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名の乗り出たインドネシアの元「従軍慰安婦」 川田文子

19951110syukin,indoneshia週刊金曜日1995年11月10日号より引用。
文・川田文子 写真・伊藤孝司
P23九月二九日から一〇月四日にかけて、戦後補償実現市民基金が、インドネシアの元「慰安婦」の聞き取り調査を行なった。インドネシアでは現在、六五〇八人もの女性が「慰安婦」だったと名乗り出ている。今回の調査を担当した市民基金の共同代表の川田氏と、同行した伊藤氏に報告してもらった。
 インドネシアの状況
 (前略)私たち戦後補償実現市民基金の調査チームは、ジャカルタに本部を置くLBE(法律扶助協会)の弁護士リ夕・セレナさんを訪ねた。LBHは、無料で法律相談に応じている人権擁護団体である。リタさんによれば、LBHは日本の弁護士が引き受ければ「慰安婦」裁判提訴の意向をもっている。だが、調査が不十分、裁判費用の捻出、韓国やフィリピンと異なり、賠償問題は決着済みとするインドネシア政府の援助を得ることの困難などが障壁となって、提訴には至っていない。また、今年八月二日、LBHジョクジャカルタ支部(以下、都市名ジョクジャ、およびジョクジャカルタ支部と略)は日本政府に対し、書面で謝罪と補償を求めだが、何の回答も返ってきてはいないという。
p24 LBHには現在、約四二〇人の「慰安婦」調書がある。そのうち三七一人がジョクジャ支部に名乗り出た。私たちがジヨクジャに向かったのはいうまでもない。約束の時間にジヨクジャ支部を訪ねると、すでにスハルティさん(七〇歳)、ラシエムさん(七一歳)、キンナムさん(六四歳)が集まってくれていた。少し遅れてラビエムさん (七〇歳)、サイナムさん(七〇歳)、そして前日、証言を開いたマルティエムさん(六六歳)も加わった。
ジョクジャ支部の弁護士プディ・ハルトノさんと、ディレクターのアリ・スセ夕さんによれば、九三年四月二〇日のムルデカ新聞(インドネシアの全国紙)に「日本の軍政下の被害者はその被害について明らかにする必要がある」といった主旨の社会大臣のコメントが掲載されたとたん、「ロームシャ」や、「ジユウグンイアンプ」にされていた人々が各地からLBHに押し寄せた(インドネシアでは、ヘイホ、ロームシャ、ジュウグンイアンフは訳語にされず、現在でも日本語のまま使われている)。同年八月で作業は打ち切られたが、一万七千数百人が登録した。その中に「イアンフ」も含まれていたのである。特にジョクジャ支部に殺到したのは、各地にあるLBH支部の中でも活動が活発で、それが新聞などにも紹介されることが多かっだからだ。
 初潮もまだだった
最初に名乗り出たのがマルティエムさんである。マルティエムさんは四二年の五月か六月頃、「ソウゲンジ」という日本人にカリマンタンのバンジェルマシンの慰安所に連れて行かれた。インドネシアで日本軍政が開始されるのは四二年三月であるが、その直後にもう慰安所が開設されたわけである。他の五人も同じ慰安所にいた仲間である。その慰安所には日本軍が去る四五年まで、三回にわたって女性が投入された。マルティエムさんとサイナムさん、ラビエムさんはその第一陣であった。
 ソウゲンジは歯医者で、オランダが支配していた頃からインドネシアで家族とともに暮らしていた。戦争が始まると家族を日本に帰し、日本軍上陸後は軍の諜報活動に協力した。そして、慰安婦徴集を開始する数カ月前に、バンジェルマシンの市長になった人物である。
むろんソウゲンジは、徴集に際してその目的を明かしてはいない。彼はジョクジャに来たとき、役者を随伴していた。そして、言ったものである。「劇場、レストラン、メイドなど、カリマンタンに行けば好きな仕事が選択できる」と。そして、ひとりひとり希望の職種を闘いたりしている。
 ジョクジャで集められた女性はソウケンジに連れられスラバヤまで汽車で行き、数日、ホテルで船待ちをして、徴用船でカリマンタンのバンジェルマシンに渡った。バンジェルマシンは大きな町だった。町のはずれには、すでに高い塀で囲った慰安所用の建物が建てられていた。中央に大きな部屋、その部屋を囲むように小部屋が並んだ建物である。その慰安所に入れられたのは二十数人、開設前に軍医による厳重な身体検査が行なわれ、特に性病の有無を調べる検査は性経験のない少女たちに深い衝撃を与えた。
ひとりひとりに部屋が与えられ、源氏名がつけられた。利用者は部屋の番号と源氏名で相手を指定したのである。マルティエムさんはモモ工、部屋は11番だった。ミキ、タキコ、サクラ、ハル工、ナミコ、それぞれが当時の源氏名を記憶している。昼間は兵隊、夜は役人、電話局員、新聞記者など、利用できるのは日本人に限られていた。日本軍に組み入れられ、兵隊とほぼ同じ働きをしていたインドネシア人兵補は利用できない。利用者が軍人軍属に限られた他の地域の慰安所とは、民間人が利用できる点で異なっている。しかし、民間人といっても軍政に貢献した、いわば特権階級である。料金は兵隊が二円五〇銭、民間人が三円五〇銭、泊まりは民間人のみ可能で一二円五〇銭だった。衛生サック(コンドーム)使用の義務づけ、外出の制限(一週間に一度のみ、単独では許可されない)、軍の機密漏洩防止のための住民からの隔離など、慰安所利用規定に基づく運営であったことがうかがえる。
 当時マルディエムさんは一三歳、まだ初潮も経験していなかった。
 心に残された痛み
「悲しい記憶がふたつある」マルディエムさんは言った。最初に六人の軍人に犯された時の出血と耐えがたい痛み、そして、翌年、慰安所を管理していた「チカタ」に妊娠していることを指摘され、病院に連れていかれて、麻酔なしで中絶した、その時の激痛。妊娠五カ月であった。掻爬された子はまだ生きていた。男の子だった。人形のように小さなその子をマリティヤマと名づけた。たとえこの世に生を受けられない子であっても、そうすることがインドネシアの習慣だったからだ。
 第二陣はチカタが徴集した。彼女らには個別に与える部屋がなかったため、第一陣の「慰安婦」と共用で使った。第二陣がきて以降、先にきていた女性たちはいくぶん身体が楽になったという。たとえば、こんな文書がある。…「ボルネオ」行キ慰安土人五〇名・…・派遣方南方総軍ヨリ要求セル…‥
 これは四二年三月一二日、台湾軍司令官が(陸軍)大臣宛に発した電報、第六〇二号であるが、この「慰安土人五〇名」のおかれた状況は六月三日、台湾軍参謀長が副官宛に発した電報、第九三五号に垣間みえる。
…「ボルネオ」ニ派遣セル特種慰安婦五十名二関スル現地着後ノ実況人員不足シ稼業二耐ヘサル者等ラ生ズル為尚二十名増加ノ要アリトシ…:(防衛庁防衛研究所所蔵「従軍慰安婦資料集」吉見義明編集・解説所収)。(略)
 チカダからは、報酬は誰にもいっさい支払われなかった。毎月家に送金する約束で来たラシエムさんがそのことを問うと、軍事貯金をしているから戦争が終わったら渡すといわれた。しかし、その時点でも金を受け取った者はいない。
 人生でいちばん辛かったこと
(略)ソウケンジが、カリマンタンに行けばよい仕事があると村の若い女性を集めに来たとき、ラシエムさんはすでに結婚していた。二歳と生後八カ月の子がいたが、夫が失業していたためカリマンタン行きに加わったのである。戦争が終わり、慰安所から解放されたものの、遠く離れた家族のもとに帰る手段も、また、数限りない日本兵から汚辱を受け、帰る勇気もなかった。かといってどのように暮らしていけばよいのか、途方に暮れているとき、慰安所にいたことを承知で求婚した元兵補がいた。すがるような思いで再婚した。結婚生活が慰安婦であった過去を打ち消してくれるかもしれない、と思ったからだ。その男性がスマルモさんの父親である。
 同行した写真家の伊藤孝司さんの、「人生の中で最も辛かったことは何ですか」の問いに、ラシエムさんは、それまで私たちににこやかに遇していた表情をみるみる歪めた。それはいうまでもなく、忘れようとしでも、けっして忘れさることのできなかった日本兵に蹂躙された日々である。
「母は強い人間です」スマルモさんが言った。ラシエムさんはマルティエムさんに誘われてLBHジヨクジヤ支部に名乗り出るまで、慰安所時代のことは誰にも明かさなかった。悲しみを吐露することでいくぶんなりとも辛苦を和らげたい衝動に駆られることもあっだろうに、母は固く口を閉ざしてきた。スマルモさんは事実を明かされて、記憶の辛苦に耐えてきた母の強さを改めて見た思いがしたという。
 ジョクジャを発つ日、マルティエムさんの案内でバントウに住むスカルリンさんを訪ねた。白内障の類であろうか、スカルリンさんは昨年失明した。慰安所で身体を酷使し子どもができなかったため、養女夫婦と暮らしている。養女夫婦は役所前で屋台を出しているが、貧しい。治療すれば失明は免れたのに、費用がなかった。
「イトコ」
空をつかむように手をさしのべて、日本人である私たちに通じることばをくりかえし発した。それは、彼女の慰安所での源氏名だった。美しかったので、日本兵が彼女のもとにたくさんきたという。それだけ身体がきつかったということだ。白く濁った小さな瞳が、虚ろにさまよっていた。これまで同じ慰安所にいた多数の証言で互いの証言を確認しあっている例は数少ない。戦後、バンジェルマシンの慰安所からジョクジャ近辺に帰ってきた二人が連絡をとりあっていたが、三人はすでに故人になった。市長や村長など公権力が慰安婦徴集を行なったという、マルディエムさんら複数の証言は貴重である。また、ジョクジャ支部に寄せられた証言の中には軍人が直接、村長の娘を連行し将校専用の「慰安婦」にした例もあった。その日本軍将校と村長の娘の間に生まれた子が実在している。
(写真)ドリス・スマンボウさん(左)と息子のエティーさん。スマンボウさんは日本人将校「カナガワ」に連行されて4力月後に妊娠した。日本敗戦直前の七月一七日に生まれたエディーさんは、子供の頃は「日本人の子」として軽蔑されたという。
P27
 増え続ける「慰安婦」
兵補協会会長のタシップ・ラハルジョさんは私たちの目の前に、元「慰安婦」本人の写真付きの登録カードを積み上げた。A4の大きさの用紙に氏名、生年月日、出身地、現住所、慰安所での源氏名、四二年から四五年の問にいた場所、慰安婦だった仲間二人の氏名、記憶している日本人の名前、インドネシアの知人名などを書き込む欄がある。一締めが一〇センチ以上の厚みのある、それらの登録カードの束に私は日を見張ったものだ。
 兵補協会の会員は約七万六〇〇〇人、うち元兵補が四万人、その遺族が三万六〇〇〇人である。一二九支部ある組織網を動員して、今年八月から登録を呼びかけた。そのうち西ジャワとジャカルタ支部から、あわせて約八〇〇人分の登録カードが届いたというのである。現在、それぞれの国の支援団体や政府に把握されている慰安所制度の被害者は韓国が約一六〇人、北朝鮮が三二人、在日が一人、フィリピンが約一六〇人、台湾が約六〇人である。マレーシア、インドネシアでも被害者が名乗り出ていることは伝えられていたが、その数は明らかにされていなかった。ざっと計算しても、これまで把握されている数を上回っていたのである。
 そして再度、一〇月三日に訪ねた時は中部ジャワ、スラバヤ、スラウエシ支部などが加わり、登録カードの数は二〇〇〇人分に達していた。さらに帰国後、問い合わせると、一〇月末には六五〇八人になっていた(将校専用の慰安婦も含む)。
 タシップさんによれば軍政下のインドネシアの慰安婦の徴集は、軍の要請を受けた郡長・市長・村長などの指示で婦人会など、自治会組織を通じて行なわれたことが大きな特色である。将校など、個人専用の慰安婦にされた場合には、子どもを産んでいる例も少なくなかった。
兵補協会は日本政府に対し、兵補一人二五〇万円の補償を要求する。元「慰安婦」の登録はその前段の作業である。おだやかに解決していきたいが、自分たちの要求が見過ごされるようなことがあれば、「時間の爆弾が爆発するだろう」といった、そのことばが深く印象に残った。
 ねじれた基金
 すでに報じられているように、政府は「慰安婦」問題を「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金) で決着しようとしている。今年度予算で四億九〇〇〇万円が計上されだが、国庫からの拠出金は広告費と事務費にあて、被害者の手には一円たりとも渡さない。被害者の福祉と医療については援助するが、国の責任に基づく補償はいっさい行なわない。国が呼びかけ人を選び、民間の有識者が呼びかけたかのような体裁で国民から募金を集めて被害者に一時金を渡そうという、きわめてねじれた官製の民間基金である。
P28
 しかも一時金といいながら一回限りの見舞金である。八月一五日、国民基金は全国の新聞二一紙に、村山首相のあいさつ文を添えた全面広告を出し、募金を開始した。その広告費に一億二〇〇〇万円が使われた。集まった額は一〇月二七日現在で約六一四〇万円にすぎない。三七年末の南京占領の際、日本兵は頻々と中国女性に対する強姦をくりかえした。欧米ではそれは〞南京大強姦事件〞 として報道され、国際社会のひんしゅくを買った。以来、日本軍は慰安所制度をつくりあげ、植民地および、侵略地の女性を犠牲にしたのである。中国、香港、ベトナム、ビルマ、マレーシア、シンガポール、ニューギニア、マリアナ諸島、パラオ諸島など、まだ被害の実態はほとんど明らかにされていない。また、「慰安婦」にされた女性の総数は八万とも二〇万人ともいわれているが、そのうち何人が戦時、死亡し、何人が生き残ったのか、まったく不明のままである。現在、名乗り出ている被害者はごく一部である。いまだ、固く沈黙を守っている被害者がその背後に多数いる。戦時において凄まじい性の蹂躙を受け、戦後もなお、庇められた人権の回復がはかられなかった。それほとりもなおさず、問題解決が放置されて導た結果である。「国民基金」を推進してきた政府、およびその賛同者は申告者を一〇〇〇人、多くとも二〇〇〇人程度にすぎないと予想したらしいが、「国民基金」では被害者が求める問題解決にはならないことを自ら認めているようなものである。ある被害者は「この五〇年間、いつ、慰安所にいたことが周囲の人に知られはしまいかと怯えつづけてきた」と語った。また、別の被害者は「慰安婦」であったことを知られることを恐れて、職場を転々と変えて生活してきた。日本軍慰安所制度の被害者であるにもかかわらず、あたかも、当人に非があったかのような視線を感じ、痛い恥辱を解き放つことができずに長い年月をすごしてきた。国の責任を曖昧にしたままの「国民基金」では、被害者をとりまくそうした状況は変わらない。「国の尊厳」(『毎日新聞論説)や「国と国民の品格」(『毎日新聞』「私見/直言」)ばかりを気にしている国民基金推進派には、植民地および占領地の女性が受けた慰安所制度の被害の大きさも、個々の被害の深さも、見えていないに違いない。
 兵補協会が登録した六五〇八人、そして今後も増えることが予想される被害者の数は、国民基金支給を前提に集められた。その際、日本人にとってさえわかりにくい国民基金のネジレが、正確に被害者に伝わったかどうかは疑問である。村山首相のあいさつ文つきの募金広告を見れば、被害者に渡される見舞い金に国庫からの拠出金が一円も含まれないなどとは、想像もできないだろう。国民基金は当初、目標額二〇億円を集め、年内にも支給するといわれていたが、現段階では目標額に遠くおよはない。しかも、支給対象者の数はまったく未知数といってよい。調査の不徹底、国民基金で決着できると考えた不誠実な取り組みが、破綻をきたしている結果である。「慰安婦」問題の根源的な解決、戦後補償のあり方がいま問われている。

かわだ ふみこ・出版社勤務を経て、ノンフィクション作家に。著書に「赤瓦の家」 (ちくま
文麿)、『皇軍慰安所の女たち」 (筑摩書房)、「戦争と性」(明石書店)など。
いとう たかし二九五二年長野県生まれ。フォトジャーナリスト。著書に『破られた沈黙』(風媒社)、「棄てられた皇軍」(影書房)、「日本人花嫁の戦後」(LYU工房)など。
※「戦後補償実現市民基金」の問い合わせ先は、℡03・3262・4971
ーー(引用終わり)
「女性のためのアジア平和国民基金」の結末はどうなったのか。NHK教育のETVで改ざん報道があったのが有名だが。調べると、「正式名称は女性のためのアジア平和国民基金。第2次大戦中の日本政府・軍による、いわゆる従軍慰安婦問題解決のため、1995年7月に設置された。日本政府は個人に対して、首相の「おわびの手紙」と200万円の「償い金」の支給、さらに医療・福祉のため、韓国、台湾、オランダに300万円相当、フィリピンに120万円相当の支出を決めた。インドネシアの場合、同国政府が個人支給を認めなかったので、高齢者福祉施設を建設した。これまでにフィリピン、韓国、台湾の285人に約5億8000万円を支給しており、これにより、アジア女性基金の償い金支給事業は終了、2007年3月に解散した。 」知恵蔵より。
補償人数的にもまだ不足しているし、国家賠償ではない、あくまで民間の募金ベース。主犯(日本政府としては)は謝罪していないところがポイントか。現在の韓国元慰安婦への補償も韓国次期政権が撤回するかもしれず不透明だ。
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