰謝料などを求めた訴訟の控訴審で、光州高裁は二十四日、一審と同様に、同社に対して賠償を命じる判決を言い渡した。(引用終わり)
ーー
朝鮮人強制連行者は膨大な人数で賠償額もけた違い。65年の日韓条約を言い訳に個人補償を認めないが、傍目からは民族差別に見える。日本政府は中国も含め一切の個人賠償を認めない。五輪競技場や自衛隊への軍事費への浪費分を回せば、どれだけ東アジア周辺国への平和外交につながることかと考える。きな臭い、米国追従で冷戦思考の安倍には馬の耳に念仏か。

加害に向き合わぬ日本 朝鮮半島出身者が強制徴用されたとみられる産業革命遺産7施設

東京新聞 2015.5.20
産業革命施設 世界遺産勧告に勧告反発 強制徴用 説明ごく一部
朝鮮人労働者 壁に「天は見捨てない」
観光業者「楽しい旅行にそぐわない」
「隣国の痛みや悲しみ伝えるべき」
朝鮮半島出身者が強制徴用されたとみられる7施設
 ・三井三池炭鉱、三池港(福岡県大牟田市、熊本県荒尾市)
 ・官営八幡製鉄所
 ・三菱長崎造船所
 ・端島炭鉱(通称軍艦島)
 ・高島炭鉱

群馬 朝鮮人追悼碑 不許可訴訟初弁論 2015.2.5東京新聞 ほか

img331.jpg左、撤去反対請願を不採択 朝鮮人追悼碑問題で県会常任委2014.12.9東京新聞、 右 不許可訴訟初弁論「県は表現の自由無視」市民団体側「堂々と憲法議論を」2015.2.5東京新聞
img332.jpgimg333.jpg左、原告「公園は意見述べる場」2015.5.14東京新聞
朝鮮人追悼碑 都は設置条件付けず 都によると、設置許可を出した際、県内の碑のように「政治的な行事をしない」という条件は付けなかった。追悼集会には毎年、都知事や墨田区長が式辞を寄せている。都の公園課は「公園内も表現の自由が基本的にあり、追悼集会で政治的な発言があっても問題はない」との見解を示す。2015.6.11東京新聞
ーー
ためていた記事あっぷ。地域、時代により行政の見解が異なってよいのだろうか。

強制連行されて日本で暮らす朝鮮人の実態を見る

 週刊金曜日1994.11.4号より引用。P51~P53 金蓉子
 神奈川県横須賀市でひとり暮らす在日朝鮮人、李周鎮さん(七二歳、朝鮮籍)は、一級障害者である。
戦時中の強制労働でのリンチがもとで右胸の肋骨七本を失い、右耳もよく聞こえない。右肺はまったく使えない状態で、肺活量は一000以下だ。当然、老齢福祉年金か障害基礎年金が支給されるはずである。だがそれば日本人であればの話だ。
 李さんは以前、横須賀市役所の窓口に年金支給を願い出て、門前払いを食ったことがある。「身体が弱り、病院に行くのに金がなくて困ってだんだが、『朝鮮人にはやれない』といわれた。妻が日本人だったんで、『じゃーあ妻の分を』というと、『朝鮮人と結婚したからやれない』という。『それは国の判断か、それともおまえの判断か』と聞いたら黙っておったよ」。(略)
 虫けらのように酷使され
 四三年、朝鮮総督府から兄に徴用令が送られてきた。一家を支える兄の身代わりになった李さんが連行されたのは、福岡県の三菱炭鉱だ。当時「行けば生きて帰れない」のが炭鉱だった。二一歳のときである。(略)
 ところが翌年の三月、今度は自分の名で徴用令が来た。「徴用から逃れることはできない。強制連行と同じことだ」。都庁舎に集まった中から一〇〇人が、迎えにきた間組(現ハザマ)の手に委ねられた。日本の官憲による斡旋である。
 釜山から下関へ。一昼夜汽車に揺られ、たどり着いたのは雪深い秋田県神代駅だった。李さんたちはここで、渓谷の斜面に夏瀬ダム建設工事のための道をつける、危険な作業に駆り出された。(略)
 一カ月後、ハッパの暴発事故で仲間が死んだ。ただの肉の塊が、李さんたちの目の前に落ちた。死体も負傷者も、飯場には戻ってこなかった。李さんは脱走を決意する。リンチを受けたのは、その脱走に失敗したときだった。
 植民地支配が人生を奪った
(略)横須賀の街頭で保健所職員に呼び止められたのは、戦後一年半もたってからだ。レントゲン写真の右胸半分は真っ黒だった。肋骨に無数のひびが入り、肋膜に水がたまって化膿していた。一〇年にわたる入院生活、六回の胸郭成形街の末、七二年に呼吸機能障害と胸郭変形で身体障害一級の認可を受けた。もう、肉体労働はできない。
(略)なぜ国を奪われ、虫けらのように蔑まれたのかを知ったとき、初めて李さんの全身を激しい怒りが貫いた。何に対して怒ればいいのかを悟ったのだ。
文字を知らぬば。歴史を知らぬば」。たぎるような向学心が、どん底の李さんに生き抜く力を与えた。印刷業を始めたのも、文字を覚えるためだった。
 いま、李さんは「近・現代史のなかの朝鮮民族史を語る会」を、日本人とともに続けている。不自由な身体であちこちの集会に顔を出して講演もする。「日本の近現代史は朝鮮、中国を抜きには語れない。強制連行で連れてこられた一人として、若い人たちに私の体験を語り継ぎたい」
 歴史を知らぬことの恐ろしさや愚かきを知る者の、確たる信念が生きる支えだ。
 年金を出さぬのは差別だ
 東京都江東区に住む李末龍さん(七九歳・韓国籍)も、徴用で日本に連れてこられた。。もう五〇年以上も足の神経痛に悩まされている。福岡県飯塚市の炭鉱で働いていた時の重労働の結果だ。(略)
 日当は二円だった。だが「天引きで故郷に送金するから」と言われて、手渡されたのは一銭から五銭の半端な金だった。煙草をいくらか買うとなくなった。言葉も分からない。字も知らない。送金されているのかどうか、確かめる術もなかった。
 大東亜戦争が始まっていた。一年ほど炭鉱病院に通ったが、足は直らなかった。同じ地方出身の知り合いと一緒に脱走して宇部に逃げ、その後は土方をして生きながらえだ。
「日本全国を点々と歩いたよ。ダム工事やケーブル、電線工事と何でもやった。神経痛が痛くてたまらなかったけど、ほかに朝鮮人がやれる仕事はをなかったよ」(略)
 もちろん末龍さん夫婦に年金は出ない。長男は年金の掛け金を納めているから二重の負担を強いられていることになる。「税金は納めてきたし息子も納めている。でも、朝鮮人に見返りは何もない。好きでこの国にきたんじゃないんだ」
 末龍さんと同じ言葉を、在日朝鮮人なら誰もが噛み締めてきた。生活が苦しいから年金をくれというんじゃない。日本人と同じように年金が出るのが当たり前なんだ。朝鮮人だから出ない、というのは差別以外の何でもない」「人生を返してほしい」
 植民地支配という日本の国策が奪った人生の代償は、福祉の次元でさえ、いまだ支払われてはいない。

きむ よんじゃ・雑誌記者。一九六三年、長崎県生まれ。
ーー引用終わり。全文はこちら、ダウンロード<開く

群馬 朝鮮人強制連行追悼碑問題


東京新聞2014.10.4より引用。「撤去要求理解できない」 「駒形・木瀬9条の会」見学
「県内で朝鮮人の強制連行があったのは史実。この問題の根底に、差別意識があるのではないか」
引用終わり。

消される戦争の跡

s-img096_20140908232300ad0.jpg2013.8.13東京新聞より引用。戦争の加害や悲惨さなどを記した碑や説明板の撤去の動きが最近、相次ぐ。
「説明板撤去」体験者ら危機感 
 奈良県天理市に造成された「大和海軍航空隊基地(通称・柳本飛行場)」・同市は跡地に一九九五年に設置した説明板を今年四月、撤去した。
 解体が決まった中島飛行機武蔵製作所の旧変電室 「経験者が死んで学徒動員が忘れられることが一番嫌なんだ」
長野市松代大本営、高崎市朝鮮人強制連行追悼碑、島田市「Z研究」実験所跡、鈴鹿市海軍航空隊格納庫、長崎市韓国人被爆者慰霊碑、浦添市前田高地後方陣地跡
ーー
戦争遺跡3万カ所 保護わずか216件
「戦跡」の大半 放置・開発
破壊*封印*削除
沖縄戦地跡や海軍格納庫、陸軍病院壕・・・ 
行政「加害史観」の自粛重なり
ーー(引用終わり)
自民党右派は靖国には熱心に参拝するが、戦争の記憶には無関心? いや、消去したいのか?

群馬県立公園 群馬の森 朝鮮人強制連行追悼碑 県が撤去要請

img083.jpgimg084.jpg
2014.7.12東京新聞 群馬県が撤去要請 守る会側「断固拒否」 県の対応行き過ぎ 、守る会碑の敷地購入など提案
img085.jpgimg087.jpg
7.23東京新聞 群馬県設置更新認めず 市民団体反発提訴も 「いきなりレッドカード」納得できない
ーー
池袋サンシャイン近くのA級戦犯の慰霊碑も撤去できるのだろうか?

知られざる麻生太郎 自民総裁候補の家系

img029.jpgs-img032_20080914123413.jpg
img030.jpgimg031.jpg
週刊金曜日 第596号 2006年03月03日P8.韓国からの告発レポート
知られざる麻生太郎外相の家系(1)(K・T生)
  強制徴用朝鮮人遺骨調査に手ぬるい日本政府
週刊金曜日 第598号 2006年03月17日P14.知られざる麻生太郎外相の家系(2)(K・T生)
強制連行の生き証人、麻生発言への反発 -「創氏改名は朝鮮人が望んだから
週刊金曜日 第602号 2006年04月14日P26.韓国からの告発レポート
知られざる麻生太郎外相の家系(3)
1000年の朝鮮国有林を誰が壊したか(K・T生)
麻生外相にあえて言う。宰相への道は、過去に目を向けることから始まる。より、
安倍氏以上に、これが現職閣僚かと思わせる発言をしたのが、麻生太郎外相だ。東京裁判についての回答はこうだったという。「少なくとも日本の国内法では犯罪人扱いの対象になっていない」。
  微妙な表現ではあるものの、裁いたのは戦勝国であり日本ではないとの趣旨としか思えない。それはつまり、「日本人たる自分は戦犯を罪人とは考えていない」との考えをにじませたとも受け取れる。歴史認識に関しても、「マッカーサーも侵略戦争のみとは言い難かったと認めている」と答え、従来の政府見解との違いをみせた。
---
A級戦犯の孫の次は朝鮮人強制連行の企業麻生セメントの創業者の孫が与党総裁の有力候補だって。マスコミも自民党の選挙PRばかりやらないで、総理大臣候補者の歴史観からチェックしたらどうだろう。こんな人が総理で韓国を訪問し、北朝鮮の拉致被害者を救出できるの?ドイツでいえばナチス協力企業の経営者の孫がドイツ大統領になるようなもの、ありえない!これも民度の違いか、ハァ・・。
<9/17追記>麻生さん名案ですぞ。逆にこの縁を奇貨として、中国、韓国、北朝鮮など麻生セメントの関係各国へ(できれば天皇と第二次大戦関係各国が良い)謝罪の旅に出て、強制連行、日本軍での未払い給与や強制貯金その他謝罪の補償金の支払いも約束する。これであなたも戦後の名宰相の仲間入り。おじいさんのやったこと、会社が違うなどへりくつではだめですよ。その前に選挙に勝たないと実現できませんがね。これを選挙公約にすれば民主に勝てるかも・・・。

強制連行の賠償責任な中国人の控訴棄却 札幌高裁 違法性は認定

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/34852.html
アクセス日2007.7.3 22:30
(06/28 14:46 北海道新聞)
控訴棄却の判決に、厳しい表情を浮かべる原告の一人、趙宗仁さん=28日午前11時10分、札幌市中央区の札幌高裁前
 第二次大戦中、日本に強制連行され、道内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人四十二人(うち十五人死亡)が、国と企業六社に謝罪と総額八億四千万円の損害賠償を求めた中国人強制連行北海道訴訟の控訴審判決が二十八日、札幌高裁であった。伊藤紘基裁判長は「強制連行は違法だが、賠償責任はない」と述べ、原告の訴えを全面的に退けた一審札幌地裁判決を支持、原告の控訴を棄却した。原告は上告する方針。
 判決はまず、強制連行の事実について、原告は一九四四年(昭和十九年)ごろ、日本政府の閣議決定などによって一方的に日本企業に引き渡され、劣悪な環境の下で重労働を強いられたと認定。その上で、「一連の過程は少なくとも道理に反するという意味で違法」と一審判決よりも踏み込んだ。
 しかし、国と企業の賠償責任については否定した。国の責任に対する判断は一審判決を維持し、国家賠償法施行(一九四七年)以前の国の加害行為で、国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用して責任を免除した。
 また、企業の安全配慮義務については「違反があったという余地がある」としたが、時効により企業側の債務は消滅したと判断。さらに「一九七二年の日中共同声明により、個人の賠償請求権は放棄された」とする最高裁の戦後補償判断を引用して、訴えを退けた。
 控訴審をめぐっては、札幌高裁がいったん、三月二十日を判決期日に指定したが、二月になって取り消し。別の強制連行訴訟で、最高裁が戦後補償問題に関する初判断を示す見通しだったため、この判断を見極めるために延期したとされる。
 原告は一九九九年九月に提訴していた。

強制連行賠償最高裁が初判断、西松訴訟原告が逆転敗訴2007.4.27


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朝日新聞2007.4.27夕刊より引用。

裁判所が自己の判断を示さず、強制連行された原告の人権を守らず、政治や企業に救済を押し付けている。裁判所が職務放棄をしている印象がある。

(今後購読紙からスクラップとして私的利用で貼り付けさせてもらいます。不都合あればコメント欄で指摘ください。迅速に対応します。なお記事の著作権は当然ながら新聞社にあります。)


七尾強制連行訴訟、原告新たに2人追加

http://www.hab.co.jp/headline/news0000058755.html七尾強制連行訴訟、原告新たに2人追加 (北陸朝日放送 - 2007年3月26日17:05)
戦時中、七尾港に強制連行された中国人4人が国と荷役会社に謝罪と損害賠償を求めている裁判で、新たな原告として中国人2人を加え金沢地裁に追加提訴しました。この裁判は太平洋戦争末期の1944年、七尾港に強制連行された中国人の暢同道さんら4人が、荷役作業など過酷な長時間労働を強いられたとして、国と、当時働いていた七尾海陸運送に対し、謝罪広告と一人あたり1100万円の損害賠償を求めています。一行は26日中国河南省の王徳功さん(81)と連行者の遺族である李変さん(42)の2人を原告団に加え、金沢地方裁判所に追加提訴しました。これまでの弁論で被告の国は「1952年に当時の中華民国と結んだ日華共同条約で、賠償や財産の請求問題は完全に解決している」と主張しており、訴えの棄却を求めています。金沢地裁は2人の追加提訴分を受理し、これまでの審理と併合して協議していくということです
(引用終わり2007.3.31)


強制連行訴訟 長崎も原告敗訴 

http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/4769/強制連行長崎訴訟 第二次大戦中の1944年、旧日本軍などに捕らえられて強制連行され、長崎県にあった旧三菱鉱業(現三菱マテリアル)経営の高島、端島、崎戸の3炭鉱で過酷な労働を強いられたとして、中国人10人(うち4人は遺族)が2003年11月に提訴。元労働者は大半が中国・河北省出身で、うち2人は長崎市の旧長崎刑務所浦上支所に抑留され、長崎原爆で被爆死したとされる。強制連行訴訟では、初めて県にも賠償請求した。 原告側によると、3島に計845人が連行され、94人が死亡したという。
強制連行訴訟 長崎も原告敗訴 「除斥と時効」地裁判決 不法行為は認定
(西日本新聞2007年3月27日掲載)
 第二次大戦中に中国から強制連行され、長崎県の炭鉱で過酷な労働を強いられたり、原爆で死亡したりしたとして、中国人の元労働者と遺族計10人が国と長崎県、炭鉱を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)など2社に計2億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、長崎地裁であった。田川直之裁判長は「強制連行、労働の事実はあったが、被告の賠償責任は時の経過により消滅した」として、原告の請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
 一連の訴訟は全国で14件が係争中で、26日の宮崎地裁判決に続く原告敗訴。4月27日には、最高裁が、企業の賠償責任を認めた広島高裁判決(2004年7月)を見直す公算が大きくなるなど、原告側に厳しい判決が続いている。
 田川裁判長は「強制連行・労働は国が政策決定し、県は施策の実現に関与。企業も原告の身体・自由を違法に侵害した」と述べ、国と県、企業の不法行為を認めた。さらに、国家賠償法施行(1947年)前の行為には、国は賠償責任は負わないとする「国家無答責」の法理について「人倫に反する極めて違法性の強い事案」として適用しなかった。
 しかし、不法行為から20年で賠償請求権が画一的に消えるとされる「除斥期間」が過ぎているとして原告側の請求を退けた。
 また、企業についても「過酷で危険な条件下で暴力を使って働かせた責任はある」として、三菱マテリアルにだけ安全配慮義務違反による損害賠償責任を認めたが、中国国民が私事で出国することが法律上可能になった86年から10年で時効が成立し、原告の請求権は消滅したと判断した。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/minami/20070328/20070328_001.shtml
「不当判決」原告ら怒り 強制連行長崎訴訟で敗訴 李さんら「勝つまで戦う」=2007/03/28付 西日本新聞朝刊=2007年03月28日00時44分
 中国人原告らの司法救済の願いは、再び「時の壁」にはね返された。強制連行と強制労働について、国や県、企業の不法行為は認めながらも、賠償責任までは問えないとした27日の長崎地裁判決。「不当判決。われわれは勝利をつかむまで戦い続ける」。前日の宮崎地裁判決に続く原告全面敗訴に、原告や支援者からは怒りや失望の声が交錯した。
 判決後、長崎市内での会見には、来日した原告2人や弁護士のほか、数人の支援者が出席。宮崎地裁判決に続く敗訴に、出席者たちは一応に落胆した表情だった。
 「負けるはずがないと思っていたが…」。三菱端島炭鉱で強制労働を強いられた原告の1人、李慶雲さん(81)は、固い表情を崩さなかった。李さんは「どんな判決が出ても、われわれを奴隷のように扱い、苦しめた歴史の事実は消せない。最後には私たちが勝利を得ると信じている」と涙ながらに訴えた。
 三菱崎戸炭鉱で働かされ、父親が被爆死した原告遺族の喬愛民さん(65)は「不公平な判決で、本当に憤っている。父の恨みを晴らすためにも勝つまで戦う」と怒りをあらわにした。
 一方、「長崎の中国人強制連行裁判を支援する会」の本島等会長は「残念で仕方がないが、勝つまで努力するしかない」と言葉少なに会場を後にした。
 原告団支援者の平野伸人さん(60)も「司法は歴史の真実を断罪することから目を背けている。今後、日本と中国両政府による政治的な解決しか、被害者が救われる道はない」と、ショックを隠せない様子だった。
(引用終わり、アクセス日2007.3.31)

中国人元労働者ら敗訴 宮崎の強制連行訴訟2007.3.26

http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news4/article.php?topicsid=5&pack=CN&storyid=7703
中国人元労働者ら敗訴 宮崎の強制連行訴訟

福井新聞3月26日午後1時51分
 戦時中、宮崎県日之影町の槙峰鉱山に強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者7人と故人1人の遺族が日本政府と鉱山を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)に計約1億8400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁(徳岡由美子裁判長)は26日、請求を棄却した。各地で係争中の強制連行訴訟と同様、(1)国は個人に対し賠償責任を負わないとする明治憲法下の「国家無答責の法理」が適用されるかどうか(2)原告の損害賠償請求権が被害から20年の除斥期間が過ぎて消滅したかどうか-が争点だった。原告側によると、槙峰鉱山には太平洋戦争末期ごろ、主に中国の山東省から250人が強制連行され、病気などで77人が帰国できずに死亡した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007032600011時事通信2007/03/26-19:29
強制連行訴訟、中国人原告敗訴=「時の壁」国と三菱マへの請求棄却-宮崎地裁  第2次世界大戦中、日本に強制連行され、宮崎県内の銅山で過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら13人が国と三菱マテリアル(旧三菱鉱業)を相手に元労働者1人当たり2300万円、総額約1億8400万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が26日、宮崎地裁であった。徳岡由美子裁判長は、国と同社の不法行為責任などを認めたが、時の経過を理由に賠償などの請求権が消滅したとして請求を棄却した。
 原告側は判決を不服とし、福岡高裁宮崎支部に即日控訴した。
(引用終わり)
ーーーーーーーー
判決後、原告が控訴するかどうかも記事に入れてほしいものだ。入ってないと原告が諦めた印象を与えている気がするのですが・・。
(アクセス日2007.3.27PM23:40)

戦後補償裁判で、中国人原告が意見陳述 最高裁で初

http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200703160327.html
2007年03月16日18時52分朝日
 第2次大戦中に強制連行され、広島県内の水力発電所の建設現場で過酷な労働をさせられたとして、中国人の元労働者ら5人が西松建設(本社・東京都)を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は16日、双方の意見を聞く弁論を開いた。この日の法廷では、原告2人が意見陳述した。一連の戦後補償裁判で、中国人の原告が最高裁に出廷して意見を述べるのは初めて。
最高裁に入る邵義誠さん(前列右)と宋継堯さん(同左)=16日、東京・隼町で
 大戦末期に原告らが連行されたのは、同県の安野発電所。西松建設の工事現場で中国人360人が働かされ、栄養失調や事故などで29人が死亡したという。
 原告の宋継堯さん(79)は、強制労働のさなかに両目を失明した。車いすで出廷し、「公正な判決を望む」と訴えた。
 邵義誠さん(81)は19歳のとき、路上で突然男たちに拉致されて日本に連れてこられたという。「食べ物は十分ではなく、水を飲んでごまかした。病気になって動けなくなると、食事はさらに半分に減らされた」と説明。「西松建設からは報酬も謝罪もない」と怒りをあらわにした。
 第二小法廷は、72年の日中共同声明で中国人個人の損害賠償請求権が放棄されたかどうかに絞って審理する。2人の原告と代理人は「中国政府側は、個人の賠償請求権まで放棄したという取り扱いはしていない。一方的な解釈をすれば外交問題に発展するのは必至だ」と主張した。
 二審・広島高裁判決は、原告の請求を棄却した一審判決を取り消して同社に総額2750万円の支払いを命じた。しかし、二審の結論を維持する場合には必要がない弁論が開かれたことから、原告側が逆転敗訴する見通しだ。

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